10枚目の皿
DITinoue(上楽竜文)
前編
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
――今日の夜が、決行だ。
あの物語の通りなら、これで、オレは呪いから解放される。
やっとのことで、ゆーちゃんを家に呼べる。
カチャン……
と、食器棚の中で、何かがぶつかり合ったような音がした。
「……まあ、こういうこともあるだろ」
オレは一人、そう呟き、漆黒の中、毛布を頭まで被り、ベッドに倒れ込んだ。
***
4月1日。
エイプリルフール。今でもオレはこのあやふやなウソの延長線上にいると信じている。
深夜、用事があるからと言って、一緒に眠るまではせずに帰っていた、ゆーちゃん。
「早く、彼女と別れてよ?」
「分かってるって。次来た時には、彼氏と彼女としてだから、また来いよ」
ゆーちゃんは、頬を掻いて、拗ねたような声で言った。
「お願いだよ?」
その夜だった。
1枚……ガシャン!
皿が割れる音。
飛び起きて、食器棚を確認しても、皿たちは定位置から少しも動いていない。
――夢か。
4月2日。
ゆーちゃんの来訪を待ちきれずに、彼女を想いながら眠る。
1枚、ガシャン、2枚、パリン……
快楽に酔う脳の糸がいきなりバチバチに張る。
女の声。
どこか、未練がましい、ぬちゃぬちゃした声だ。
――しかも、この声、聞いたことあるぞ。
4月3日。
彼女から電話が掛かってきた。
「やー、もう仕事がヤバすぎる。明日、ちょっと会わない?」
「お、おう、いいぜ。仕事、頑張れよ」
「うーん、ありがとー」
呑気な大あくびにやっぱり可愛さを感じて、またも別れを切り出すことは出来なかった。
オレまで何だか未練がましい。夜。
1枚……ガシャン、2枚……パリン、3枚ぃ……バリン!
割れた皿が落ちてきたように、脳が覚醒した。
女だ。
それも、この声は、中学時代の、初めての彼女じゃないか。名前は……。
だが、それだけではない。
声は、三重くらいに聞こえるのだ。
ホラー映画の井戸の中で反響するような、こもった声だからか。
……悪い夢だ。
4月4日。
明日の朝早くからと言われたので、家で一緒に寝ることまでは叶わなかった。
が、久々に彼女と食べるディナーは、魚介の出汁のうまみが十倍濃厚に感じるようだった。
「なあ、マミ、ちょっと、訊きたいんだけどさ」
「んー、なに?」
「なんか、井戸かなんか、狭い場所で皿を数えては割るやつって、何か知ってる?」
似たようなものを、脳が引っ張り出そうとしているところで、部屋の入り口に情報がつっかえて出てこないのだ。
「あ、あれ? 番町皿屋敷?」
「どういうやつ?」
「なんかね、お菊さんっていう、主君の大事な皿を一枚割っちゃった女の人が、殺される前にって、井戸の中に自分の身を投げるの。それで、井戸の中でずっと皿を数えてるっていう。ただ……数えるだけで、それ以上お皿を割ることは無かったかな」
「へぇ……さすが、博識だね」
「高校の時は雑学王と呼ばれたからね」
えっへん、と声に出して、マミは腰の手を当て、胸を張った。
夜。
1枚……ガシャン、2枚……パリン、3枚ぃ……バリン! 4枚ぃぃ……バキッ
目が覚めた。
また、同じ夢を見ていた。
心なしか……、4枚目の皿を割る時、少し、皿に籠る恨みが軽くなっているような気がした。
4月5日。
「まだ別れてないの?」
「ごめん、ちょっと、なんか、目の前にしちゃったらなんか言いづらくてさ」
「てことは、まだ彼女のこと、わりと好きなんでしょ?」
「いや、あー、っと」
「そうなんでしょ? 分かった」
「いや、でも、どっちも好きだけど、今は完全に、ゆーちゃんの方が上だ。それは間違いない」
「ホントに?」
尖った声が、急に角が取れて、丸くなった。
「もちろん」
「そう? じゃあ、早く別れてよ。私は、早く、あっくんの彼女としてやりたい」
「あ、ああ……」
夜。
1枚……ガシャン
皿を割る、女が見えた。
顔は、薄暗くて見えない。ただ、手元だけは、そこだけ蝋燭か何かで薄明るくなっている。
2枚……パリン、3枚ぃ……バリン! 4枚ぃぃ……バキッ、5まぁい……グシャ
全身に悪寒が走って、目が覚めた。
かつてない、残酷な音。
皿を割るというよりは、死んだ動物の白骨を握り潰すかのような、耳を呪う音だ。
そして。
脳内で、先程の様子をリピート再生してみる。
――白くて長い指先、やっぱり。
中学の修学旅行から付き合った、モデルをしていた彼女。
その指先に握られているのは、皿だ。
それも、オレの名前が、マジックペンで殴り書きされた皿だ。
ガシャン!
***
(後編に続く)
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