七人の古強者《アイドル》

肉球どろん

七人の古強者《アイドル》

  ―1―


 部屋の中に、キーボードの打鍵音が響く。

 カタカタカタ――

 仕事柄大量に文字を打つ必要があるし、気にする同居人もいないからと、そんな理由で選んだ青軸のキーボード。うるさいけれど打鍵感がよい。

 カタカタカタ――

 おまけに丈夫だ。今は文字量もだいぶ減ったので、しばらく壊れることもないだろう。

 カタカタカタ――タン!

「よし、終わり。メール……終わり!」

 エッセイ原稿を書き終わり、担当編集へメールを送る。仕事量はたいして多くもないのに、いつも締め切りギリギリになってしまう。


 ひとつ息を吐いて、流れるような動きでベッドに倒れ込んだ。

 スマホでXを開き、タイムラインを何となく眺める。

「いまだにみんな言っている。旧Twitter」

 仕事を終えて脳がリラックスしたせいか、どうでもいいことが口をつく。

 ホーム画面を開く。アカウント名は『三澤ヒカリ』。昔から使っている芸名だ。カラフルな風船が飛んでいる。今日は三十九歳の誕生日だ。

「それはそれとして……」

 DM画面を開く。先週届いた、かなりフォロワーの多い有名人のアカウント(認証マークもある)からのメッセージを再確認する。

「仕事の依頼。さいたまスーパーアリーナ横のけやき広場に来られたし。仕事を受ければギャラ半分の前払いを約束する」

 概要はそんな感じだ。明らかに怪しい内容であるが、仕事の減った今となっては、ギャラの前払いは美味しい。

 勢いをつけて上半身を起こす。髪を触る。3日間風呂キャンセルしたので、さすがにかなりぼさぼさだ。鏡を見る。風呂キャンセル界隈御用達のグッズをふんだんに使っているので、ある程度の清潔さは保っているつもりだが、見た目にもっさり感があるのは拭えない。

 腰を上げて、伸びをする。久々の外出だ。お風呂に入って、ちゃんとメイクをしなければ。


  ―2―


 けやき広場に向かう前に、私はさいたまスーパーアリーナに寄った。

 かつてよく来た、巨大な建造物を見上げる。大改修を経た今の姿には、いまだにあまり慣れていない。

「おねえさん、そのまま」

 不意に声をかけられた。お姉さんという歳でもないんだけどと思いながら、顔を動かさずに横目で声の方を見る。

 レトロなカメラを構える女性。年齢は同じか少し上だろうと見積もる。

「かつて立ったステージに思いを馳せながら、たまアリを見上げてみて」

 とりあえず指示に従って、たまアリを見上げる。新しいたまアリにはあまり愛着がないのだけど。

 カチリ。ジー。ジー。

 控えめなシャッター音と、手動でフィルムを巻き上げる音。

 もういいだろうと、カメラの女性に向き直る。黒のジャンパーに黒のパンツ、黒いバッグ。全身黒ずくめの女性。

「あなたは――」

「あなたも呼ばれたんでしょ。元アイドル、現作家の三澤ヒカリさん」

「――よく、分かりましたね」

 確か、宣材写真は十年くらい更新していないはずだ。

「仕事柄、アイドルや元アイドルのことは詳しくてね。あなたのことも撮ったことあるよ。その後に脱退しちゃってびっくりしたのを、今でも覚えてる」

 記憶を呼び起こそうと試みるが、あの頃のことを思い出すのは難しい。

「私は日比谷マイ。元アイドルで、十五年前からカメラマン。十二年ぶりの再会になるね。よろしく」

 差し出された手を軽く握ると、強く握り返された。


  ―3―


 日比谷さんと連れ立って、けやき広場に向かう。世間話がてら、お互いの近況を話しながら。

 私は、グループからの脱退後、元アイドルの作家として活動していたが、しばらくして小説仕事はなくなり、今はエッセイの連載で食いつないでいることを。

 日比谷マイは、アイドルをやめてカメラマンをやっていたが、ある時期からデジタルが仕事にならなくなり、フィルムカメラを使うようになった。今は主にプリントの販売で収入を得ていると。

「三澤さんって、今、いくつだっけ」

「――今年、三十九ですね」

「私の四つ下か。マジか~。さすが元アイドル。全然若く見えるし、被写体としても申し分ないね」

「はあ。まあ、アイドル時代に、メイクさんを質問攻めにして、色々教わったので。でも、家にいるときは全然ですよ」

「そうなの?」

「担当編集さんとのリモート打合せのときに、意図せずカメラに映っちゃったことがあって。その後対面打合せのときに、まるで別人ビフォーアフターって言われました」

 私としては、喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑だった。

「いいじゃん。凄いじゃん。化粧スキル高いのは強みだよ」

 曖昧な微笑を返す。そんな前向きな考え方は、今の私にはできない。


  ◇


 けやき広場に着いた。たまアリへの入場待ちなどで時間を潰す人が多い場所だ。

 この仕事に招集された他の人も、既にいるのだろうか。私は広場の中を見渡してみる。

「おばあちゃん、半分こしよ」

 車椅子のおばあさんと、その孫娘らしき女性(高校生か大学生くらいか?)がチュロスを分け合っている。この人たちは違うだろう。

 サングラスとマスクと帽子の、完全防備の女性がいる。この人はそうかもしれない。

「あ、ケイがいる。あの端っこでたそがれてる人」

 日比谷さんが指さす先に、淡いブルーの革ジャンを着こなす女性。年齢は同じくらいかと頭の中で見積もる。

「乙坂ケイ。アイドルというより、アイドル色の強いガールズバンドって感じだったけど。バンドの解散後も音楽業界にいて、主な仕事は作詞・作曲・編曲。あとはアイドルのバックバンドで演奏したりとか。そんな感じだね」

 さすが、日比谷さんは詳しい。昔、撮影したことがあったのかもしれない。

 作詞・作曲・編曲。昨今、特に逆風の強い仕事だ。フィールドは違うけれど、私と似たような悩みがあるかもしれない。


 それに、先程から視界の隅で異様な雰囲気を感じていた。そちらに少し近づいてみる。

 ドレッシーで控えめなゴス、という感じのファッションの女性。ベンチに座って、タブレットとペンで絵を描いているようだ。背後からそっと覗いてみると、たまアリが暗黒に包まれていた。

「――クトゥルフ?」

 そうとしか表現できない、闇の絵。タブレットに描いているとは思えない、恐ろしいまでの表現力。ずっと見ているとSAN値がどうにかなりそう。目をそらすと、日比谷さんと目が合う。

「あれは宗我部エレン。アイドルとしての活躍後、身体の不調により長期療養になって、そのまま脱退。その後アーティストに転身して絵を描いて、格付けバラエティ番組なんかで活躍。番組が終わると同時にメディアからは姿を消し、個展をやったり絵を売ったり、美術のフィールドで活躍している。そんな感じだね」

 私からは彼女の背中しか見えないが、極度に集中しているように見える。猫背の背中が人生を物語っている感じがする。


  ―4―

 

 カツン――

 ヒールが床を叩く音が響く。

 カツン、カツン――

 こんな喧騒の広場で、どうしてこんなに音が響くのだろうか。

「皆さん、お集まりですね」

 ヒールを響かせ歩いてきた長身の女性が、芝居がかった――むしろ本当の芝居のような仕草で、両腕を広げる。

「私が、皆さんに仕事を依頼した、相模レオです」


 耳元で、日比谷さんのささやく声が聞こえる。

「相模レオ。元宝塚の男役。歌劇団からの脱退後、持ち前の歌唱力を生かしてアーティストに転身。一時期はアイドル色を出して活動していたことも。引退後はエンタメ業界の裏方に回り、映画、演劇、音楽イベントなどのプロデューサーとして活躍」

 日比谷さん、優しい。

 でも、彼女のことは、私もよく知っている。メディアで顔を見かけることも多い。プロデューサーなのに顔出しが多いというのも、変な話ではあるが。


  ◇


「知っての通り、2020年代後半からのAIの発展で、世界は変わってしまった」

 相模さんの低音ボイスが広場に響く。

「なんだ? ドラマか映画か何か?」

「リアルの撮影なんて、今時珍しいね」

 私たちだけでなく、広場の人々が注目する。

「2030年代に入って、AIの生成するものが人間と遜色のないレベルになった。我々エンタメ業界は、二番煎じや無難な続編などが淘汰され、AIを超える斬新さを出し続ける天才のみが生き残る、修羅の国と化した」

 AIが瞬時に生成できるのだから、人間がやる意味は失われてしまった。

「そんな世界を打ち破れるのは、アイドルのパワーだと私は信じる」

 相模さんが拳を振り上げる。舞台みを感じる。

「だから、アイドルから他の仕事に転身してからも、アイドルのハートを持ち続ける君たちと、創作ユニットを結成したい。この仕事を受けるかどうか、聞かせてほしい」

 乙坂さんが手を挙げる。

「あの、質問なんですけど、今でも四オクターブ出ます?」

 相模さんがニヤリと笑い、ハイトーンが響き渡る。よく分からないが凄いと、広場が拍手に包まれる。

「すげえ……。で、我々は何を創ることになるんです?」

 相模さんは笑顔を返すのみ。

 秘密主義なのか、それともまだノープランなのか……。

「では、続けよう」

 相模さんと私たちが相対する形だ。


「アイドルとカメラマンの二足の草鞋を履いて活躍。グループからの脱退後もカメラマンとしての活動を継続。デジタルではどんな画像も簡単に作れる時代が来てからは、アナログ手法で独自の世界を追求するアーティスト、日比谷マイ!」

「はーい。やります!」

 さすが日比谷さん。最初に呼ばれたのに、決断が早い。

「ギャラ半分前払いだしね」

 確かにそれは大きい。

 ライブのメンバー紹介みたいなノリが始まった。あるいは最大――

「そして次は――」

 真面目に聞こう。


「アイドルから音楽家へ転身。AIの発達によって修羅の国と化した音楽業界で、今も己の音楽を追及してサバイブし続ける、不屈の女、乙坂ケイ!」

「私はアイドルじゃないんだけどな……。まあ、やるけど」


「アイドルからアートの世界へ。作風があまりにも独特すぎて、学習したAIが狂ったという逸話も。AIもよけて通る暗黒イラストレーター、宗我部エレン!」

 目の前の背中の彼女が、控えめに手を挙げる。

「やります」


「アイドルの王道を歩み続けて35年。現役アラフィフアイドル! 藤堂サホリ!」

 件の完全防備の女性が、帽子・マスク、サングラスを外す。そんな仕草にすら華がある。

 彼女は相模さんに歩み寄っていき、二人はグータッチする。

「うわ、めっちゃカッコいい」

 つい声に出てしまった。


「CD売り上げ累計300万枚。レコード累計200万枚。日本を代表するアイドル。生ける伝説、篠原キクノ!」

 相模さんが車椅子のおばあちゃんを指す。

「なんか褒められているよ、おばあちゃん」

 人は見かけによらない……。

「おばあちゃん、やるって」

 孫娘経由での回答に、相模さんが深く頷く。


「そして、かつて国民的アイドルとして活躍。彼女のブログは百万人が読んだという。脱退後は作家に転身。小説の三作目、彼女の代表作は、すべての人が心を強く持って生きるためのバイブルになった」

 誰のことだろう。

「――三澤ヒカリ!」

 視線が集まる。元アイドルの七人と、その周りの待ち合わせや通りすがりの人たちから。

「……え、あ、私か。いやそんなの昔の話ですし、今はこれといって何も……。月イチのエッセイしかやってないし……」

「どう? 私はやってほしいけど」

 相模さんから選択を迫られる。視線にまっすぐに射抜かれると、なんだかどきどきする。


「三澤さんがやらないなら、私もやらないよ」

 目の前の背中が振り返る。宗我部さんと、今日初めて視線が合う。

「私の絵がAIに学習されて、何度作風を変えてもAIに盗まれて。それでも続けてこられたのは、あなたの本のおかげ」

 宗我部さんの目は真剣だ。そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、私には実感がわかない。

「私が今生きているのは、三澤ヒカリさんと、ラヴクラフトさんのおかげ」

 その言葉を信じていいのか。私は迷う。

「おかげで、ついにAIを殺せるようになった。フフフ」

 笑顔がちょっと怖い。

 

「みんな読んでいたよ」

 今度は、乙坂さんの声。あさっての方を向いて、つぶやくように言う。

「私が作曲で関わったアイドルたち。みんなお守りのように、持っていた」


 日比谷さんが背中を叩く。私は言葉にする。

「や、やります。やりたいです」


  ―5―


 打ち入りの後、自室に戻った。深夜だけど、まずやることは――

 クローゼットの奥から、ダンボールを4つ――着なくなった服と一緒に仕舞ってあった、外付けSSDと、大量の紙資料を取り出す。

 あの小説の続編を書こうとして集めた資料、プロット、キャラクター設定。あの頃は、紙を結構使っていた。そういうやり方が、なんだか性に合っていて。


 執筆を進めていた時に、私の小説の続編とかいう代物が、目に入ってきた。どこかの誰かがAIに生成させて、ネットに流したらしい。

 その存在が頭から離れなくて、つい読んでしまった。

 正直に言って、負けることはないと思った。でも、圧勝もできないと思った。

 仮に点数を付けてみる。私は無論、100点を目指して書く。でも、理想にはわずかに届かない。己の全力の魂と、理想に数歩届かない悔しさ、その結晶が90点の作品になる。

 でも、AIは一瞬で85点を出してくる。

 魂を削って僅差で勝ったとして、そこに価値はあるのだろうか。そう思ってしまったら、小説を書けなくなってしまった。続編はそのまま封印した。


 紙資料をめくっていく。あの頃の想い、情熱。それを今、俯瞰で見ている感覚。こんなことも考えていたのかと、思い出して感じる懐かしさ。それを形にできなかった悔しさ。


 相模さんは、アイドルにはパワーがあると言っていた。アイドルから他の職種に転身した私たちが、この時代をサバイブしているのは、アイドルのパワーを忘れていないからだと。


 アイドルのパワー、それを私は己の美学と解釈した。

 アイドルグループそれぞれの美学。メンバーそれぞれの胸の内にある美学。

 美学なくして、ファンに美しいと思ってもらえるわけがない。


 ふと、鏡を見る。

「はっ、何これ……」

 メイクが崩れて、目の周りが真っ黒だ。

 古代エジプトあたりの歴戦の戦士か、あるいはマッドマックスか。

「そんなにカッコよくないか……」

 不意に思い出した。最初の全国ツアーの時のこと。初の北海道・旭川のライブ。

 泣き崩れた女の子がいた。その光景を今でも覚えている。

 え、そんなに? って驚いたけれど、私は私の出来ることをした。一生懸命、精一杯のパフォーマンスをした。

 今の私は、あの女の子(今は30代だろうけど)に顔向けできない。

 でも、いつか――


 椅子に座って、PCを起ち上げる。

 振り返ると、部屋の中は紙の山。無我夢中で読んでいて、散らかしてしまった。でも、片付けは後だ。

 メイクを落とすのも後だ。

 風呂もキャンセルだ。


 小説の続編?

 創作ユニットの新企画?

 全部やる。

 私は、私の美学を取り戻す。

 AIと私の5点差の中に、私の美学を叩き込む。


 部屋の中に、キーボードの打鍵音が響く。

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七人の古強者《アイドル》 肉球どろん @nikuQ_drone

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