――きいぃぃいいいっ！　ひぃやあああああああ！

　普段であれば閑静（かんせい）な、午後の住宅街に突然の金切り声が響き渡る。

　人のものではあろう……が、ひどく耳障（みみざわ）りなそれはまるで狒狒（ヒヒ）か怪鳥（けちょう）の如く。

「……これは、また。認識阻害（そがい）の術がなければ誰かに通報されかねません」

「山奥とかに移せなかったんですかねえ。とっとと行きましょう」

　通りを行く人々が何事かと足を止める中、逆に一組の男女だけ足を速める。

　男女……と言っても、体格には親子ほどの差があった。

　小柄な娘と長身の男である。

　共に和装であることも合わせ、ここまで相当に人目を集めている。

　が、どちらも周りを気にする風さえなく、飄々（ひょうひょう）とその場を歩き去っていく。

　後に残された通行人たちは、今し方、見聞きしたものが気のせいだったのかというように一瞬だけ怪訝（けげん）そうな表情を浮かべた後、ゆっくりと歩き出した。

　　　　　◇　◇　◇　◇　◇

　そこから程近い、とある邸宅の屋内にて。

　モルタル仕上げの壁に取り付けられた遮音扉（しゃおんドア）が、バンバン！と激しく内側から連打され、蝶番（ちょうつがい）が吹き飛ばされんばかりに軋（きし）みを上げていた。

　僅（わず）かに開いた隙間より凄まじいがなり（ヽヽヽ）声が甲走（かんばし）る。

「もう、やめてくれえ。なにが不満だ。どれだけ金を使ってやってると――」

「アタクシは悪くない、アタクシは悪くないわ……そうよ、アタクシは精一杯、母親をやってた。どうしてアタクシだけがこんな目に……アタクシは悪く――」

　扉の前、廊下の隅には身なりのいい中年男女が何やらぶつぶつと呟（つぶや）きながら、それぞれ己（おの）が身を抱（かか）え、床に蹲（うずくま）っている。

　そんな様子に苛立（いらだ）ったかのように、ガゴォ！と一際大きな破砕音が上がる。

　衝撃に耐えきれず枠を外れ、本来の可動域とは異なる廊下側へ小さく開く扉、その中よりヘドロのようなぬめり（ヽヽヽ）すら感じられる墨色（すみいろ）の影が滲（にじ）み出てきた。

「「ひっ！　ひぃいいいいい！」」

　そのとき！

――唵（おん）　阿謨伽（あぼきや）　毘盧遮那（びるしゃな）　摩訶母捺囉（まかぼだら）　麼抳（まに）　鉢納麼（はどま）　入嚩攞（じんばら）　跛羅韈譚野（はらばりたんや）　吽（うん）！

　中年男女の悲鳴とは真逆（まぎゃく）、落ち着いたバリトンボイスによる、これは真言（しんごん）か。

　瞬間、壁に備え付けられた照明などではありえない無色透明の浄光（じょうこう）が閃けば、今まさに扉から湧（わ）き出ようとしていた黒い影は弱々しく部屋の中へ引っ込む。

「……フッ、火急のご様子ゆえ、呼び鈴もノックもなく失礼しましたよ」

「門とドアの修理費は必要経費に含めさせてもらいますので悪（あ）しからず」

　呆然とする中年男女の前に歩み寄ってきたのは、やはり一組の男女だった。

　見るからに凸凹（でこぼこ）な印象を与える二人だ。

　一方は小柄な娘である。見たところ、義務教育を終えているかもあやしい。

　顔には猫科の動物と通じる愛嬌（あいきょう）があるも、むっつりとへ（ヽ）の字に結ばれた口元、不機嫌そうな無表情と相まって美少女という印象は受けないだろう。

　もう一方は、隣の娘と比べずとも長身の青年である。

　こちらは誰が見ても美男……人によっては「絶世の」と評すほど整った顔貌（かおかたち）に薄い笑みを浮かべている。狐（キツネ）を思わせる細い吊り目はやや好みが分かれるか。

　共に神官とも仏僧ともつかぬ変わった和装に身を包み、現代日本の街中では、さぞや人目を集めてきたであろうことが窺（うかが）えた。

「いろいろ説明が必要かと思いますが、まずはそちらのお話から伺（うかが）いましょう。応接間はどちらですかな？　ああ、私はコーヒーで結構ですよ」

「道士さま、一仕事終えた気分でいるとこ悪いんですけど、こっちをこのままにしとくおつもりじゃないでしょうね？」

「今のでしばらく大人しくしているでしょう。委細は任せます、深山（みやま）」

「はいはい、そんなこったろうと思いました」

　と、そこでようやく我に返った中年男が口を開く。

「お、お、お前たちは一体……」

「おや、人を呼びつけたのですから、状況からお察しいただきたいものです」

「そ、それじゃあ、貴方（アナタ）たちが……？」

　小柄な和装少女が中年男女へ向き直り、演技めいた口上（こうじょう）と共に背後を示す。

「いかにも。此度（こたび）、ご依頼によりまかりこしました、よろず霊障承（れいしょううけたまわ）りサービス。そして、こちらの方こそ天下無双の陰陽師（おんみょうじ）――かの安倍晴明（あべのせいめい）の生まれ変わりとも称される現代の陰陽大家（おんみょうたいか）……」

　応じて身体の前で刀印（とういん）――右手の指二本を立てる和装の美男子は……。

「土帥門春暁（はじかど　はるゆき）。追儺（ついな）も巳（み）の日も問わず鬼祓（おにばら）い商（あきな）わせていただきます」

　そう名乗りを上げた。