KAC20255 真夜中の修羅場

霧野

何でも詰め込めばいいってもんじゃない

「はい、駄目ッ!」


 布団叩きの柄で前腕をピシャリと叩かれ、一直は腕を引っ込めた。


「痛いです。ごめんなさい」


 一人娘のなおを寝かしつけてからが、彼らの本当の修羅場の時間。


 七緒は仁王立ちで、半ベソ状態で正座する一直を見下ろしている。

 LED時計の赤い光がその白く滑らかな顔を微かに照らす。昼間の穏やかな顔が嘘みたいに、その表情は冷たく微笑んでいるように見える。



「甘い。私はこれを何遍も喰らったのよ。アナタのお義母さんから、ね」


 綿の白手袋を嵌めて作業する一直の手が、小刻みに震えている。妻の指示通りに筆でそっと埃を払い、時にカメラ用のブロワーで埃を吹き飛ばし、細かなパーツを外して一つにまとめ、人形の頭部や手の部分をティッシュでくるみ、幾度もの補修跡が見える紙箱に一つ一つ納めていく。隙間に適量の緩衝材を詰め、薄紙で覆ってから防虫剤を乗せて蓋をする。


「『百年続く雛人形なんだから取り扱いに細心の注意を払え』って。ちょっとでも手順が違えば、天下無双の揚げ足トリの降臨よ。グチグチネチネチと嫌味三昧。もちろん何でも詰め込めばいいってわけじゃないけどさ、結果的にきちんとしまえれば手順なんかは多少前後しても構わないと思わない?」


「思います。全くの同感です」


 背中を丸めて縮こまり、全面降伏の姿勢で人形の片付けを続ける。少しでも手を止めたらまた打たれそうでビクビクしながら作業しているため、体が強張っている。


「それでも私は、言われた通り丁寧に丁寧に、細心の注意を払ってお人形さん達を扱ってきたわけ。確かに貴重な品物だし、大事に扱うことには賛成だった。第一、お人形さんたちには罪はないもの。なのに」


 ヒュン、と布団たたきが風を切った。一直は思わず身を竦める。


「選りに選って、アナタがそれを台無しにした。この家の跡取りで人形を受け継いでる、アナタが。これって、怒るトコよね? 私、怒っていいよね?」


「はい。すみませんでした」

「何に対しての謝罪かしら」

「なおに人形を持たせたこと、素手で触らせたこと、ドレスを着せるのを黙って見てたことです」

「なおは『パパが褒めてくれた』って言ってたけど?」


 グッと喉を詰まらせた一直が、唾を飲み込んで大きく息をつく。


「ごめんなさい。お姫さま可愛くなったね、って褒めました!」



 七緒は部屋の隅に寄せた座卓に腰をかけて、足を組んだ。


「ほんとにさぁ……具合悪くて伏せってて、ようやく起き上がってみればこの仕打ち。体力が残ってたら、グーでぶん殴ってたとこだよ」

「すみません。なおに可愛くおねだりされて、つい……」

「つい、じゃない。駄目なことは駄目。それを教えるのが親の役目でしょ」

「おっしゃる通りです」


 七緒はため息をつき、手にしていた布団たたきを脇に置いた。


「まぁねえ、なおが可愛すぎるから、私も気持ちはわかるんだけど」


 ビヨン! と飛び跳ねる勢いで、一直が顔を上げる。


「そう! そうなんだよぉ〜。トコトコ走ってきて、こう…ウエディングドレスを見せながらさ? 俺に『お姫さまにこれ着せてあげるの〜』って言うんだよ。満面の笑みで。おめめキラッキラで。こんなの断れないってぇ」

「調子乗んな?」

「はいっ、すみません」


 またすぐに作業に戻る。


「……しかし、大変だな。こんなに手間がかかるとは思わなかった。人形仕舞おうとして箱開けた瞬間、俺固まったよ。空き箱だと思ってたのに紙やら布やらたくさん入ってて」

「そうでしょ。飾るより片付けの方が大変だもん。保管状態によっては虫やカビが湧くしね」


 一直からのヘルプコールを受け、七緒は監督のみ、作業は一直自身の手で行うことを条件に帰宅したのだった。もちろん、一直が泣きついてくることは想定内であったのだが、彼はそれを知らない。


「これを一人で毎年やってくれてたんだな。七緒、ありがとう」

「なおのためだよ。でも、アナタがわかってくれたなら嬉しい」

「じゃあ、一緒に…」

「アナタがやるのよ。最後まで」

「……ハイ」



 そういえば……と思いついたように七緒が話し始めた。作業を見守っているだけなので、暇なのだ。


「なおがね、夢で雛人形とお話ししたって言うの」

「夢の中で?」

「そう。雛人形たちが無くした魔法の杖を見つけ出してくれたり、アイドルみたいに歌とダンスを見せてくれたりするんだって」

「ふふ。子供らしくて可愛い夢じゃないか。やっぱりなおの可愛さは天下無双だな」


 丁寧に作業しながらも、一直は鼻の下を伸ばす。子煩悩丸出しな顔が可笑しくて、七緒も少し笑ってしまう。


「そうね。でも……ちょっと気になるのが、『あの夢を見たのは、これで9回目だった』って」

「えっ。9回も同じ夢を?」

「ううん。内容はその都度違うらしいんだけど、お雛様たちと遊ぶすごく楽しい夢なんだって。それで夢占いとか色々見てみたら、概ね良い意味みたいなのよ」

「なら、いいんじゃないか? 俺もロボットやらヒーローものの夢、よく見てたし」

「私も妖精と遊ぶ夢、何度か見たことある」

「へえ。七緒にもそんな可愛い頃が」


 脇に置いてあった布団叩きを、再び手に取る。


「なんでもありませんっ!」

 一直はこれまで以上にテキパキと作業を進めた。だんだん手際が良くなっている。


「でも、9回も見るってさぁ……」

「やっぱ女の子は人形とかアイドルとか、キラキラした存在への憧れはあるんじゃないか? そもそもお雛様って、結婚式の様子らしいし」

「なるほど、キラキラした存在ね。お嫁さんとかアイドルとか」

「妖精とかお姫様とか」

「つまり、うちの子は正しく成長していると」

「そう。うちの子天才。可愛い無双」



 全てを梱包し、これも七緒の指示のもと、翌年出しやすい配置で箱を押し入れに仕舞う。雛人形の片付け作業、これにて終了。

 畳に正座した七緒が、膝の前に布団叩きを横たえ、両手をついて頭を下げた。


「一直さん、お片付けお疲れ様でした」

「あっ、はい。お疲れ様でした」


 一直も慌てて相対し、頭を下げる。そして、しょんぼりと七緒の前に置かれた布団叩きを見つめた。


「しかし、うちの母さんが七緒にそんな仕打ちをしてたなんて、全然知らなかった。仲良くしてるとばっかり思ってたよ。ごめんな、言ってくれりゃよかったのに」


 うふふ、と鈴を転がすような声で七緒は笑った。


「いいのよ。すぐ終わったし」

「そうなの?」

「うん。何度かやられたところで、布団叩きを真っ二つに折って庭に放り投げて『暴力はいけませんね♡』って微笑んだら、何も言わなくなったわ」

「あー……(それで母さん、急に別居とか言い出したのか)」

「そのあと、私が新しい布団叩きをプレゼントして、お互い謝って和解したから今は仲良しだよ」

「うん、知ってる。いつもありがとう」


 七緒は立ち上がりざまに布団叩きを取り上げ、ポーズを取る。


「なおのみたいにキラキラじゃなくても、今はこれが私の魔法の杖。もちろん普段はお布団しか叩かないけどね」

「デスヨネー」

「ストレス溜まった時に布団をぶちのめすと、あら不思議。ストレスがスッキリ〜、お布団はふんわり〜」

「わあ、スゴーイ(人形たちで円陣を組んで遊んだことは黙っておこう)」




 七段の雛飾りを片付けて広くなった和室で、実家にてたっぷり休養を取った七緒がフォアハンドとバックハンド、そして軽やかなサイドステップを華麗に駆使する布団叩きダンスを披露する。正座で鑑賞する一直が控えめな声援と盛大な拍手を送る。和室が片付いたので入室を許されたジルベールが、ぴょんぴょん跳ねて尻尾を振った。




 🎎



 押し入れの中では、人形達がヒソヒソ話。


(あの時のママ殿、怖かったわよね)

(あたくしも震える心地がいたしましてよ。昼間で動けなかったのは幸運でした)

(そうよね。あれが夜だったらガタガタ震えてたわ)


 一つの箱に収まる三人官女。顔をティッシュで包まれていようと、彼女達のお喋りは止まらない。


(いつの世も、嫁姑って大変ね)

(でもあの時はお姑さんが変なスイッチ入っちゃった感じだったわ)

(確かに。普段は常識人だったもの)

(伝統を引き継ぐという自負が人を狂わせるのかしらねえ)


(ほっほっほ。お喋りはそのくらいにして)


 お殿さまのまったりとした雅な声は、さすがに彼女達を黙らせた。



(今年は少し長く楽しめたのう。大変有意義であった。では我ら、この家となおちゃんの繁栄を願いながら眠りにつき、来年の宴を待つこととしよう)


((((御意))))


(それでは皆のもの。本年のひなまつり、今度こそ、これにて終宴と致す)




 こうして例年より少し長めのひなまつりは、幕を閉じたのだった。





おわり 🎎

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