異なる道(道二部)

和之

第1話 記念日

 心や行動に雑然としたものを抱えているより、その雑然としたものが何なのか解らないまま、いつしか気があった男女四人が、武奈ヶ岳登頂で和気藹々わきあいあいと騒いで四年の月日が過ぎた。

 今朝は出掛けに見せた沙苗さなえさんの笑顔が、春に向かって吹く風のように、希望を運んでくれた。武奈ヶ岳登頂で抱いた沙苗さんへの思いが結実し、越村こしむらは一年前から彼女の実家で一緒に暮らしている。

 石塚家の長男、純一が四年年前に結婚して二人目の子供が出来る頃にマンションに引っ越した。石塚いしずかも大学を卒業する前に二DKのアパートに引っ越し、実家は両親と沙苗さんだけになり、娘を引き留めようと越村に色々と便宜を図り結婚後は義父と一緒に住んでいる。そこから十時に開店する天王町にある義父の店まで歩いて通っている。

 店は四年前と変わっていない。社員は長男を入れても五人、そこに一年前に沙苗さんと結婚した越村が入って六人、あとはパートのおばさんが三人いるが常駐は二人だ。長男を除く四人の男性社員は三十代が一人で四十代が二人、残りが五十代だ。此処では越村が一番若いだけに社長の娘婿の立場を差し引いても気遣いが大変だ。入社して最初はそれぞれの社員と一緒に回り、ようやく一年前から簡単な水回りキッチンなら独りで対応できた。特に難しい込み入ったシステムキッチンの要望には最年長の別所べっしょさんと一緒に勉強を兼ねて行かされた。男性社員は営業で出払い、沙苗さんは家事が終わると時々、店に来てパートのおばさんと留守番を兼ねて事務処理をしている。午後六時を過ぎると外に営業に出ている者が次々に帰って来る。

 彼らが受注した伝票を次々と整理してゆく。別所さんが帰ってきたのは五分前で「遅くなってすまん」と渡してロッカールームに行ってしまった。沙苗さんは慌ててチェックしている。

「もう七時廻ってるがなあ。あとはうちらがやっとくさかいは早うホテルへ行き」

 とパートのおばさんに背中を押されて、二人はカジュアルな服装で揃って店を出た。

「他の三人は仕事を終えて、もうとっくに店を出たのに、別所さんだけが今頃帰って来るなんて。今日は珍しわね」

「今日、相手していたのはなんか辛気くさいお客さんらしい」

 あらそうなのと丁度来たタクシーに乗り込んだ。あの人は熱心に相手の身になって使い勝手のいい、キッチンをまとめるって評判がいい。

「それで、お父さんは洋樹ひろきさんには、最初はあの人と組んで仕事廻りさせたのね」

 お義父さんがそこまで考えてくれていたとは初めて知った。

なんで息子さんが二人もいるのに、そこまでしてくれるんだろう?」

「知らないの。裕司ゆうじが丹波のかやぶきの里にひと月近くも旅館に籠もって、お父さんが往生してたのを、あれであなたの事をスッカリ気に入って仕舞ったのよ」

 お義父さんの店には、結婚と同時期に入社して、実家にも同居しているが此の話は初耳だ。

 あれは四年前の夏休みに、槍ヶ岳の山荘にバイトに行った時だ。何を考えているのか解りにくい男だと学生から評判の石塚が、丹波の山里の旅館にひと月近く閉じ籠もった。すると姉の沙苗さんに頼まれて、いや、けしかけられてた。かやぶきの里に逗留している石塚を引き戻しに行った。あの一件は沙苗さんから聞かされた。まさか、本当に困ってるのはお義父さんだなんて、それほど大ごとに言わなかった。しかしかなり強い意向だったと今更聞かされても、沈黙を続けたこの四年間の石塚親子ってなんだろうと思いあぐねた。

「どうして、今までの黙ってるのかなあ?」

「今もあなたには言わない。言えないのよ。お父さん、そう謂う人なのよ」

 へ〜え、一代であの店を築いた起業家には似合わない。これではどこがそうなのか解らない。仕事の話ではお義父さんとは、何処までもこちらから止めなければ、夜明けまで話す人が、次男坊になると貝のようになる。

なんか解りにくい説明だ」

 それこそ弟と変わらないと言われても、彼奴なら越村にすればお見通しなのに。

「一緒に得意先回りしているお店の古株の別所さんから何も聞いてないの?」

「あの人、仕事以外では余り喋らないんだ」

 子供頃には別所さんに可愛がられた沙苗さんには意外だ。他の社員についてはどうだろうと聞く前に、タクシーは四条河原町にあるホテルに着いた。

 夜の七時半に義父の計らいで、この日の結婚記念日にホテルのレストランでフルコースを予約していた。これには感謝以上に深い疑念も伴ったがタクシー内で沙苗さんのひと言で、まだ尾を引いているのか、と思い知らされた。石塚は何も知らずに今も親の援助を受けているのか。

 用意された席は窓側の見晴らしのいい場所だ。レストランの一角に少し間を空けた丸テーブルには予約席の札が掲げられていた。二人が席に着くなり札は直ぐに片付けられ、先ずは色彩豊かなオードブルが次に運ばれた。始めにグラスに注がれたワインでこの日を祝った。一口飲むと次に並べられたスープに手を付け出し、越村は前菜を咀嚼する。

「今日の此の設定は、お義父さんの罪滅ぼしなのか」

 ウフフと笑みを浮かべて「そうでもないわよ」と彼女も料理に手を付け出した。

 式が決まって双方の実家の段取りに追われ、ゆっくりできず一緒になれば、今度は石塚家に入り、家庭と仕事であっという間に過ぎた。結婚して一年目にしてやっと沙苗さんと、こうしてなんの気兼ねなく食事が楽しめた。



 

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