逃亡者と追跡者

MACK

* * *


 首元に突き付けられた刃が、ヘリからのサーチライトをかすめて一瞬白く光る。相手の暗闇に慣れた瞳を焼く閃光が作ってくれた隙を、逃す気はない。


 暗殺組織「メメント・モリ」の天下無双のエースと謳われた事もある私の体は、自然と腰を落とすだけで容易に彼の腕をすり抜けると、続けざまに足を払う。が、相手はさすが現エース。反射神経だけで見事避け、回避の動きから自然に攻撃に転ずる。姿勢を整える途中の私は防御もままならぬまま、蹴りを脇腹に受けて弾き飛ばされる。


「跳んだか」


 低く無感情な声。蹴りが入る瞬間に跳ねる事でダメージの軽減を計っていた事は、容易に見破られたがそれも想定内。相手の蹴りで得た勢いで体勢を整えるが、もはや手持ちの武器はない。防御一辺倒では埒が明かないが、相手の武器を奪えれば勝機はあると、諦めるつもりはなかった。


 暗闇での、逃亡者と追跡者の攻防は続く。


 組織の鍛錬場で何度もこの相手とは体術の訓練をした。癖も動きも体に染み込むぐらいに手合わせしたが弱点を見つけられないまま、私は二つ年下の新人にエースの座を明け渡す事になった。並ぶ者なしと言われていながら、越える者はいたという事実は笑えない。


 訓練時に「死の舞踏ダンス」と畏怖をこめ呼ばれたトップアサシンの生死ギリギリのやり取りは、今ここでも。

 男と女の体力の差、腕力の差を言い訳にするには悔し過ぎた。体の柔らかさや俊敏さは自分が有利だったはずなのに。


 それを思い出し、理由曖昧な涙が沸きだした事で視界がぼやけたのは失敗だった。あっと思った時には視界はまわり、背中に強い衝撃を受けて、カハッと音を立てて空気が押し出される。「終わった」と思ったのに、次に襲い掛かったのはナイフを突き立てられた熱さではなく、猛烈な息苦しさだ。酸素を求めてもがく両腕をも地面に抑え込まれてはじめて、首を絞められているわけではない事に気づく。


 息が切れて必死に酸素を欲する口は、相手の唇でふさがれていた。

 苦しさとわけのわからない感情で涙が溢れる。やっと解放されて目を開ければ、間近に見える日本人らしい闇に溶け込む黒髪黒目。かつては自分同様、感情のないガラス玉のようだった瞳に、わずかな揺らぎ。


「何故、組織を抜けようとした」

「だって……」


 身よりなく幼き日に身体能力を買われて入った組織は、”正義”を感じさせた。腐った政治家を、法で裁けぬ巨悪を、人々のために密やかに闇に葬る。だけどその実体は、金に汚れ、ただひたすら組織躍進を阻む壁の排除。ターゲットの妻子という理由だけで、安易に狩られる罪なき命。

 己の心を殺し、無感情な組織の操り人形として手を汚して来たけれど……。


 自分を超える相手に抱いた憧れと反発心は複雑に絡み合って、表現しがたい感情に育ってしまった。これが恋だと自覚した瞬間に死んだはずの心は蘇り、罪を自覚し、人を殺める事を嫌悪するようになってしまえば、暗殺など最早やれるはずもない。


「許される事ではないとはわかっていたけど、普通に布団の上で眠るように死ねる人生を歩んでみたいと思ってしまったの」


 叶わぬ望み。今までの自分の所業を想えば許されざる夢だ。だけど、手を伸ばさぬままに諦めるには輝かしくて。

 組織から逃げようとすれば、追手になるのは現ナンバー1の彼になるという事も、わかっていた。


「それが叶わないなら、せめてあなたの手で死にたかった」


 「さあ、ひと思いに」と体の力を抜けば、軽々と抱き起こされる。驚く私をたくましい腕が柔く包み込む。


「二人で逃げる、という選択肢もある」

「何故」

「命令をされたから、追いかけたわけじゃない。惚れた女を追うのは男の習性だろ」

「え」

「おまえの願いは、俺が叶えてやる」


 戸惑う女の手を引いて、ビル街が作る暗闇の中に、二人は溶け込んで消えた。



(終)

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逃亡者と追跡者 MACK @cyocorune

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