第2話 婚約破棄
アシュランの女は”運命の糸”が見える。
これは迷信などではなく、古代魔法に由来するものだ。
発現するのは十五歳。
満月の夜だけ、自身の運命の糸を視認することができる。
「お義姉さま。」
「リアン……」
目の前で幸せと喜びをひた隠し、申し訳なさそうな顔で取り繕う二人。
向かい合わせのソファで、仲睦まじく義姉プリマと婚約者、いや元婚約者のハミルが座っていた。
リアンとプリマ達のから見て横に伯爵家夫妻も腰を落ち着かせていた。その様子に焦りは見えない。
「私、見てしまいましたの」
プリマは隣にいるハミルを見て、上目遣いでリアンを見た。
「あれは満月の夜——夜空に手をかざすと、私の運命の赤い糸がハミル様に辿っているのを」
思い出したのか、うっとりとした表情でプリマは自身の左手にある小指を眺めた。
「これは運命だと、そう確信しましたわ」
ほうっとため息をつきながらプリマはハミルに寄りかかる。クスクスと笑う声は鈴の音のように浮ついていて、現実味がない。
その仕草にハミルは顔をほんのりと赤くした後、小さく頷いてリアンのじっと見た。
「リアン。僕は、運命を信じたい。だから……、」
彼の確信めいた視線に、リアンはとうとう真剣な表情をかなぐり捨てた。
彼女の表情が「そうだと思った」と、「嫌な予感が的中した」と言いたげにうんざりとしたものへと変わっていく。
「僕たちの婚約を解消してほしい」
よく言った、と父がうんうんと頷く。
プリマは眉を八の字にしてハミルを熱心に見つめている。
義父の態度に背中を押されたのか、彼は立ち上がりさらに声は張り上げた。
「……そしてどうか。
公の前でなくてよかったと、そう思えばよかったのだろうか。
「……」
公爵家との繋がりを作るためのハミルとの婚約。
契約としてハミルを伯爵家当主に据えることが条件だったはずだ。
父としても公爵の血が入ることで箔がつく。ウィンウィンな関係。
愛娘の運命の相手が、元々婿入りする予定だった公爵家の男。
首から上を替えれば、性別も流れる血の比率も変わらないので誤差の範囲。
まさに棚から牡丹餅。
「……そうですか」
正式に、伯爵家の
「リアン?」
「おいリアン、姉としてもっと他にないのか」
「そうですわ。プリマがどれほどあなたを慕っているか。今回の決断が、どれほどの苦痛だったか!」
ハミル、父、義母。
彼らの口は閉じることを知らない、夜明けのニワトリ。
そして——
「ごめんなさい……お義姉さま」
泣きたいのはこっちだ、とリアンは唇を強く結んだ。
だが泣き崩れることを、彼女の矜持が許さなかった。
目の端に熱が集まる。心臓が嫌な音を立てていた。
ずっと抱えていて、目を逸らしていた現実。
リアンというピースがなくとも成立している、家族。
仲睦まじい二人。
沈黙と、部屋に漂う浮かれた気配。
——パチパチパチ。
気づけばリアンは手を叩いていた。
「おめでとう」
喜びも、悲しみも、恨みも。
何の色も乗っていない、抑揚のない声が落ちる。
その態度に動揺を露わにしたのは、他でもないプリマだった。
「お、お義姉さま……?」
喚きも、皮肉の一言も口に出さない。予想とは異なった反応に彼女は困惑した。
だがそれも二度目の「おめでとう」という言葉にかき消される。
「おめでとう。ハミル、これからプリマをよろしくね」
「へ? あ、あぁ。もちろんだ」
靴を履けばほとんど変わらない視線の先で、線の細い年下の男が狼狽える。
座ったままのプリマは立っている二人を緊張げに見つめた。
リアンは次に、椅子に座るプリマへと言葉を投げかける。
「そしてプリマ」
「ぁ……何かしら、お義姉さま」
「自分で運命を手繰り寄せたのね。素晴らしいわ」
リアンは立ち上がる。外していた剣を腰に携えた。
彼女のスラリとした立ち姿は凛として、誰も寄せ付けない力強さがあった。
「アシュラン家の歴史の中で、運命で結ばれた夫婦は永遠の繁栄をもたらす。その瞬間に立ち会えて光栄だわ」
アシュランの血を引く女が必ず「運命の糸」を視認できるわけではない。
高い魔力を保持し、運命を自ら掴み取る力があるとされる者にのみ授けられる祝福。 曖昧だが、鑑定のスキルを持ってしてでも調べられる代物ではない、古代の遺物。
ようは言ったもん勝ち。
だが、おいそれと口にできない事情がある。
「あなたの
それは古くからアシュラン家に伝わる口上。
一昔前、アシュランの目は吉凶の印とされていた。
「運命の糸が見える」と一口に言っても、ただ本人に運命の相手をもたらすだけの古代魔法の生き残り。しかし同時に、「高い魔力を保持している」証拠でもあった。
世の中そう甘くない。
誘拐なんて日常茶飯事で、量産や改良実験の道具にされたり、洗脳され軍事利用されるケースもあった。そしてオークショニアや好事家、カルト宗教には何が楽しいのか目ん玉を狙われる。
プリマの立ち位置は「愛人の子供」で、弱い。
貴族社会でそのハンデは時に足を引っ張る。きっと彼らのこと、とりわけ父親のことだ。
正当性を主張するために社交界では大々的に「運命の糸」が見えると触れ回るだろう。
誰かに伝えることは諸刃の剣で、存在自体が解明されていない表裏一体の代物だというのに。
「それでは公務がありますので、失礼します」
リアンは礼をとり、部屋を去った。
最後に彼女から向けられた、哀れなものを見るかのような顔。
それを見て、吉報のはずの四人がポカンという顔をした。
——母方の実家の養子にでもなって、騎士爵の称号を得よう。
職場へと足を運びながらリアンはそう思った。
ふと、先ほどの四人の顔を思い浮かべる。
最後に残しておいた好物を取り上げられたかのような、滑稽な表情だった。
△
今の義姉も、前の義姉も、頭はいいが馬鹿だ——、とプリマは思った。
面白いほど上手く進む人生。
それに対してあの女はどうだろう、と嘲笑を抑えるのに必死だった。
あの鼻につく目障りな実母を失い、当主である父からの愛情も失い、長年婚約し愛していたはずの公爵家の男も失った。
「なんて……滑稽なのかしら」
剣を振るう力があっても、弁の立つ口と、よく回る頭があっても、結局誰にも愛されなかった女。
義姉は頭はいいが馬鹿だ。
どうして笑わずにいられよう。
伯爵夫人の尻に敷かれてプリマが死ぬまで外に囲うことしかできなかった、父。
いつもいつも「私が安らげるのはここだけだ」と言っておきながら、妻に知られると「違う! この二人は!」と弁明する、情けない男だった。
母もそうだ。父に捨てられそうになったらプリマを売ろうとした。それを止めたのがリアンの母で、気位の高い、プライドが息をしているような女だった。当時、遠目から見たリアンも母親に似た、そんな子供だった。
そして公爵家からの婿、ハミル。
プリマに「愛している」、「将来は必ず一緒に暮らそう」、「幸せにしてあげる」と宣いながら、とうとうリアンと結婚した。
結婚後も彼はプリマの元を訪れた。「リアンとの結婚はもううんざりだ」と囁きながら。
彼を愛しているのは自分なのに、と歯軋りをする夜が何度あっただろう。
だが、それもこれも——
『はじめまして、お義姉さま! 私はプリマ』
口うるさい家庭教師に教わったカーテシー。
あれだけでお義姉さまは、絶望の淵に立たされたような表情を顔に浮かべた。
それがプリマにとって、なんとも言えない快感だったのだ。
なのに、それなのに——!
「——おめでとう、ですって?」
たったそれだけの言葉で片付けていいものか。
「見てなさい、リアン・アシュラン」
私が受けた苦しみや屈辱はそんなものじゃない、とプリマは夜空を見上げる。
「運命の糸」が見えると言えば、幸せが訪れると思っていた前の自分。結果はどうだっただろうか。
愛していた人に苦笑いで返され、父には「黙っていろ!」と罵られた。
誘拐され、片目を抉られ。オークションにかけられ、実験のモルモットにされ、儀式に駆り出され、最後は暗闇の中で変態どもに嬲られた。
ガラクタの身体を掬い上げてくれるのは誰でもなかった。
「この二度目の人生。アンタの幸せを全部、全部、」
——運命が見えると嘯いた、愚かな小娘、よくも……
死の間際に囁かれたその言葉になんの意味があるだろう。
きっとそう、あれは死神か何かだ。
「全部奪ってやる——!」
苗字を持つことを許されなかった、前のプリマはもういない。
二度目の人生はすでにこの手中にある。
暗い部屋で、プリマは狂ったように笑った。
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