#011 春の手紙

 春の風が、窓の隙間からそっと入り込んで、机の上の便箋を揺らした。


 チエはペンを持つ手を止めて、その揺れる紙をじっと見つめる。


 書きかけの手紙。


 宛名を書くことのできない手紙。


――サキへ。


 そう書き出したものの、その先の言葉が続かない。


 どんな言葉を綴っても、軽すぎる気がした。


 でも、重い言葉を書けば、もう後戻りできなくなりそうで怖かった。


「……や、やっぱり……やめよう」


 ペン先をそっと紙から離す。


 窓の外では、桜の花びらがひらひらと舞っていた。


 春は、何かを始める季節だと誰かが言っていた。


 けれど、チエの想いは、まだ始める勇気を持てずにいた。


 風が少しだけ強く吹いて、便箋がふわりとめくれる。


 その上に、チエの小さな手がそっと置かれた。


――まだ、この気持ちはしまっておこう。

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えふえむ三人娘の百合SS えふえむ @fm2960

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