ハム子の獣人種事件日記

宮鴎羽海

第1章 ようこそ沢谷探偵事務所へ

第1話 ヒョウとハムスター


 教室の中で、あの子の姿はよく目立つ。


 彼女は左手で頬杖をつきながら右手にスマホを持ち、眺めていた。

 手元に向けられた視線は鋭く、元々つり目がちな翡翠色の瞳は更にキュッと尖っていた。


 いつも不機嫌そうな顔をしているから怖い印象を受けるけれど、瞳の色は宝石のように綺麗で、遠くから眺めるだけでも見惚れてしまう。

 肩にかかるか、かからないかくらいの微妙なセミロングは黄色がかった茶髪で、光のあたり具合によっては金髪にも見えた。わたしはそれが染めていない地毛であることを知っている。左右の耳には、校則違反なのにも関わらずピアスが開いていた。


 そんな彼女の席はわたしの斜め前、窓際の日当たりが良い席で、よく目に留まる位置。


 その子――豹辻ひょうつじ真矢まやさんのことを、わたしはずっと見つめてしまっていたらしい。


公子きみこ、豹辻さんのこと見すぎ」


 その言葉にハッとして目線をみんなに戻すと、友人たちは苦笑いしながらわたしを見ていた。今は授業の合間の休み時間で、この時間になるといつも、みんなわたしの席に集まり他愛のない話をするのだ。


「ご、ごめん、ぼーっとしてて……」

「いやいや。確実に豹辻さんのこと見てたでしょ」

「てか2年に上がって豹辻さんと同じクラスになってからずーっと見てるよ?」


 そ、そんなに熱心に見つめちゃってたのか……全然無意識だった。


「なんでそんなに、豹辻さんが気になるの?」

「え、ええと……」


 みんなから視線を向けられ、どことなく居心地が悪い。思わず身を縮め、視線を下げてまう。


「……公子さんって、豹辻さんとお話ししたこと、あるの?」


 ふと、他の友人たちよりも低めで、どこか不機嫌そうな声が聞こえた。

 そちらに視線を向けると、このグループの中でも特に仲のいい友達――園田そのだ美舞みむちゃんが、ムッとした顔でわたしのことを見つめていた。

 なんでそんな顔をしているんだろうか? わからないけれど……わたしはその問いに答えるのを躊躇ってしまう。


 会話したことは、ある。あるけれど、それはだ。


 なんと答えようか迷っていると、代わりに他の友人たちが声を挟む。


「え〜? 公子が豹辻さんと?」

「ないでしょ。だって……あの豹辻さんだよ? “伍十野町ごじゅうのまち女子高一の問題児”の」

「公子みたいな小動物、すぐ食べられちゃうでしょ」


 そう口々に言いながら、冗談まじりに笑う。美舞ちゃんも「それもそうか」という感じで、さっきまでのこわばった表情を崩して笑っていた。それにわたしはホッとしつつ……けれどもチクリと胸が痛んで、内心薄暗い気持ちになってしまう。


 クラスメイトや先生たちみんな、豹辻さんのことを怖くて近寄りがたい存在だと認識している。だからいつも、豹辻さんの周りには人がいない。みんな遠巻きで彼女のことを眺めて、ひそひそと噂話をしているだけ。今の状況がそうだ。豹辻さんの席近くには誰もいない。

 その空気にわたしは居心地の悪さを感じていた。心にモヤがかかって、憂鬱な気分。


 そんな気持ちを隠しながら談笑していると、やがて休み時間の終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。友人たちは自分の席に戻って行き、わたしは胸を撫で下ろす。

 美舞ちゃんが最後にわたしの席から離れて行ったタイミングで、教室に先生が入ってきた。


 わたしは教科書を開きながらまた豹辻さんの方を見る。斜め前の席だから意識しなくとも彼女の姿は目に入る……というのは建前で、わたしは豹辻さんのことを常に気にかけていた。


 豹辻さんは授業中でも堂々とスマホをいじっている。しかし先生はそれを注意しない。これはいつも通りの風景だ。

 こんな素行の悪い豹辻さんだけれど、わたしとしては、彼女はそこまで悪い子だとは思えなかった。少なくともは。



 ……って、あれ?



 ずっと豹辻さんの目線とスマホに目を向けていて気づかなかったけれど、いつの間にか


 つまりということになる。喜怒哀楽どの感情なのかはわからないけれど、可能性としては「怒」だ。なぜならさっきからずっとスマホ画面を鋭い眼光で睨みつけていたから。


 でも、一体どうしたんだろう? 今誰かと連絡を取っていて、その相手に酷いことを言われているとか?


 ……まさか彼氏とか? 返信がきてすごく嬉しくて感情が昂っちゃったとか。そんなまさか……でも豹辻さん、すごく美人さんだし、恋人がいる可能性は全然ある。


 ……なんだか、モヤモヤする。


「――花護はなもり、ぼーっとしてどうした」

「へ? あ、すみません!」


 気づくとわたしの机の近くに先生が来ていた。腕を組んでわたしを見つめている。

 その表情は授業に集中していなかったことに怒っているような目ではなく、心配しているような目つきだ。


「気分がすぐれないなら保健室に行くか?」

「い、いえ、大丈夫です」


 わたしはそう言って授業の準備を進める。後方から視線を感じた。きっとさっきまで話していた友人たちだろう。「また豹辻さんのこと見てる」なんて思っているんだろうなぁ。


 そんなことを思いながら、授業中なんだからしっかりしなくちゃと黒板に向き直り――



 ――――ガタンッ!



 そんな大きな音に、思わずびくりと肩が跳ね上がった。


 みんなも同じく驚いたようで、一斉にその音がした方を向いていた。その視線の先は、今の今までわたしが見つめていた、そこ。


「ひょ、豹辻、どうしたんだ?」


 豹辻さんがいきなり立ち上がったのだ。その拍子で椅子が倒れ後ろの机に当たり、大きな音が出たようだ。

 彼女は先生の言葉を無視して――いや、聴こえていない様子で、スマホの画面を食い入るように見ていた。一白あけてからものすごい速さで何かを打ち込み、それをスカートのポケットに突っ込む。後ろからなので彼女の顔は見えないけれど、ヒョウ耳がパタパタと揺れ、尻尾もふわふわ宙を漂っていた。


「豹辻、授業中だぞ、座りなさい」


 一瞬怯んだ先生だったけれど、すぐに鋭い目つきに戻って彼女に近づいていく。

 しかし彼女は、突然机の横にかかったバッグを取って肩にかけた。更に何を思ったのかすぐ横にある窓をガラッと全開にする。そして――


「おい豹辻、何を――」




 ――――窓の縁に足をかけ、ヒョイっと軽い身のこなしで、そこを飛び越えた。




「お、おい!?」


 先生の驚く声をきっかけに、クラス内が一斉に騒ぎ出す。突然の豹辻さんの奇行に、みんな驚きを隠せない。もちろん、わたしも。


「おい豹辻! 何をしている!」


 先生はすぐ駆け寄り彼女を捕まえようとする。しかしでは、身体能力に差がありすぎた。


 先生が伸ばした手は空を切り、豹辻さんは風のような速さでベランダの柵の上に脚力だけで飛び乗って、立ち上がった。クラスメイトたちは豹辻さんの奇行が気になったようで、彼女の方に駆け寄ったり、窓から顔を出して外を見たりし始める。わたしもそれに紛れて窓辺に近づく。


 彼女は尻尾を柵に巻き付け、落ちないようにバランスを取っているようだ。クラスメイトたちの頭の隙間から、わずかに彼女の顔を覗き見ることができる。


 彼女は笑っていた。何かドキドキしているような、楽しいことが待っているかのような、キラキラした笑顔だった。その表情にどきりとする。



 ――わたしはその顔に、見覚えがあった。

 昔一緒に遊んでいた時、よく見せていたあの無邪気な笑顔だ。



「豹辻! 危ないから戻りなさいっ!」


 そんなどこか懐かしい思いに浸っていたわたしを、先生の怒号が現実に引き戻す。豹辻さんはそんな先生の声を無視して――いや、まるで聞こえていないようで、風に髪をなびかせながら下を見下ろしていた。



 その様子に、わたしはある可能性が頭によぎった。まさか豹辻さん、ここから――



 そんなわたしの予想は、見事的中した。


 彼女は柵に絡ませていた尻尾を外し、何故か両腕を上下に揺らし始めた。更にその動きに合わせて軽い屈伸も始める。

 その光景には見覚えがあった。あれは体育のスポーツテストでやる――立ち幅跳び。



 ――てことはやっぱり!?



「お、おい豹辻、まさか――」

「――――よ、っと」

 


 小さな掛け声を漏らしてから、豹辻さんは――――飛んだ。



 それと同時に響く、クラスメイトたちの高い悲鳴。ここは3階なのだ。わたしも声が出そうになって口を押さえる。わたしは窓から顔を出して外を見た。


 豹辻さんは無事だった。流石の身体能力。で、柵の上から裏庭に生える大きな桜の木の枝に飛び移っていた。 そのままぴょん、と地面に上履きのまま着地する。


 ここで初めてわたしは、この一連の行動がこの教室から脱走するための行動だったのだということに気がついた。先生もそうだったようで、ハッと我に返ってベランダに出る。


「おい! 豹辻! 戻ってこい!」


 そんな先生の大声を無視して、豹辻さんは走って行ってしまった。きっと裏門から学校の外に出るつもりだろう。

 それを察したわたしたち生徒は、これからどうするのかと黙って先生を見つめ続けている。先生はしばらく頭を抱えていたが、やがて立ち直ったのか教室に戻り、教卓の前に立った。


「……それでは、授業の続きを始める。みんな席につきなさい」


 まだ授業が始まって十分も経っていないのに、先生はすっかり疲れ切った顔をしていた。



 先生の様子に同情しつつ、わたし自身も突然のことにまだ動揺して心が落ち着かない。けれども勉強は大切だ。この時間は苦手な歴史の授業だし。


 みんなざわつきつつも自分の席に戻り始めた。わたしも席に着き、とりあえず何も考えずぺらりと教科書を捲り、目線をやる。

 そのページはわたしが小学生の時から何度も先生に教えられてきたことが、簡潔にまとめられているページだった。




『――獣人種じゅうじんしゅとは


 大昔の戦争で日本は、人間に獣の血を掛け合わせ、猛獣の強い力や高い運動能力、野生としての本能に基づく闘争心を持つキメラ人間の兵器を造ろうとした。


 しかしその実験は、失敗に終わった。実験中に猛獣の血を掛け合わせられた被験者が人間としての理性を保てず暴走したからだ。


 その一件で実験は失敗、戦争に敗れてしまう。

 実験の被験者たちは既に血を掛け合わされた合わされていない関係なく保護され、やがて安全だと判断された彼らは普通の人間と同じように生活を始めた。

 

 その保護された被験者たちである「猛獣の血を持つ半獣人の種族」の子孫たちが、現在の「獣人種」と呼ばれる人々なのである。』



 そう。彼女、豹辻さんは、『ヒョウの獣人種』。

 そして――わたしの幼馴染でもあるのだ。」



 ⭐︎




 ――桜が風に舞って頭上から降ってくる道を、新品の赤いランドセルを背負って歩いていた、あの日。


 初めて行く学校まで、お母さんと手を繋いで歩いていると、『入学おめでとうございます』という大きな看板の前で、黄色と黒の斑色な猫の耳と尻尾を生やした、女の子を見つけた。


 母親らしき人の服を引っ張り、涙を浮かべていたその子は、1人で教室まで行くのを怖がっているようで。

 それを見たわたしはお母さんの手を離れ、そんな彼女の元まで駆け寄った。


 突然やってきたわたしに驚いているその子を気にせず、わたしはこう言ったのだ。



 ――いっしょにいこうよ! きっとがっこうたのしいよ!



 それがわたしの、豹辻真矢ちゃんとの1番最初の記憶――出会ったときの記憶だった。



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