今宵はビート・イット

真野てん

第1話

 天正十二年。

 前年に近江賤ヶ岳しずがたけの戦いにおいて、織田家筆頭家老・柴田勝家に勝利した羽柴秀吉はイケイケだった。


 一方、織田家当主の座を勝ち取るために、一度は秀吉と手を組んだ織田信雄(信長の次男)は「尾張の百姓サルが調子こきやがって」と内心穏やかではない。


 そうこうしているうちに悪い予感は的中するもので、清須会議で決まった通り、秀吉は織田信孝(信長の三男)から取り返した三法師(信長の孫、のちの織田秀信)を織田家当主の座に据えたのである。


 かくして後見人ですらなくなった信雄は、秀吉にどうにかして一矢報いたいという思いから徳川家康、長宗我部元親、北条氏政らの協力のもと、いわゆる小牧長久手の戦いに突き進んでしまうのである。


 結果的には織田信雄の軍は歴史的大敗を喫する。

 しかし池田恒興(信長とは乳兄弟)、森長可(森蘭丸の兄)らを家康との協力のもと相次いで討ち取ると、さすがの秀吉も「なにやっとりゃーす! 負けとったらかんがね!」とご立腹モードである。


 つい最近まですべてが思うままだった秀吉にとっては、局地戦における連敗というささやかな瑕疵すら許されなかった。

 そんな狭量さの極みのような彼の性格が、敗走する家康の軍を二万とも三万とも言われる大軍で追走したのであった。


 史実では、秀吉自らが戦場である龍泉寺付近に到着した頃にはすでに決着がついていたという話だが、この時、じつはこっそりと戦況の覗いていたのである。


 場所は龍泉寺川の挟んだ高台。

 敵はわずか五百の兵をたよりに、数万の秀吉軍に立ちふざがっていた。その先頭に立つ益荒男こそが言わずと知れた本多平八郎忠勝、そのひとである。


 牡鹿のツノをあしらった兜に、巨大な笹穂の刃をもった天下三名槍のひとつ蜻蛉切。

 立っているだけで敵を威圧する風格と、鋭い眼光に、遠く離れて見ているだけの秀吉は震えあがった。


「ありゃ反則チートだがね。人じゃねえわ」


 両軍が対峙すること四半刻。

 忠勝はおもむろに単騎で川辺へと攻め寄せ、秀吉軍に緊張が走る。

 しかし彼はこともあろうか、この戦場の只中で騎乗する馬に川の水を飲ませてやっているではないか。


「ほっほー! 大したタマだがや。おみゃあら、あれこそが忠臣の鑑! よく見ときゃあ!」


 身を挺して主君の逃げる時を稼ぐ忠勝の姿に、秀吉はおおいに感銘を受け、配下たちに手出し無用と通達を出すが――。


「あ、あれ? なんかおかしない? あのひと急に踊りだしよったがね」


 そう。

 馬に水を飲ませたあと、忠勝は蜻蛉切を縦横無尽にふるい、舞いをひとさししている。

 見ているこちらの胸を打つような激しい動き。

 そしてなにより蜻蛉切の刃に刻まれた樋(穂先に掘られた溝)が鳴らす、びゅんという強烈な風切り音が相対する兵士たちの恐怖心をあおった。


「……なるほど。あの音でビビらして、相手の戦意をそぐんだがね、おみゃらよく見」


 と、秀吉が関心していると、忠勝の奇行はさらにレベルアップした。


「……あ、あんひと、なんで寝とるん?」


 ひとしきり踊り終わると、今度は河原に床を敷き、がーがーとよく響くいびきを立てて、忠勝は寝てしまった。

 戦場のど真ん中でである。


「いや、あの、たしかに主君と枕を並べて討ち死にするとはよく言うけども、そういうことじゃないんよね……」


 のちの天下人・豊臣秀吉も、このときばかりは「勝てん」と思ったらしい。


 さてはて。

 これより先、秀吉VS家康の勢力図を決定づけたといわれる小牧長久手の戦い。

 戦国最強と謳われる本多忠勝の、もしかするとこんな活躍があったのかもしれない。


 断言しよう。無いと。

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