1―3 消えた?

「なんで心中なんかしようとしたんだ」

 コンクリートで囲まれた無愛想な部屋だ。湿っぽくて薄暗い。他に空いている所がなかったらしく、取調室に連れてこられた。

 祐介の父と同年代ぐらいの、温厚な感じのする刑事が祐介に尋ねた。彼は、保木やすき、と名乗った。

「心中なんかしませんよ。彼女とはあの場所で出会ったばかりだったし」

 話がややこしくならないよう、少年の頃、湖で経験した話はしなかった。

「君が女の人と一緒に飛び降りようとしたのを、大勢が見ていたんだよ?」

「僕は飛ばなかったでしょ」

「止めてくれた人がいたからだ。なぜ飛ぼうとしたんだ」

「分かりません」

 本当に分からなかった。普通に考えて、そんなことをするはずがない。座っているだけでも恐怖を感じる崖の上から飛び降りるだなんて、想像もしなかった。そう、あの瞬間までは。なぜだろう。マヤが飛んだのを見て、自分もそうするべきだと思ったのだ。

「なんで心中なんかしようとしたんだ」

 およそ一時間ほど同じ言葉のやり取りを繰り返したのちに、ようやく解放された。

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