4 路地裏の野犬
4―1 路地裏の野犬
祐介は覚悟を決めていた。今度マヤと出会ったら決着をつけようと。どんな結末を迎えるのか、それは分からない。けれども、いつまでも振り回されるのは御免だ。
いや、そうじゃない。マヤのために何かできることがあるのではないか。だから彼女は僕の前に現れるのかもしれない。祐介はそう考えた。だとしたら。きっと二人の出会いには意味がある。
思いが通じたのだろうか、夜の繁華街の大通りでマヤを見かけた。雨の中、闇に挑むように白いワンピースを着ている。膝上丈の裾から艶めかしい足が覗いている。祐介はあとを追った。
ウィンドウショッピングを楽しむふうではない。はっきりとした目的地があるように、マヤは歩いて行く。
狭い路地に入った。祐介はなんとなく嫌な感じがした。若い女が夜に一人で歩いていい道だとは思えなかった。しかもあんなに短いワンピースで。
何回か角を曲がった。その度に裾がひらりとひるがえり、薄闇の中に白い足が残像を残す。
路地の先に小さな空地のようなものがあった。頼りない電球の下に人影が見える。五人ぐらいだろうか。まずいな、と祐介が思った時には既に遅かった。
地面に白いワンピースが仰向けに倒れていた。大きな外傷はなさそうだ。何か薬を使われて意識を失っているのだろうか。
「なんだおまえは」
頭の悪そうな男の声が飛んできた。
「その人は僕の連れなんだ。返してくれないかな」
男たちは顔を見合わせて笑った。親からはぐれて腹を空かせた子犬のように不安そうな目をしている。その瞳に光はない。少しのきっかけで噛みつきそうだ。
「彼氏が助けに来た、ってか。安心しろ、まだ何もしちゃいない。まだ、な」
祐介は震える足をごまかしながら進んだ。
「頼むよ、大事な人なんだ」
「ああそうかい。だったら、いいことを思いついた。あんたの目の前で、こいつを可愛がってやるよ」
それはいい、という
いつの間にか背後を取られていた。突き飛ばされてよろめいた。膝で顔面を打たれて、温かいものが飛び散った。あとはもう、よく分からなかった。
「このぐらいでいいだろ。気絶されたら、せっかくのショーを見せられないからな」
男たちは地面に転がった祐介から離れた。一人がマヤに近づいていく。片膝を突いた。その手に光るものが見えた。おそらくナイフだ。一直線に閃く。胸元から裾まで、一気にワンピースが切り裂かれた。薄闇の中でさえ白く浮かび上がる柔らかな肌が雨に濡れていく。マヤは動かない。
「やめ、ろ……」
祐介は、声を出すのも辛かった。
男はマヤの胸の辺りにナイフを当てて短く動かした。おお、という声が漏れた。
「やめてくれ……」
マヤの下半身に男の手が伸びる。
「こっちはどんな具合かな」
ちらりと祐介の方を振り返った男の手が、わざとらしくゆっくりと下がっていく。周りの連中が息をのみ、身を乗り出して見つめている。
ナイフの男が後ろ向きにひっくり返った。そのすぐ傍に祐介が立っている。男たちの目がマヤに集中している隙を突いて、襟首を掴んで引きずり倒したのだ。
「くそ、こいつめ。そこで大人しく死んでろよ」
ナイフが電灯の光を反射した。よせ、という緊迫した声がいくつも飛んだ。
凶刃が鋭く突き出された。しかし祐介は痛みを感じない。目の前に立っているマヤと見つめ合っていた。
ナイフの男が、よろよろとあとずさる。
「俺のせいじゃないぞ、この女が……」
「バカ、いくらなんでも、やばいだろ」
男たちは、ばらばらに走って逃げ始めた。
「マヤ、おい、マヤ」
祐介は、目を閉じて力なくもたれかかってきたマヤの体を抱き締めた。生温かいもので手が滑りそうになった。白いワンピースの背中が赤く染まっていく。地面にねっとりとした水たまりが広がっていった。
「冗談はやめろ。不死身だろ? いつもみたいに消えろよ」
ずしり、と祐介の腕に重みがかかっている。力の抜けた人間を一人で支えるのは元気な時でさえ難しい。それでも祐介は手を離さなかった。「なんだよ、なんなんだ。マヤ、消えろよ、マヤ!」
「それじゃ、だめだ」
闇の中に、しわがれた声が響いた。
建物の影から男が現れた。暗いのでよく分からないが、声からするとそれなりに高齢のようだ。
男は近づいて来てマヤの背中に手を伸ばした。力を込めて引く。水道管から激しく水が噴き出すような音がした。
「おい、何を」
叫びかけた祐介の腕がふいに軽くなって、後ろに倒れそうになった。マヤは消えていた。地面に広がっていたはずの液体の痕も見あたらない。
「ついて来い」
ナイフを投げ捨てて歩き出した男の背中に迷いは感じられなかった。
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