第17話 温泉へ行こう
「温泉へ行きたいかああああああ!」
社長がめいいっぱい叫んでいる。
「「「「「「おおおおおぉぉ!」」」」」」
相変わらず体育会系だな営業課は。
「温泉へ行きたいかああああああ!」
「「「「「「おおおおおぉぉ!」」」」」」
うるさいんだが⋯
まさか三回目はないだろうな。
「温泉へ行くぞぉぉおおおお!」
「「「「「「うおおおおおお!」」」」」」
あったよ三回目。
はぁ、賑やかな会社だな。
先日社長に温泉旅行を会社で企画したら面白いんじゃないか~なんて話したらこれだ。
社長の行動力はとんでもなかった。
まさに鶴の一声。
その日のうちに関係各所に話を通し、次の日に会議を開き決定した。
それが噂を呼び、全社員が知ることとなった。
全社員が強制参加ではなく、任意参加だ。
参加者が多かったので3回に分けて行われる。
急な決定なので土日を使っての1泊2日だ。
さすがに無料という訳にはいかないので、一人3000円の会費がかかる。
それでも温泉旅行1泊2日の夕飯朝食付きでこの値段は破格だろう。
社長の知り合いのツテで実現したらしい。
経営層の顔の広さのなせる技だろう。
言い出しっぺの俺はもちろん参加だ。
俺は第一陣のグループだ。
営業課のメンツ以外に他の部署もいる。
予定を決めてない社員は抽選で行く日取りを決めた。
第一陣に夢花とアリサ、玉木さんもメンバーにいるようだ。
「課長と温泉行けるなんて嬉しいです!」
バスの中で夢花が言った。
俺と夢花は通路を挟んだ状態で隣合っている。
俺の座席の横には社長が座っている。
夢花の座席の隣には玉木さんだ。
「そうですね、それもこれも社長のおかげです」
「ははは、何を言うか。川崎くんが発案者だろう」
「社長と課長のおかげですよ!」
「玉木さんも温泉は好きなんですか?」
話を振られると思ってなかったのか驚きながら返答してくれる。
「ひゃ、ひゃい!あ、あの、私も、すきです」
「日本人で温泉嫌いな人なんてあんまり居ませんからね」
「そうだそうだ、今回お世話になる温泉宿の料理は美味しいからな、期待しておくといい!」
賑やかなバス車内だが、貸切だからこうじゃないとな。
なんだか学生に戻ったみたいだな。
「修学旅行を思い出しますね!」
「遠い昔の思い出でよく覚えてないが⋯⋯この場の雰囲気だけで楽しくなるな」
「私はあんまり⋯⋯」
「それじゃあ今から楽しい思い出に変えちゃいましょ!」
「それはいい考えですね、玉木さんの最高の思い出になれるように楽しみましょう」
やっぱり夢花はいい子だな。
他人を思いやれる優しい子だ。
みんなで楽しく話ながらバスは進み、2回の休憩を経て温泉地へと到着した。
そこは群馬にある有名な温泉地だ。
学生の頃に何度か来たことはある。
今回の泊まる宿はその中でも高級な宿屋の1つと言われるところだ。
社長のツテは凄いな。
「ようこそいらっしゃいました」
俺と社長がバスを下りると、女将が出迎えてくれた。
若草色の着物で藤の花があしらわれている。
今の季節にピッタリな雰囲気だろう。
とても美人な女将さんだ。
「いやいや、助かるよ女将!無理言って済まなかったな」
「いつも社長さんにはお世話になっておりますので。こちらこそありがとうございます」
深々と頭を下げる女将さん。
一体どういう関係なのだろうか。
深入りはしない方が良さそうだ。
「ははは、どうした川崎くん。見惚れてるのか?」
「いやいや、何を仰いますか。でも本当にお綺麗です」
「あらやだ、社長さん、こちらの素敵なお方は紹介して下さらないんですか?」
「すまんすまん、なんだ?女将も川崎くんを気に入ったのか?」
「社長、他の社員が見てますから⋯」
「仕事中じゃないんだ、このくらいいいじゃないか。営業課の川崎くんだ。川崎くんも挨拶しておきなさい」
「はぁ、相変わらずですね社長。初めまして、川崎大地と申します」
「この旅館の女将の山下麗華と申します。本日はおくつろぎ頂ければと思っておりむす。当旅館でお楽しみください」
一連の会話を夢花は見ていたのだろう、頬を大きく膨らませてご機嫌斜めだ。
なんなのあの人!
大地さんも鼻の下伸ばしすぎだよ!
あんなに見惚れちゃって⋯⋯⋯
でも本当に綺麗な人だな。
私とは全然違う、あんな美人になれたら大地さんに見惚れてもらえるのかな。
って私は何を考えてるの。
着物も似合ってる。
私にはあんな大人の魅力なんてない。
やっぱり大地さんもあの女将さんみたいな大人な女性がタイプなのかな。
「課長ったら、あんなにデレデレして⋯」
坂下先輩が怒ってる⋯怖い⋯
でも私も同じ気持ちです。
同じ?え、まさか、坂下先輩もやっぱり大地さんのこと?
「課長って和服美人さんがお好きなのかなぁ」
た、玉木さんも?
玉木さんの私服姿はシンプルだけど、その胸は反則だと思う。
なんなのあれ⋯
坂下先輩は私服もとっても綺麗だし。
私って子供っぽいかな⋯
胸もないし、服装も大人っぽくないし。
どうしたらいいんだろう。
「皆さんお揃いですね、それでもこちらにどうぞ」
女将さんの案内で旅館へと入る。
この旅館に来た時の別世界に入り込んだ感覚が好きなんだ。
いつもと違う、その感覚に酔いしれる。
さっきまでの現実と切り離した空間がそこにある。
玄関を上がると旅館の香りが全身を包み込む。
昔ながらの和の趣がありながら、しっかりと手入れされた木造建築。
柱や梁には長年の風格がある。
畳の香り、お香の匂い、緑茶の香ばしさ、所々にある植物の香り、全てが調和して癒しの空間になっている。
木造の廊下は歩く度に優しく軋む、その音が心地よく響き渡る。
俺は社長のはからいで一人部屋になっている。
役職者は特別待遇にしてくれたようだ。
「部屋も素敵だな」
テーブルの前に荷物を置いて座る。
障子越しに柔らかい光が差し込み、畳の上に座るとほんのりと草の香りが漂う。
窓の外からの景色が綺麗だった。
新緑の季節の柔らかな雰囲気が目の前に広がっている。
爽やかな風を浴びながら窓の前に立つ。
しばらく俺はその雰囲気に浸っていた。
「私達は3人部屋ね」
坂下先輩と玉木さん私の3人が同室だ。
さっきの2人のセリフが気になって仕方ない。
「とっても広いですね!和室好きなんですよ~」
「私も好きなの、いいわよね」
「わ、私も好きです」
各々荷物を置いて、テーブルを囲むように座った。
坂下先輩がお茶を淹れようとするので、私がなんとか止めることが出来、みんなの分を淹れる。
「夕飯までは時間あるし、みんなで外でも見に行く?それとも温泉に早速行っちゃう?」
「どっちも捨て難いですね!」
「玉木さんは希望ある?」
「私はみんなに合わせます⋯」
「いいのよ気にしないで」
「そうそう、みんなの意見で決めましょ!」
2人と行動するのも楽しそうなんだけど、私は大地さんがどうしてるのかが気になってしまう。
まさか女将さんと2人で話してるなんてことないよね⋯
「川崎さん、本日はお越しいただきありがとうございます」
部屋で寛いでいると、女将さんが挨拶にやってきてくれた。
正規の客ではないのに、挨拶にまで来てくれるなんてありがたいな。
若く見えるが40代なのだろうか。
「こちらこそ急な予定なのに快く迎え入れて頂き感謝しております」
「いえいえ、社長にはお世話になったので、このくらいならお安い御用です」
やはり社長と何かしらの縁故があるんだろうか。
⋯⋯⋯⋯邪推はしてはだめだが気になってしまうな。
「社長は顔が広いですからね、今後とも社長共々よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。川崎さんには個人的に贔屓にしてもらっても嬉しいです」
それはどういうことなんだろうか⋯
こんな美人の女将さんにそんなことを言われたら足繁く通ってしまいそうだ。
これも営業トークなのだろうか。
勉強になるな⋯
「まだ夜の宴会までお時間がございますから、当館の自慢の温泉もゆっくりお楽しみください」
「それはいいですね、旅館を見て回ってから行ってみます」
「それなら私に案内させて頂けませんか?」
「いいんですか?お仕事がお忙しいんじゃ?」
「私はそんなにお仕事がないんですよ、うちの従業員は優秀な人が多いので」
口に手を添えて微笑む姿がとても色っぽく見えてしまう。
「ご迷惑じゃなければお願いしてもいいですか?」
こんな美人の隣を歩けるなんて嬉しいな。
ここまで言われて申し出を断ることなんて無粋だろう。
部屋を出て女将に付いて旅館を案内してもらう。
「どこから見て回りますか?」
私達は玉木さんの案で、旅館を見て回ることにした。
「適当に歩いてみましょ」
「は、はい!」
坂下先輩が引っ張ってくれるのでとてもありがたい。
玉木さんとも仲良くなれたら嬉しいし。
それに大地さんのことをどう思ってるのか聞くチャンスだもん。
坂下先輩も大地さんとどんな関係か気になる。
館内をおしゃべりしながら3人で歩いている。
どこを見ても綺麗な旅館。
大地さんと2人で散策したかったな。
「あれは課長?」
玉木さんが一番に気づいた。
「あら、大地さんじゃない」
え?坂下先輩も名前で呼んでるの?なんで?
「なんで女将さんと?」
大地さんの隣に女将さんが居て、楽しそうにおしゃべりしているのに気付いてしまった。
「また大地さんったらあんなにデレデレして⋯」
「やっぱり和服美人が⋯」
2人ともさっきと同じこと言ってる。
でもその気持ちはわかる。
坂下先輩が大地さんの後を追うように歩き出した。
無言で私と玉木さんはついて行く。
何を話しているんだろう。
時折女将さんが指差しながら歩いている。
旅館の説明をしてるの?
「おかしいわね、社長でもないのに女将さんが単独で案内してるなんて⋯」
坂下先輩がそんなことを呟いた。
やっぱり変なんだ。
ずるい、私も課長と旅館散策したかったのに。
「あっ⋯⋯⋯」
「おっと、大丈夫ですか?」
つまずいてしまったのだろう、俺の方によろめいて来たので抱きとめた。
女性特有の柔らかくていい匂いが俺の鼻腔を刺激する。
抱きとめた時に女将さんのうなじが目の前に見える。
なんて綺麗なんだろうか。
うなじに色気など感じたことはないが、和服から覗くうなじの破壊力に俺はやられそうだった。
「私ったら、どうしたのかしら、すみません。川崎さんとご一緒だから気持ちが浮ついてしまっていたのかしら⋯」
「足は痛めてませんか?」
抱きとめたまま話している。
女将さんも自分から立とうとせず俺にしなだれかかってきているようだった。
上目遣いで俺を覗き込んできた。
「足は痛くないです、ただ⋯」
「⋯⋯ただ?」
なんだろうか⋯
引き込まれるような瞳だ。
目を離せない。
「大地さん、何してるんですか?」
「うおっ、あ、アリサ!」
「何驚いてるんですか、やましい事でもされてたんですか?」
「な、何を言うか、倒れそうなところを助けただけだぞ?」
「怪しいですね!」
大地さんがアリサさんに詰め寄られている。
それでも女将さんを抱きとめたままだ。
何してるんですか本当に。
早く離れてください。
「あらあら、川崎さんはおモテなんですね」
あの女将さんもなんなの?
余裕そうに笑ってるし。
あ、やっと離れた。
「ごめんなさい、誤解させて。私の不注意だったんです」
「怪しいなんてことはないぞ?危ない所を助けるのは当たり前じゃないか」
「そうですか⋯そんなに焦ってたら余計怪しいですからね」
坂下先輩すごい⋯
ガンガン責めてる。
でも今は責めていいです。
やっちゃってください。
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