84歳の理事の失敗の顛末

タキコ

第1話 84歳の理事の失敗の顛末

    84歳の理事の失敗の顛末

 

 私の終活と思いながらも、この年まで頑張れた。

仕事は介護の仕事、やりがいのある仕事でした。



 新規の利用者の方のサービスが始まると、会議が始まる。ケアマネージャ、医師、看護師

事業主、(私の会社、訪問介護)が参加して会議、その時に年配の私を利用者様と思い違いから始まるときがある。



 笑い話から始まり訪問介護の仕事ができる。



 近所の方なら私が行くときもある。私は調理師免許持っているので料理が楽しいので

訪問に参加する。



 事業所のヘルパー、介護福祉士が私のすること見て、やりすぎと文句がはじまる。



 2時間ほどで10品造る。その後そこの訪問は誰も行かない。



 これも私の失敗談です。



 最近の話なので、つい、気持ち高ぶり情けない表現お許しください。

いつのころからか、賃金用に補足する金額が、働いた会社の入金額を、上回り赤字補填額をここ数年で3千万円になりました。



 これ以上の補填はきりがないと思い、介護事業は市の監査部に廃業届け出して高齢者支援、障がい者支援、重度訪問、全て介護士と共に他事業所に移行しました。利用者様には

ご迷惑はかけないで、すみましたが介護士さんはどうかな?



 私の会社より良いといいのだけれど・・・



 私も確実にいずれは介護受けると思いますがその時は私の事業所でと思いましたが

残念、それは無理になりました。



 しかし廃行する前にご縁があった人と行き来して、仕事以外のお付き合いがあります。

  



 この利用者さんは年が孫ほども離れているのに事業所解散しているのに

まだお邪魔することがあります。



 それはとても性格の素直な方で話が楽しいので迷惑なら言ってね。と、強引に訪問します



 大学まで行かれて頭の言い方です。私はといえば夜間中学校経験者なので、話をして居ると楽しいです。

  いつも伺えば視点の違う話が聞けます。

 


  私は物語とかエッセイを書くとき経験不足で貧乏話ばかり、嫌になる



 その事もよくご存じで顔にも出さず話をされます。



 感謝、感謝、楽しい友達が出来ました。

何度かカクヨムに投稿するとよくいいねを頂きます。これからは旅の話とか、介護食の話とか書きたいし、いつも家の中の食事、買い物、頑張っています。


 アシスト付きの三輪自転車で平坦な道を選んで買い物。


 それが、今の私の足替わり。



 倉敷市児島の街は坂が多いがこの三輪自転車は坂道、スイスイです。



 間欠跛行(脊柱管狭窄症)の症状、があります。長くは歩けない。残念



 でも私は自分で話すのも気が引けますが、結構頑張ります。



 つい最近ですが、岡山の街、用事があり杖で歩きました。1万歩程休み、休み、ですが


 なるべく元気でいたいけど思いとうりにはならないですね。



 私の住む町は坂が山から海までが近い。生まれた町の神戸に似ている。


 神戸の街も六甲の山並みから海までが2キロぐらいかな。


 大阪湾の海の砂と六甲山の頂の砂と同じ成分だそうで、と、それはあの阪神淡路大震災が

もたらす原因が想像できます。



 人は生きている限り怖い思いたくさんします。最近はテレビで生中継を見ることがあり

地震、津波、事故、火事、きりがない。



 呼吸整えて、サー今日も頑張るよ、自分に言い聞かせる。


 84歳の人間がここにいるよ。



 元気でいれば、じかんはある。

楽しいことは時間が足りないくらいある。園芸、今は豌豆、サヤエンドウ.実を食べる

 アラスカ、小松菜、鉢植えのサボテン、多肉、庭でできた花を生ける、今は水仙がきれい



 水仙で行けたらすっきりした形になるね。



 仕事を辞めても次から次にとしたいことは広がる。



 草もきりなく生える。

草抜きをしていると無心になれて楽しい時間だ。



 いつまでも元気で居たいけれど、そうもいかないだろう。

その時まで無心で楽しもう。84歳の暮らしです。 




 



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84歳の理事の失敗の顛末 タキコ @takiko19

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