江戸の出島〈KAC2025〉

ミコト楚良

江戸の出島

 正月の半ばに長崎出島ながさきでじまを出発したカピタン商館長一行が逗留するのは、日本橋の長崎屋ながさきやと決まっている。

 長崎屋は幕府御用達の薬種問屋だが、カピタン参府の間は宿となった。江戸城に彼らが登城し拝礼献上するのは毎年、三月。長崎屋は、その先導役をも仰せつかっている。 


 阿蘭陀オランダ人は、カピタンと書記官二名と医官の四名ほどだが、それに同行する者が、やたら多い。

 長崎奉行所の役人から任命される検使二名、通弁や会計を担当する大通詞だいつうじ小通詞こつうじ二人、書記二人、料理人二人、部屋付きの小使こづかいが数人、他に日雇頭ひやといがしら宰領頭さいりょうがしら、あと、見習い若年の通詞つうじも大概、伴っている。献上物を運ぶ運搬人も必要だ。駕籠かごかきもいる。

 最初は六十人前後であった。それが、年々、人数が膨れ上がっていくようだ。


「今年も壮観」

 NVOCオランダ東インド会社の紋章を染め抜いた、朱と白と青の三色の旗を掲げ、これも背に、白抜きの紋章の入った紺の法被はっぴを着た一行の到着を、長崎屋の主、源右衛門げんえもんは感慨深く迎えた。

「いや。しみじみとしてんじゃねぇよ。これからだよ」

 は、使用人たちと共に、ばたばたと廊下を行き来していた。


女将おかみさんっ、布団ふとんが足りませんっ」

 番頭が青ざめて駆け寄って来た。

「随行員、増えてますっ」


 そこへ損料屋そんりょうやが、ひょいと長崎屋の店先へ顔を出した。

「布団が足りてねぇと見た。持って来たよ」

「ありがた山姥やまんば。トリの降臨」

 かめは、姉貴分の仕事振りを讃えた。


 カピタンの滞在中は、とにかく気が張る。

 総じて代々のカピタンは、敷布団厚目がお好みだ。あちらのお国では、戸板に脚を四本つけたようなようなものに布団を敷くという。似たようなものを建具師に頼んで作ってみたが、しまっておくのにえらく場所を取る。


 カピタンらは、ひと月は逗留する。

 彼らは商人だ。海の向こうで高値で売れる商品を吟味する。それ専用の商人が出入りする。カピタンと直接交渉することはない。お役人が仲介する。

 幕府のお偉方は、この国を宗教で懐柔し植民地にしようとした葡萄牙ポルトガルは排し、貿易が目的の阿蘭陀オランダには歩み寄ることにした。


 誰にとっても海の向こうの品々は、魅力的だった。

 今年のカピタンも、源右衛門げんえもんに薬酒だと、えらく酩酊する酒をくれた。緑味を帯びたギヤマン硝子の角瓶に入った酒は、じん、というらしい。

 女将おかみのかめには、しんととふます(セントトーマス)産の、桟留さんとめ(木綿の縞織物)だった。

 そして、火事が多いこの江戸で、長崎屋が被災するたび、再建のための支援の手を差し伸べてくれるのが、長崎出島ながさきでじま阿蘭陀オランダ商館なのだ。

――もう、お望みあれば、なんでも言ってくだせぇ。


「でぇ。天下無双てんかむそうの剣豪に会いたいってぇ」

 江戸には、いくつか道場がある。カピタン逗留中、警護にあたる普請役ふしんやくに紹介願った。無外流むがいりゅうの流祖、つじ何たらの弟子の弟子という人を連れて来た。剣豪っぽかった。


「だんす? いや、堪忍。手をつなぐなんて。あたしゃ、主人がいる身です」

 カピタンが差し出して来た右手の甲に、かめがとまどっていると、大通詞だいつうじが、「ダンスです。女将おかみ」、カピタンの阿蘭陀オランダ語を訳してくれた。『私の国の踊りダンスを教えてあげよう』と、いうことだった。

 一通り教えてもらっといた。目が回った。


(あたしも、すっかり蘭癖らんぺきだねぇ)

 阿蘭陀オランダかぶれの者をそう呼ぶのだ。


 ほら。今日もそぞろに、お武家さまに、お医者さま、お学者さまがやってくる。

 カピタン一行がやってくると、長崎屋に人が集まる。春が来る。


女将おかみさーん」

「あいよっ」

 呼ばれて、かめはを締め直した。

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江戸の出島〈KAC2025〉 ミコト楚良 @mm_sora_mm

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