伝記羊はジーザスの夢を見るか
蝉川夏哉
伝記羊はジーザスの夢を見るか
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
目が覚めるといつも通りの1K(築120年!)の
「……チクショウ! やっぱり壊れてやがる!」
安物を買うものではないとソフトを破棄しかけて、
オレは眠い目(イカしたことに、瞳孔が横長である)を擦りつつ、意識をWebXにフルダイブさせた。四次元立体構造物が複雑に明滅する“例のロゴ”が表示され、いつもの軽い不快感が襲う。ゴロゴロとした粘土質の石が胃の中で暴れまわっている、そんな感覚だ。
人類は随分と進歩した。あるいは、退化した。
血管の中にマイクロマシンを流して副脳ネットワークで形成できるようになってからは、特に。自身の感情でさえTPOS(時と場所と機会と陣営)に応じて操作できるようになったのだから、
好きな時にWebXに入り、適当な食い扶持と電気代を稼ぐ。食べる楽しみは
「お、創造的ディレクトリの降臨か!」
「バカ言え。オレは伝記研究者だ。学術的ディレクトリだって何度言ったらそのラリパッパな頭は理解できる?」
「〈研究者は紙を食って生きる〉なんてモットーに従ってヤギの姿に人体改造した若かりし頃のお前さんなら学術的ディレクトリだろうよ」
「うるせぇ。どうせオレはヒツジだよ」
ヤギとヒツジの区別を知らなかったオレは、安かったのでヒツジを選んでしまった。お陰で今でも毎年、毛を刈りに行く必要がある。面倒極まりないが、貴重な現金収入だから今更やめるつもりもない。
「で、その伝記学者様が何の相談にこのような場所まで足をお運びに?」
「……お前さんから買ったエロソフト、ぶっ壊れてるぞ。他の客から文句は言われなかったか?」
言いながら、蹄でファイルのコピーをフクロウに投げつける。相手は翼ではなく、脚で器用に受け取った。
「おっかしいな。他の客からは大層ご好評を頂いているんだが、っと……」
フクロウの眼球が四方八方十六方三十二方六十四方百二十八方と目まぐるしく動きソフトの異常を検分する。蛇の道は蛇、餅は餅屋、夜のことはフクロウに。
「んー、異常はねぇなぁ。電気学者様はどんなエロい夢をご覧になったんだ?」
「エロくねぇ」
9回も見たのは、今伝記を書いている三千年近く前のある宗教者のことだ。
魚と炭水化物食品を数千倍に増やして見せたり(夢の中では実際にはちょっと異なる表現だった)、重力制御なしに水の上を歩いて見せたりと、なかなかにスリリングな夢だった。
夢の中でオレは彼に導かれる仔羊として付き従う。妙に生々しくて、説法を聞けば胸が熱くなり、彼の斬新かつ常識破りの解釈を聞けば頭をハンマーで殴られたような衝撃を実際に感じ、そしてあの丘で……
「夢を見て泣いたのなんて、はじめてだよ……」
夢の内容を聞いていたフクロウは「ふーん」と羽を組んで暫く考え込んでいた。
「伝記学者様、アンタ、脳は結構残ってたよな?」
現代では、脳の機能の多くは血中のマイクロマシン副脳で代替可能なので、ロボトミるのが当たり前になりつつある。これをすることで生活に必要なカロリーを減らせるので、長い目で見ると安上がりになるからだ。
だが、オレは、何となく自分の脳をそのまま残していた。
理由なんてない。何となく、だ。
「なんだよ。原因が分かったのか?」
「……お前さん、それは本当に
「は?」
夢、ドリーム、 梦、トラウム……
夢なんてものは身体を休眠させるときに見るソフトの内容という意味しかないが、確かに昔々は人体が自然に見せていた、という“伝説”がある。
「夢だよ、夢。なあ、その夢をオレに売ってくれねぇか。間違いなく商売になる。アンタ、金持ちになれるよ」
フクロウは珍しく、縋るような声を上げた。
本当に儲かるんだろう。
そうすれば今の狭くて汚くて狭くて臭くて狭い1K(築120年!)とはオサラバできるかもしれない。
「な、悪いようにはしねぇよ……」
声に哀願の色が混じり、フクロウの翼がオレの前肢を掴んだ。
「……いや、やめとく」
「おい、なんでだよ!」
「……理由なんてない、何となくだ」
翼を振り払うと、オレはWebXから“Re解脱”した。
目覚めた時とは違い、不思議と気分は晴れていた。
伝記羊はジーザスの夢を見るか 蝉川夏哉 @osaka_seventeen
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