5 雨の湖
5―1 マヤと摩耶
重装備と言うほどではないけれど、祐介はそれなりの準備をした。妻は祐介の姿を見て、何を背負っているの、と訊いた。ある少女の運命、と祐介は答えた。笑わない妻を残して、小雨の中、家を出た。
昔、別荘だった建物には長らく誰の手も入っていなかったようだ。荒れ放題に朽ちかけていた。
土足で玄関に上がって部屋の中を通り抜けた。家族の笑顔の残滓がそこにはあった。兄とふざけ合う祐介に母が叫び、父は畳の上に寝転んであくびをした。そんな一瞬、一瞬が、アルバムのように脳内で捲られていった。
風呂場の横を通り過ぎてアルミのドアを開き、裏庭に出た。白いペンキを塗られた木製の柵をまたいで越える。子供の頃は祐介の前に立ちはだかり、よじ登らなければならなかったはずなのに、今は弱々しく傾いて、ただ地面に突き刺さったまま腐るのを待っていた。
体を横向きにして落ち葉の堆積した急坂を慎重に下った。顔を上げた。小川は今も清澄な水を湛えて流れていた。祐介は川上に向かって歩き始めた。
蝉の声は移りゆく季節を知らせるように種類が変わり、数が少なくなっていた。薄い木漏れ日の中、仄かに涼しい風が木々の間を漂っている。夏はもう、終わろうとしていた。
枯葉を散らして登っていく。たどり着かなければならない。湖に。マヤのために。それはきっと自分のためでもあるのだ、と気持ちを引き締めて、祐介は歩き続けた。
いっこうに湖は現われない。同じ景色を何度も見た気がする。やはり見つけられないのか、と思い始めた時だった。
小さな背中が見えた。半袖のシャツとズボンを身に着けている。手には竹の釣り竿と虫取り網を握っていた。小川に沿ってどんどん登っていく。祐介はあとを追った。
しばらく行くと、小川を流れる水の音が微妙に変化しているのを感じた。どう変わった、とは分からないけれど、何かが近づいている気配があった。
少年は森の中を進んでいく。その姿は、だんだん小さくなっていった。この先で湖を見つけてマヤと出会い、泳ぎ、そして。
祐介の足が止まった。体が重い。少し震えていたかもしれない。身がすくんでいる。理屈でも理性でもなく、溺れた時の苦しさ、そして恐怖が、感覚として蘇ってくる。振り払うことのできない記憶に纏わり付かれていた。
それでも祐介は、気持ちを込めて足を持ち上げた。一歩、また一歩。
静かなさざめきが聞こえ始めた。木の葉を小さな水滴が叩いていた。
雨は次第に強くなっていく。空気が冷たく密度を増して、森は祐介を阻むように霧で満たされた。
「とうとう、来てしまったのね」
囁くような声が耳に届いた。白い服を着た少女が立っていた。その瞳は静かに潤い、何かを迷うように揺れていた。服から出た手足はとても細くて幼い。風がないのに黒い髪が流れた。
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