1-4
宙が茜色に染まる頃、ルカは無事に芸術都市キュロンまで到着した。
(か、体のあちこちが痛い……)
長時間荷馬車に乗ったのは初めてだったが、車輪の振動があそこまで体に響くとは思わなかった。
「あの、お聞きしたいことがあるんですが……」
ルカは御者の男に代金を支払いつつ、口を開く。
「この辺りで野宿に適した場所はありませんか? 俺、今持ち合わせがあまりなくて……」
「野宿、ねえ」
男は上から下までルカの体を眺めると止めときな、と首を振った。
「いくら大きい都市とはいえ、夜の野宿はお勧めできねえな。兄ちゃん、この馬車に乗って来たってことは相当田舎の出身だろ。夜盗に襲われるのは目に見えてる」
男はそこで一旦言葉を切ると、指で北東の白い建物を指さした。
「兄ちゃん、あれが見えるか?」
「ええと……」
男が指さす方へ視線を向けると、白く大きな建物が目に入る。建物の中央上部には蔦のような植物と花が大きく描かれていた。
「あれは、神殿ですか?」
「そうだ。神殿では、神殿の一部を貧しい物達の寝泊りの場所として貸し出しているんだ。長期的には利用できないんだが、お前はそうじゃないんだろ?」
はいとルカは肯く。
「なら早く行った方がいい。寝る場所がなくなっちまうぞ。ただし、飯は炊き出しが出る日もあればそうじゃない日もあるからな。そうなったら自分で用意する必要がある。それは大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。教えて頂いてありがとうございました」
「いいってことよ。俺も田舎の出だからな、金がないのはよく分かる。ああそうだ。神殿内でも身の回りには注意しろよ。色んな奴がいるからな。それじゃあな、目的地まで安全に到着できることを祈ってるよ」
「助かりました。本当にありがとうございます」
ルカは御者の男が馬車と共に街中に消えていくのを見送って、教えてもらった神殿へと足を向ける。
(寝る場所があるといいけどなあ。もう夕方だし……)
少しでも早く神殿へ着こうとルカは早歩きで通りを進む。しかし、早足で進みつつも未だかつてみたことのない大都市の活気と建物に目を奪われてしまう。
(建物も大きいし、人も多い。こんなに店もあるんだな……)
時折食べ物の良い匂いもして、ルカの腹が鳴る。
きょろきょろとルカが辺りを見回していると、ふと路地に蹲る人影とそれを取り囲む男達の姿が見えた。中心にいる人間は外套を身につけ
その様子に違和感を覚えたルカは立ち止まる。そしてその違和感は的中した。男が蹲る人物に対して足蹴りにしたのである。
「えっ……!? まずいって!」
ルカは慌てて辺りを見回し、溌剌とした声で呼び込みを行っていた露店の女性に声を掛ける。
「す、すいません。騎士団の方を呼んでいただけませんか? 路地で人が殴られているんです!」
「ええ!? 何だって、坊や! ちょっとナンシー、すぐに騎士団の詰め所に行って人を呼んで来とくれ!」
「は、はい! リンダさん!」
露店の手伝いをしていた若い女性が肯いて、慌てた様子で走り去っていく。
「坊や。騎士団の詰め所は近いから、すぐに来てくれるよ」
「ありがとうございます」
良い人で助かった。リンダと呼ばれた女性は、ルカの助けを求める声に躊躇いもなく応じてくれた。
ルカは、ハラハラとした様子で路地の様子を見つめていた。雑踏の喧騒にまぎれているが、耳を澄ますと男達の怒声が途切れ途切れに聞こえる。三人の男達が外套の人物を罵っているのが聞こえ、外套の人物に更に危害を加えようとするのを見たルカは思わず駆け出していた。
「ちょっと坊や、危ないよ!」
リンダの声を背後に聞きながら、人を避けてルカは男達の許まで走る。
「やめろよ! 良い大人が寄って集って一人を殴る蹴るだなんて!」
「ああ!? いきなりやって来てなんだあ? 小僧」
三人の男達が不愉快そうな表情でルカを睥睨した。
「お前に関係ないだろ。こいつは金もないくせに店の物に手をつけたんだ。こうされても仕方ないんだよ、自業自得だ」
「ケチをつけた?」
ルカが訝し気に問うと、男達は苛々した様子でふんと鼻を鳴らす。
「これ以上はお前には関係ないだろ。放っておいてくれ。それともお前も一緒に殴られたいか?」
その言葉にルカは身を強張らせる。戦う方法を知らない訳ではないが、ルカ自身は戦いの実践経験はない。魔術を使えば威嚇くらいにはなるかもしれないが、万全の状態で挑めるよう入学試験の前に無駄な魔力消費は避けたい。
「ふん。戦う度胸もない癖に口を挟んできたのか? 情けない奴だな。今なら見逃してやるから、さっさとどこかに行け」
猫でも追い払うように手を振る男は、ルカに背を向ける。
「……ない」
「はあ? 何だって?」
ルカが男達と言葉を交わしている間に、外套の人物は身を起こし立ち上がろうとしていた。
「……嘘、言ってない。あれ、ニセモノ。本物、チガウ」
「偽物だあ? お前さっきから俺達の店の物を馬鹿にしやがって! よっぽど痛めつけられたいみたいだなあ!?」
男の声が一段と大きくなり、怒りが増したのが分かる。
(まずい、このままだと打撲程度の怪我じゃ済まなくなる……! 助けないと!)
ルカは手に魔力を集中し、術を展開しようとした。
「――こら、お前達! 何をしている!」
男達とルカの間に流れる空気を裂くように響く声の主を見たルカは、ほっと息をついた。
黒を基調とした衣服に、腰に下げられた剣。肩の部分には皇国の象徴である鷹と白百合が刺繍されている。
(よ、良かった……騎士団の人が来てくれたんだ……!)
「げっ! 騎士団の奴らが来やがった……! おい、お前達行くぞ!」
騎士団の姿を目にした男達は、舌打ちをして全速力でその場を離れて行く。
「あの、大丈夫ですか……?」
ルカは地面に座り込んでいる人物に手を差し出し、立ち上がる手伝いをする。
「体が痛いけど、大丈夫。ありがとう」
外套についた砂埃を払い落としながら、外套の人物が礼を述べる。
「君達、大丈夫か?」
騎士団の男性二人が駆け寄ってくる。
「俺は大丈夫です。だけど、この人が……」
ルカの言葉に騎士の一人が気遣うような表情を見せ、怪我の具合を尋ねる。
「大丈夫か? 手当が必要なら騎士団の詰め所まで一緒に行こう」
「イイ。大した傷ではないから。気にシないで」
「……本当に大丈夫か? 無理をしなくていいんだぞ?」
金髪の騎士団の男性が、再度治療の是非を尋ねるが、外套の人物は首を左右に振った。
「ベルン。大丈夫だって言ってるんだから、もういいでしょ」
もう一人の黒髪の騎士が苦笑する。
「俺は騎士団のキュロン支部のタッカー。こっちは相棒のベルン。君達は旅人かな? 今回は、災難だったね」
(俺も街に来て早々厄介事に巻き込まれるとは思いませんでした……)
ルカはタッカーの言葉に、内心で返事をした。
「ところで。君達は何故あいつらに絡まれていたんだ? 遠目から見た感じだと、恐らくあれはダルゴンの所の下っ端のようだった。明らかに風体の悪い奴らだろう? 普通の人間なら関わらないようにすると思うのだが……」
「俺は、旅の途中で偶々この人が暴力を受けているのが目に入ったので、露店の女性に騎士団を呼ぶのをお願いして。騎士団の方を待とうとしたんですが、また蹴られそうになっていたので、止めようとしたんです。見て見ぬふりはできなくて……」
どういった理由にせよ、一方的な暴力は良くない。ルカは昔から母から父さんのように弱い人を助けられるような強い男になるのよ、と言われて育ってきたし、ルカ自身もそう思っていた。それもあり見過ごすことはできなかったのだ。
「素晴らしい。困っている人を放っておけなかったのだな。勇気ある少年だ」
ルカの言葉にベルンが笑顔で頷く。
「ありがとうございます」
「それで、君の方は? どうして彼らに襲われていたんだ」
「店で、商品の偽物を売っテいたのを指摘した。そうしたら、路地に連れて来られて殴られタ」
時々彼女の言葉の端々がはっきり発音できないのは、異国民だからなのだろうか。やや拙さの残る話し方でベルは言った。
「なるほど。彼らからしたら、騙す筈の客に見破られて怒りに駆られ、加えて他の客にも不信感を与えられかねないと君を排除するに至ったわけか」
「……俺達もそろそろ彼らへの対応を考えないといけないねえ。他に被害が出る前に」
ぼそりとタッカーが何かを呟いたが、声が小さくルカにははっきりと聞こえない。
「え?」
「ああ、こっちのこと。とりあえず事情は分かったから、君達はもう行っていいよ。治療も必要ないならここに長居をしてもね。もう日が暮れるから」
「あ、はい。助けて頂いて本当にありがとうございました」
「ルカ君は旅人みたいだけど、どこかの宿屋に泊まるのかな?」
「あ、実は俺持ち合わせがあまり無くて、荷馬車のお兄さんに神殿で寝泊りできるって教えて貰って。今日はそうしようかと思ってるんです」
タッカーがルカの言葉にうーん、と考える素振りをする。
「神殿か。あそこには色々な人が来るからねえ。一応言っとくけど、もしかしたらさっきの奴らの仲間がいるかもしれないからくれぐれも気を付けて。寝場所を決める時はなるべく神殿兵の近くにするとか、自衛するようにね」
「わ、分かりました。気をつけます」
不穏な言葉を聞いて思わず頬が引き攣る。だが、タッカーの言うように神殿は開放されており自由に出入りできるのだから、先ほどの一味の仲間が居てもおかしくはない。
「それで、君は?」
「私モそうするつもりダ」
「そうか。それでは二人共、気をつけてな。もしまた何かあったら私達の名前を出すといい。ではな」
「はい。ありがとうございました」
ベルンとタッカーが連れ立ってその場を離れて行く。騎士団の詰め所に戻るのだろう。
「さてと。なあ。ベル、さん? 俺達行く所が……って、え?」
後ろを振り向くと既にベルは歩き出していた。
「おい、黙って行くなよ……!」
「ウルさい。早くしないと夜にナル。その前に神殿に行く」
「だから、俺も神殿に行くんだって。一緒に行かないか聞こうと思ったのに」
「…………」
急にベルが立ち止まり、鋭い視線でルカを品定めするように上から下まで眺める。
「な、何だよ」
「お前、弱い。でも、私助けてくれようとしタ。だから一緒に来てもいい」
銀の瞳から降り注ぐ針のような視線がふっと途切れ、ベルは外套を翻した。
「いや、一緒に来てもいいって何だよ……」
ルカはベルの妙な雰囲気に押されて発言できず、とぼとぼと後ろをついていく。人を避けながら道を進み、ルカはベルと共に神殿を目指す。時折風に乗って漂う料理の香りが胃を刺激する。
(腹減ったなー。神殿に着いたら何か食べるか)
ルカは腹を押さえて空腹を誤魔化す。
――きゅるる。
すぐ前方を歩いていたベルの腹から、可愛らしくも大きな腹の音が聞こえる。
「……っ!」
ベルが腹部を押さえて立ち止まる。
「ぶっ!」
ルカが思わず噴き出すと、キッとベルがこちらを睨んでくる。
「腹が減ったなら、何か買ってくればいいんじゃないか?」
ほら、俺はここで待ってるし、と続けるとベルは視線を宙に彷徨わせてから、地面に落とした。
「……ない」
「ん? 何だって?」
「お金、ない」
「あー、そっか。そりゃ困ったな……仕方ない、ちょっとこっち来いよ」
ルカはベルの手をとり、人通りの少ない路地に入る。そして体に巻き付けていた布をほどき、中にしまっていた干し肉の包み紙を取り出す。
「これ、やるよ」
両手でその包み紙を受け取ったベルは、すんすんと鼻で匂いを嗅ぐ。
「……猪の干し肉?」
「お、すごいな。猪って分かるのか?」
「適当に言ったら当たっただけ」
「適当かよ……まあそれはいいや。とりあえずお腹空いているみたいだし、食べたら神殿へ行こうぜ」
「……分かった。ありがとう」
ベルが丁寧に包み紙を外し、口許を覆っていた布を外す。今まで銀の瞳しか見えていなかったが、初めて顔全体を見た。色も白くかなり整った顔立ちをしているのが分かる。
「何だ」
無意識に観察していた。干し肉を咀嚼していたベルが、視線に気づきむっとした表情でルカを見る。
「いーや、別に……? って、うわっ!」
突然路地を強い風が吹き抜け、砂埃を舞い上げる。ルカは反射的に目を閉じる。
「うわ、急に風が……びっくりした」
ルカは風が収まったのを確認して目を開けて、ベルの様子を確認した。
ベルは既に目を開けており、なぜか険しい顔で空を見上げていた。なぜ空を見ているのかと普段のルカなら聞いていただろうが、それよりも今は気になることがあった。
「――って、ベル、お前。その頭……」
ルカの声に我に返ったベルが、慌てて頭を押さえて頭巾を深くかぶり直す。そして注意深く周囲の様子を確認していた。大通りの人間達は店の状況を気にしており、ベルの様子を気にも留めていない。
「ベルってもしかして……」
見間違いでなければ、彼女の白銀の髪から見えていたのはふわふわとした獣の耳。
「じゅ、獣人……?」
ルカは驚き、目を瞬き息を呑んだ。
氷霜のアルマデルタ 不面 糸世 @mearrow_31
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