引きこもり魔法薬師 世界を知る

まわねこ

第1章 出会い

第1話 朝の城下町と新米剣士の憂鬱

 石畳を叩く硬質な足音と、遠く近くから聞こえてくる人々の喧騒。

 空には高く澄んだ青が広がり、肌を撫でる風はひんやりとして心地よい。

 じりじりと肌を焼くような暑さが続いた夏は終わりを告げ、実りの秋へと移ろい始めていた。

 黄金色の陽光が、歴史を感じさせる石造りの建物の壁を優しく照らし、窓ガラスをきらめかせている。


 ここはルメリオス王国の首都、ルメリオス城下町。

 数百年の歴史を持つこの街は、中央にそびえる壮麗なルメリオス城を中心に栄え、堅牢な城壁に守られた平和な場所だ。


 早朝とはいえ、街の中心にある広場の市場はすでに活気に満ち溢れていた。

 色とりどりの野菜や果物を山と積んだ露店、香ばしい匂いを漂わせる焼き立てパンの店、農具や日用品を並べた店などが軒を連ね、威勢の良い売り子の声と、品定めをする客たちの楽しげな会話が混ざり合い、朝の活気を奏でている。

 荷馬車がゆっくりと進み、屈強な冒険者たちがギルドへ向かう姿も見える。

 この平和な城下町の変わらない日常風景だ。


 しかし、その賑わいの中にあって、一人だけ明らかに浮かない顔をしている少年がいた。

 彼はレオルフォート・フェルナンド、通称レオル。

 年は十六歳になったばかりで、アルガロード剣士育成所に所属し、今年晴れて見習いから格上げされた新米剣士だ。

 無造作に伸びた焦げ茶色の髪が、少しだけ目にかかっている。

 まだあどけなさの残る顔立ちだが、その琥珀色の瞳には、鋭さの中にどこか優しげな光が宿っていた。

 今は育成所の制服である白地に紺の刺繍が入ったジャケットを着て、背中には師匠から譲り受けた安物の両手剣を背負っている。


 だが、今の彼に剣士らしい凛々しさは欠片もなく、眉間には深い皺が刻まれ、大きなため息を一つ、秋の空へと吐き出した。


「はぁ……なんで俺が朝っぱらからこんな……」

 レオルフォートは、右手に持つ買い物袋に顔をしかめながら、大きなため息をついた。


 本来なら、今頃は育成所の寄宿舎で温かい朝食をとり、午前の訓練に備えているはずだった。

 それがどうして、朝食もまだだというのに、市場で人混みに揉まれながら買い出しをしているのか。

 理由は単純明快、先輩剣士からの「お使い」である。


(今思い出しても腹が立つ……!)


 レオルフォートは、今朝早くの出来事を苦々しく思い出していた。まだ薄暗い寄宿舎の談話室で、レオルフォートが朝食前の自主練に出かけようとした時だった。筋骨隆々とした体躯に、短く刈り込んだ髪、いつも獲物を探すような鋭い目で後輩を睨めつける先輩剣士、バルディア・レンツが、腕を組んで仁王立ちしていたのだ。


「お、レオル。ちょうどいいところに。ちょっと面貸せ」


 有無を言わせぬその声に、レオルフォートは嫌な予感しかしない。案の定、バルディアはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、買い物リストをレオルフォートに押し付けたのだ。


「おいレオル、悪いがこいつを買ってこい。俺はこれから朝の鍛錬で忙しくてな」


 リストには、食料と消耗品が書き連ねてある。しかも一緒に渡された金はギリギリ。これで値切ってこいという無茶ぶりまで暗に含まれている。


「え、これを全部ですか?俺もこれから……」

 言いかけたレオルフォートの言葉を遮るように、バルディアは威圧的な視線を向ける。


「……なんだ?何か文句でもあるのか、新米?後輩は先輩の言うことを聞くのが、ここアルガロード剣士育成所の習わしだぞ?それとも、俺の頼みが聞けないと?」

 その言葉には逆らえない。バルディアは剣士としての実力は確かで、育成所内での発言力も強い。

 ここで逆らえば、今後の育成所生活がさらに厳しくなるのは目に見えていた。レオルフォートはぐっと言葉を飲み込み、しぶしぶリストを受け取るしかなかった。


 さらに追い打ちをかけるように、そのやり取りを見ていた同期のフェリン・レシアまで便乗してきたのだ。フェリンはレオルフォートより体格は大きいが、剣の腕は正直言ってレオルフォート以下だ。いつも楽な方へ流されがちな男である。


「あ、レオル!ちょうどよかった!悪いんだけどさ、俺の分のパンと果物もついでに買ってきてくれよ!俺、ちょっと寝坊しちゃってさー。頼むよ、同期だろ?」

 悪びれもせず、ヘラヘラと笑いながら言うフェリンに、レオルフォートの堪忍袋の緒が切れそうになる。


(ふざけるな!お前も新人なんだから、一緒に行けよ!なんで俺だけパシリなんだ!?)


 心の内で叫ぶが、結局それを口に出すことはできなかった。先輩バルディアの手前、強くも出られない。結局、レオルフォートは二人の頼みを断り切れず、不承不承ふしょうぶしょう頷くしかなかったのだ。


「……くそっ、今更言っても遅いけどな」


 レオルフォートは再び深くため息をついた。市場の喧騒を抜け、石畳の道を歩きながら、彼はリストの最後の項目を確認した。


「あとは回復薬ポーションを買えば終わりか……」


 午前の訓練開始までには、まだ時間がある。だが、のんびりしている余裕はない。もし遅刻でもしようものなら、バルディアの怒声と追加のペナルティが待っているだろう。


 レオルフォートが目指す魔法薬店は、市場の賑やかな大通りから一本脇に入り、少し歩いた静かな通りにある。古いけれど手入れの行き届いた石造りの建物が並ぶ一角で、つたの絡まる趣のある建物がそれだ。看板には、武骨な文字で『ゴルド魔法薬店』と書かれている。

 この店は、店主のゴルドが作る魔法薬が「とにかく良く効く」と評判で、城下町一番の人気店だった。回復薬はもちろん、状態異常を治す薬、一時的に能力を高める薬まで、品揃えも豊富だ。

 店主のゴルドは、年は四十代前半くらい。大柄で筋肉質な体つきに無精髭を生やし、一見すると強面だが、話してみると実に気さくで豪快な人物だ。いつも汚れたエプロンをつけて、カウンター越しに客と冗談を言い合っている。

 レオルフォートも、何度もパシリでこの店を訪れており、ゴルドの人の良さは知っていた。子供たちにも人気で、店の前で飴を配っている姿をよく見かける。まさに、城下町の人気者といった感じの男だ。


(さて、さっさと回復薬を買って帰るか……ん?)


 目的のゴルド魔法薬店が見えてきたところで、レオルフォートは足を止めた。店の前に、普段では考えられないほどの人だかりができているのだ。ざわざわとした人の声と、何かただならぬ気配が漂ってくる。


「なんだ……?何かあったのか?」


 人混みの隙間から中を覗こうとしたレオルフォートの目に、信じられない光景が飛び込んできた。店の入り口で、屈強な衛兵数人に取り押さえられている人物。それは、紛れもなく、この店の店主であるゴルドだった。彼は手枷をはめられ、顔を真っ赤にして何事か叫んでいる。


「離せ!俺は何もやってない!これは何かの間違いだ!」


 ゴルドの怒声が響き渡るが、屈強な衛兵たちは表情一つ変えず、彼を力ずくで連行しようとしている。普段の豪快な笑顔は見る影もなく、必死の形相だ。しかし、さすがに多勢に無勢。鍛えられた衛兵たちの前では、ゴルドの抵抗も空しいように見えた。


 周囲を取り囲む野次馬たちは、この騒動を遠巻きに、あるいは興味津々といった様子で眺めている。「おいおい、ゴルドの旦那が何したってんだ?」「まさか、あの人が……?」「衛兵が来てるってことは、ただ事じゃないぞ」などと、ひそひそ声が飛び交っている。中には、この非日常的な出来事を面白がっているような不謹慎な表情の者もいる。


 衛兵の一人が、野次馬に向かって厳しい声で告げた。

「店主であるゴルドは、長年にわたる脱税の容疑で逮捕する!市民は速やかに解散するように!」


(脱税!?あのゴルドが!?)


 レオルフォートは耳を疑った。あの人当たりが良くて、誰からも好かれていたゴルドが、脱税なんてするだろうか?信じられない気持ちでいっぱいだった。いつも気さくに話しかけてくれて、時にはおまけで薬草をくれたりした、あのゴルドが……まさか犯罪に手を染めていたなんて。


 しかし、レオルフォートに感傷に浸っている時間はない。このままでは、午前の訓練に遅れてしまう。そうなれば、先輩バルディアの雷が落ちることは確実だ。ゴルドのことは気になるが、今は自分の身が危うい。


(……仕方ない、今は回復薬を手に入れるのが先だ!)


 今から他の魔法薬店に行く時間は残ってない。

 レオルフォートは意を決した。幸い、衛兵たちはゴルドを取り押さえることと、野次馬を整理することに手一杯で、店の入り口自体には注意が向いていない。

 レオルフォートは買い物袋を抱え直し、人混みの隙間を縫うようにして、素早く店の入り口へと駆け込んだ。

 衛兵の誰一人として、少年が店の中に滑り込んだことには気づかなかったようだ。


 息を潜めて店内に入ると、そこには誰もいなかった。外の喧騒が嘘のように、しんと静まり返っている。

 壁一面に設置された棚には、色とりどりの液体が入った小瓶や、乾燥した薬草の束、鉱石などが所狭しと並べられている。

 床には、争った跡なのか、いくつかの薬瓶が割れて散らばり、独特の甘い匂いや刺激臭が混じり合って鼻をついた。


(ひどい有様だな……でも、早く回復薬を探さないと)


 レオルフォートは、頼まれていた回復薬を探して棚に目をやった。幸い、一番下の棚に、見慣れた赤い液体の入った小瓶が数本残っているのを見つける。


(あった!これを早く買って……いや、今は店主がいないんだ。どうすれば……とりあえず、カウンターに代金を置いておけば……)


 そう考えながら、回復薬を手に取ろうとした、その時だった。ふと、店の奥にあるカウンターの裏側に、不自然なほど小さな木製の扉があることに気がついた。

 それは大人が屈まなければ通れないほどの大きさで、壁の色と巧みに同化するように作られており、注意深く見なければ見過ごしてしまいそうだ。

 普段、この店に来た時には全く気が付かなかった。


(なんだ……?あの扉は……?)


 ゴルド魔法薬店のカウンターの裏。店主しか知らないはずの場所に隠された、小さな扉。

 レオルフォートの琥珀色の瞳が、その謎めいた扉に吸い寄せられるように見つめていた。


 外の騒動も忘れ、彼の胸に新たな好奇心と、かすかな予感が芽生え始めていた。

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