十度目の現実 [KAC20254]

蒼井アリス

十度目の現実


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。しかも9夜連続で。


 あの夢はアラフォーのおじさんが見る夢じゃない。あれは性欲ピークの男子高校生が見る夢だ。体力に自信はあるが性欲まで元気ハツラツなのはどうかと思う。少しは落ち着け、俺の下半身。


 大阪出張10日目。ホテルで毎夜見る夢は恋人を情熱的に抱く夢だ。

 夢の中の恋人は美しく妖艶で、何度見ても惚れ直す。だが、朝目覚めたときに腕の中に恋人がいない事実に落胆するのは精神的に堪える。地理的に遠いということがさらに気持ちに追い打ちをかける。

 普段なら会いたくなれば車を走らせて会いに行く。だが今は遠い、遠すぎる。車を走らせて簡単に会いに行ける距離じゃない。


「あー、今日も一日スケジュールがぎっしりだな。これじゃあいつに電話をかける時間もない」


 今回の仕事は要人警護。わざわざ出張までして警護をしているのは、警護対象者が俺を指名したからだ。

 昔から世話になっている恩人のご指名で受けた仕事だが、俺の本職はボディーガードではない。探偵だ。身体がデカくて格闘技も得意だから俺に声をかけたのだろうが、あのオヤジの本音は気心の知れた者を側に置きたいだけだろう。堅苦しい仕事をしてるくせに堅苦しいことが大嫌いな変人だから側近たちは苦労している。見ていて気の毒なくらいだ。


     ****


「あのオヤジ元気すぎんだろ!」


 一日の仕事を終えて俺はホテルに戻り、スーツのジャケットをベッドの上に放り投げながら悪態をついていた。


「年齢は俺の倍以上の年寄りのくせに俺より元気に夜の街に繰り出して遊びやがって。あのオヤジが楽しんでいる間ずっと警護してる俺の身にもなってくれよ。大人しくホテルに帰ってとっとと寝てくれれば洋介に電話をかけて声だけでも聞けたのに。あのオヤジわざと俺をこき使ってる。夜遊び中もニヤニヤ笑いながら俺に『苦労をかけるな』と心にもない言葉を吐きやがった!」


 ネクタイを緩めながらも悪態が止まらない。


 ――コン、コン、コン


 ドアをノックする音


「まさかまだ働かせる気か!」


 ドアの向こうにいる人物に聞こえるようにわざと大きな声で俺は不満をぶちまけていた。

 怒りに任せて勢いよくドアを開けると、そこに立っていたのは俺の雇い主ではなく、最愛の恋人だった。


 俺が驚きのあまり言葉を失って突っ立っていると、「なんだ、入れてくれないのか?」と冷静な声で問いかけられた。

 俺は「あっ、悪い」としか答えられず、ドアを押さえたまま身体を引いて、恋人を部屋に迎え入れた。

 呆然と突っ立ったままの俺に「仕事が一段落したから最終の新幹線に飛び乗った。迷惑だったか?」と訊く恋人は、驚きのあまり棒立ちで固まっている俺をからかうように「そうか分かったよ、邪魔して悪かったな」と部屋を出て行こうとする。


 そうはさせるかと俺は慌てて恋人を抱きしめた。


「お前、どうしてここに?」

 腕の中の恋人に俺は訊く。

「お前の雇い主から電話をもらったんだよ。毎日の長時間労働でお前の機嫌が悪くてかなわないから時間の都合をつけて大阪に来てくれないかと頼まれた」

「あのタヌキオヤジが?」

「お前、雇い主に向かってそれは失礼じゃないか?」

「いいんだよ。俺がタヌキオヤジと呼んでいることは本人も知ってる」

「お前らしいな」と微笑む恋人の顔を見ていると今までの疲れがすべて溶けて消えていく。


「お前のネクタイ姿は久しぶりだな。いい男だ」と先程までの冷静な声を甘いトーンに変えて囁く恋人に俺は熱い口づけを落とす。


 その夜は毎夜見ていた夢と同じように恋人を情熱的に抱いた。

 心も身体も満たされた俺は深い眠りに落ち、10日ぶりに爽やかな朝を迎えた。


 昨夜の出来事が十度目の夢かと一瞬錯覚したが、夢でなかった証拠は今俺の腕の中にある。無防備な寝顔を見せる恋人の体温が、これは現実だと教えてくれる。


 俺は、恋人の頬に唇を近づけながら「愛してる」と呟いた。



 End

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十度目の現実 [KAC20254] 蒼井アリス @kaoruholly

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