第5話 王族の試練と責務

「イライザ嬢、お久しぶりです」


 王都への一時期間が許されたイライザとヘンリーが密かに応接間に訪れると、出迎えたのは第二王子――そして今の王太子のアンドリューだった。

 ヘンリーと似た背格好だが、こちらは体格が良いせいか一見騎士然としている。彼はイライザの手を取って、長手袋の甲に恭しく口付けた。


「失礼ですが……反逆者にすることではないですよ……」


 イライザが慌ててさっと手を引くと、ぎこちない笑顔を浮かべた。単なるスキンシップだが、名ばかり婚約者のはずの視線を背中に感じ、何となく気まずい。


「本日は一段と素敵でしたので、つい。それにそもそも兄上の巻き添えではありませんか――ね、兄上?」

「……」

「……彼女の手袋を取れないようにしたのはあなたでしょう?」


 責めるような響きがあって、ぎくりとイライザは背筋をこわばらせた。


「ヘンリー様がゴムを取り寄せてくださったおかげで、皆さんもより安全にこんにゃく作りができるようになったんですよ」

「……生の蒟蒻芋は、素手で触ると危険だからな。その上、凝固剤も刺激が強い」


 ヘンリーはちらりと視線を送る。イライザの手は、夜にはヘンリーが贈ったハンドクリームが塗られているが、それでもしばしば蒟蒻作りと農作業で、貴族の令嬢にはほど遠かった。


「彼女の手を荒らしたのは確かに俺の咎だ。だが淑女にふさわしくないと言うなら……それは勤勉な民への侮辱だ。そして多くの国民の健康や家事を軽視した指導者全てにも責任がある」

「そこまでご自覚がありながら、ドレスで独占欲を発揮するのですか。……彼女に次の縁談が持ち上がっていることはご存じないのですか」


 アンドリューの顔には笑顔が浮かべられているが、声には不快が隠れていない。

 対して、受けるヘンリーは気まずそうに目をそらした。

 独占欲と言われてイライザが自身を見下ろせば、確かにヘンリーの瞳と同じ色をしていた。思わず顔が赤らむが、全く意識していなかったので強く否定する。


「……これは果物の、マスカットの色ですので殿下は無実です。それより縁談とは……」

「それほどはっきり否定されるなら、婚約破棄は問題なさそうですね。まだ検討中ですが、次の候補は俺の従兄弟に当たる近衛です」


 アンドリューがちらりと視線を後ろに送ると、控えていた男性が控えめに一礼した。

 従兄弟と言われて気付いたが、王弟殿下にどこか似た雰囲気で、ヘンリーより頭一つは背が高くたくましい。


「まさか蒟蒻の売り込みのためだけに登城が許されたと信じていらしたんですか? お可愛らしい」


 アンドリューの手が伸びて、イライザの手を再び恭しく取る。


「……無理強いはいたしません。お相手は彼でなくとも良い、と陛下は仰せです。

 ですが黄金の蒟蒻復活に力を入れておられたご令嬢と知られて、外国から縁談の手紙が届くようになってしまいまして。早急に国内からお相手を、と望まれています」

「……お父様は心配させないように、と何も仰らなかったのですね。では、ヘンリー様は……?」


 手を取られたまま、イライザは迷った。目をそらしたまま、合わせてくれない。


「……ご存じだったのですか?」

「……」

「少しは話してくださるようになったと思ったのは……勘違いでしたか?」

「いや」


 ヘンリーは弱々しく消えていくイライザの語尾に首を振ると、顔を上げて弟を見据えた。


「アンドリュー、彼女は素直なんだ。持って回った言い回しで試すのはやめてくれ」

「そうでしたか、申し訳ありません。

 ……イライザ嬢、兄上もアッシャー伯爵も、縁談についてご存じありません。

 俺がお迎えにあがったのは、前もってお二人にお伝えしておこうと思っただけです」

「……陛下はいつこちらに?」

「あと半刻ほどで。……では身勝手な兄上、ご武運を」


 にこりと微笑むと、アンドリューは手をひらりと振った。護衛の騎士や控えていたメイドも後を付いて部屋を出て行ってしまう。

 姿が消える寸前、あいつめ、とヘンリーが悪態を小さくつくのが聞こえた。


 それから小さな応接室のソファにお茶と共に残された二人は、手持ち無沙汰になった。


「デザート、うまくいっているでしょうか」


 反逆者が持ち込んだ食材は食べてもらえないだろうと、蒟蒻のゼリーなどはレシピだけを先に国王側に渡してある。

 一番美味しいできたてのところをあげられればいいのだけど、とイライザが気をもんでいると、戸惑ったような声がした。


「次の婚約のことより、蒟蒻が気になるのか?」

「婚約破棄は先のことでしょう? ヘンリー様のお考えになった新しい商品、いえ社会福祉の方が先に解決すべき問題かと思いますが……?」

「……その次のことは考えているのか?」

「私がここで新商品を広める件は承りました。ですが月の半分は東に戻って、当初の予定通り新品種の開発を一緒にしたいと思って――」


 言いかけて、ヘンリーの顔が沈んでいることに気付く。


「……戻って、か」

「どうかしましたか?」


 うん、と頷いてから、彼は躊躇いがちに口を開く。


「実は、あのこんにゃく破棄」

「もう気にしてませんよ」

「じゃなく。……俺が噛んでしまうのは、王家の呪いのようなものなのだ」

「……呪い?」


 それは初耳だ、とイライザは首を傾げた。


「王家の試練とも呼ばれている。我が王家には大事なところで噛みやすくなるクセがあるのだ。

 蒟蒻をよく噛むようにという神の思し召しかもしれないが、この試練を乗り越えられたなければ指導者には不適切――家族の誰もが知っていることだ」

「ではずっと、ヘンリー様は自ら王太子には向かないと周囲に知らせてしまって……。……そんな」


 学生時代も、立太子してからも、ここぞと言うときに時折噛んでいたことを、そのたびに何とかごまかしてきた彼をイライザは隣で見ていた。

 それでも国王陛下は順番通り、長男のヘンリーに継がせようとしてきたのだろう。あの決定的なこんにゃく破棄が起こるまでは。

 そしてそのために、今までの王太子としての努力は価値がないと見なされて――イライザの胸に何かが沸き起こって口にすれば、ヘンリーは首を振った。


「そうだが、今言いたいのは、そうじゃない。破棄した理由のもう半分、あなたと暮らすことも、あなたが王妃になるイメージがつかなかったからだ」

「……ええ、この半年で、今日も思い知りました。私はどうやらお城より畑仕事の方が向いているみたいですし」


 そう答えれば、ヘンリーは立ち上がって窓際に立った。掛けがねを外して窓を開ければ、昼の日差しに王都の町並みと、取り巻くように広がる畑や牧場が見え、その先には雄大な山々があった。


「それにあなたは、王族の間で生きるには素直すぎるし、お人好しすぎる。

 このままでは、蒟蒻粉を入れ放題にして未来の王太子妃という型で成形されてしまう。

 ……それは俺も同じだった、自分を偽り続けてきた――大事なことだ、だからあの時、噛んだんだろう。この半年は自分と互いを見つめ直すのに必要な時間だったんだ」


 イライザは、ヘンリーが自分を蒟蒻に例えてくれる――ほど蒟蒻への抵抗が低くなっていることを密やかに嬉しく思いつつ、声のトーンが変わっていることに気がついた。


「ヘンリー様……?」

「弟の話を聞いてよく分かった。今回俺たちが認められれば、陛下はアッシャー家の立場を考え、きっとあなたの手柄にすると思う。だから、そうしたらすぐに婚約を破棄しよう」

「それは、どういう……」

「今なら婚約相手を自由に選べる。全世界の他の蒟蒻芋や菓子を見に行くことだってできる」


 振り向いたその若草のような緑色の目に、優しげな笑みが浮かんでいて――イライザは背筋が凍った気がした。

 反逆をしたいと言ったときよりもずっと怖かった。

 自然と近づいて、両手を取って、顔を更に近づけた。

 顔が目と鼻の先にあるが、頬を赤らめたヘンリーと違ってイライザのたぬきに似た顔は気迫に満ちていた。


「それは、駄目です」

「何故だ」

「あなたは今、私に外の国を見る夢を託そうとされたでしょう? お一人で、この国に残って隅に追いやられて、どうにかされようとするのでしょう?」

「もともとそれが、無意味に王太子になって、国を乱し弟に押しつけた俺なりの責任の取り方――」

「王太子にしたのは陛下です。素直にさせなかったのは私もです。

 ヘンリー様も王族に向いていないと仰るなら、隅っこにいるなら、一緒に外国を見に行きましょう。どうせ私が見てもよく理解できないんですから、ヘンリー様が必要になるはずです」

「……何を言い出すんだ、どうせ言っている意味が分かっていないだろう」

「お約束したじゃないですか、新品種を開発するまでは一緒ですって」

「婚期を逃すぞ」

「大丈夫です、どうせ我が国は婚期より蒟蒻の方が大事だって言い出す男性ばかりですから」


 何を言っているんだ、とヘンリーが手を払おうとして、がっちり捕まれていることに気がつく。元気になったとはいえ農作業を毎日のようにしているイライザは容易に振りほどけない。


「……イライザ、離してくれ。分かった、分かったから――あっ!」


 もみ合いになっていると扉が開いて、見知った顔がみっつ、現れて二人は硬直した。


「もう入っていいかしら?」

「――ずいぶん親しげではないか。あれだけ婚約破棄を望んでいた様子だったのになあ、伯爵」

「お父様も、お前の蒟蒻を見に来たはずだったんだが」


 いつからいたんですか、というヘンリーの問いに、国王と王妃、それにアッシャー伯爵は顔を見合わせた。

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