【短編】大熊事実は夢魔に気が付かない【微ホラー】

山本倫木

KAC20254 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 帰国した日から毎夜だから、昨日で9回目。間違いのない事実じじつだ。

 自分は馬車に揺られている。重厚な造りの客室は、空間には余裕があるのに妙に重苦しい。手触りの良い深紅のベルベットのシートに、自分は一人で座っていた。ドアには外から錠がおりているのか、押してもガタガタ音を立てるだけ。自分は閉じ込められたまま、粛々と運ばれていくよりなかった。

 初めてこの夢を見たとき、窓の外は真っ暗だった。光源は、天井に吊り下げられた弱々しいランプが一つあるきり。だが、次の晩には、遠くに灯りが見えた。灯りは夢のたびに近づいてきて、やがて巨大な石造りの城だと判明した。中世ヨーロッパ風の城だ。

 9回目の夢で、ついに馬車は城に到着した。誰かがドアの錠を外す音がする。自分はそこで、目が覚めた。






「と、いう夢を見ていると」


 広瀬ひろせ結衣ゆいは、さっきまでビールが入っていたグラスに安ワインを注いだ。ハートのピアスが似合う耳は、すでに赤みがさしている。


「うん、旅行の続きみたいでしょ」


 お得でしょ、と並びの良い歯を見せ、大熊おおくま事実ことみはグラスをあおる。既にユイの倍の量を消費しているのに、顔色は変わっていなかった。


 コトミとユイは中学時代からの友人だ。理屈っぽくて冗談の通じないコトミと、想像力豊かでいつも周りを笑わせているユイ。嗜好も性格も正反対の二人だが、出会った時から妙にウマが合い、今に至るまで交友が続いている。二人が互いの家で差し向かいで飲むのは、珍しいことではなかった。


「コトミでもそんな夢、見るんだ。よっぽどプラハ城が楽しかったんだね」

「そうかも」


 二人は先日、連れ立って卒業旅行に行ってきたところだった。行先はチェコの古都、プラハ。行先を決めたのはチェコ文学を専攻していたユイだったが、コトミも二つ返事で賛成をした。


「だって、私にとっても縁のある国なんだよ」

「ねー。まさか、コトミのおじいちゃんがチェコ人だったなんて、知らなかったわよ。美形なのはおじいちゃん譲りだったワケね」


 コトミが生まれる前に亡くなった祖父は、チェコ人だった。祖父自身は祖国以上に日本が好きだったようで、最終的に日本国籍まで取得して、本人の希望で『日本人らしく』仏教の葬式をあげた。コトミの実家には祖父の写真の他に位牌まである。

 直接会えたことはなかったが、写真の祖父の彫りの深い顔立ちと、両親から聞かされる祖父の物語は、コトミにまだ見ぬ異国への興味を抱かせた。だから、ユイに誘われたチェコ行きは、コトミにとっても願ってもない提案だった。貯金は空っぽになってしまったが、行って良かったとコトミは思っている。




「ねえ、アレ、向こうで買ってきたヤツ?」

 ユイがベッドの枕元に置いてあるジュエリーボックスを指した。


「うん。ほら、最後の夜に路地裏の露店でオマケしてもらったやつ」

 コトミは立ち上がり手に取ると、はい、とユイに手渡す。馬車を象った、アンティークな宝石箱だ。


「コトミも、よくあんな買い物したわよね」


 ユイはクスクスと思い出し笑いをした。

 店主は高齢の男性だったが、観光地には珍しく英語が分からない様子だった。いろいろ買うからこの宝石箱もオマケに付けてくれ、と片言の英語で主張するコトミに対し、店主はユイにも聞き取れない早口の現地語で応えていた。最終的に、少し多めにユーロを渡して「オーケイ?」とジェスチャーを交わして購入したものだ。

 ユイは、宝石箱を手に取った。馬車を模している小箱は丁寧な造りで、車輪もちゃんと回転する。ドアには掛け金が掛っているが、外せばスムーズに開いた。中には深紅のベルベットで造られた重厚なシートの上に、コトミ愛用の小ぶりなピアスが鎮座している。ユイが形のよい眉をしかめた。


「……ねえ、コトミ。さっきの夢、馬車に揺られているって言ってたよね?」

「うん、そうよ」


 コトミはワインボトルを逆さにして、最後の一滴をグラスに落とした。コトミの白い首筋にも、やっと赤みが差してきていた。


「このジュエリーボックスみたいな馬車?」

「あー、確かにそうかも」


 コトミはケラケラと笑った。さすがに、酔いが回ってきたようだ。


「ちょっと、おかしいと思わないの? 同じ夢を何回も見るなんて」

「えー、だってプラハ楽しかったし、枕もとにそんな馬車置いているから、夢に出るんじゃない?」


 そうかも知れない。けれど何か引っかかる。

 ユイは手に持った小箱を、丹念に観察した。ひっくり返すと、底面に何か文字が刻まれている。底面だけは塗装がされておらず、剥き出しの木目をさらしていた。ユイは目を細めてそのかすれた文字を解読し、数分かけて意味を理解したとき、酔いが一気に醒めるのを自覚した。


「ちょっと、コトミ! これ見てよ!」

「見せられても、私、チェコ語は読めないわよ」


 真剣な眼差しで小箱を突き付けるユイに、コトミは上機嫌で応じる。


「vysněná《ビスミナー》 démonická《デモニツカー》 skříňka《スチンカー》! 夢魔の箱って意味よ!」

「へー、コレ、そういうタイトルの作品だったんだ」


 納得してニコニコするコトミに、ユイは毒気を抜かれた。しかし、すぐに気を取り直す。


「へー、じゃなくて! 夢の悪魔よ!? コトミが見続けているその変な夢と、絶対何か関係があるわよ」

「まさか。夢は夢よ。内容は珍しいかもしれないけどさ」

「でも悪魔の箱よ。夢ではもう、お城まで馬車が着いちゃったんでしょ。続きを見るのは、きっとヤバいって」

「ヤバいって、どうなるの?」

「分かんないけど、二度と目が覚めないとか……?」


 酔いではなく頬を紅潮させて自分を心配している親友の姿に、コトミはからからと悪びれもなく笑う。が、笑われても真面目な顔を崩さないユイを見て、慌てて真面目な顔を繕った。ごめんごめん、と謝った後、コトミは続ける。


「ユイはさ、昔からオカルト好きだよね。中学の時も、クラスメイト集めてはコックリさんだっけ? やってたじゃない。変わらないね」

「超常現象は存在するわよ。そりゃ、あの時のコックリさんは偽物だったかもしれないけど……」


 昔のことを言われて、ユイは気勢をそがれた。

 コトミは昔から、理屈で説明できないものを受け付けない。ユイは良く知っていた。ユイ自身はオカルト話が大好きなのだが、コトミの一貫したその姿勢には憧れさえ覚えている。


「心配してくれて、ありがとうね。ユイに想われて、私は幸せ者だよ」


 ぽん、とコトミはユイの頭を撫でた。コトミに撫でられると、昔からユイは何故か言葉を継げなくなる。この感情の意味を、ユイは深く考えたことは無かった。

 その日、夢の話はこれで終わってしまった。酔いもあり、二人はパーティの片付けもそこそこに眠りについた。





 気が付くと、馬車の扉は開かれていた。

 ああ、夢の続きなんだなと、コトミは気が付いた。扉の外には古めかしい礼装を着た男が立っている。帽子のつばで、顔は見えない。コトミは馬車を一人で出る。ユイが居ないのは物足りないな、とぼんやり考えた。


 暗くて地面はよく見えなかった。どう降りようかと迷っていると、礼装の男が優雅に手を伸ばしてきた。頭が上がり、帽子に隠れていた顔がのぞく。その顔は骸骨だった。あっと思う間もなく骸骨の手がコトミの腕を取る。筋肉もないのにどうやって動いているんだろう、と思ったが、意外にも力強い手にひかれ、コトミは馬車を降りた。地面はぬかるんでいて、生ぬるい泥濘が足にまとわりつく。

 骸骨がコトミを城門へといざなう。コトミは何故か逆らえなかった。夢だからな、と思った。城門の奥は真っ暗で、何があるのかは分からない。骸骨はコトミを無限の暗闇に引き込もうとしていた。




「おーい!」


 遠くから、声がした。骸骨が立ち止まる。コトミが振り返ると、裸馬にまたがって駆けてくる男の姿があった。


「待ってくれ。その子を連れて行くのは、待ってくれ!」


 男は城門に近づくと、ひらりと飛び降りた。白い和服を、裾をからげて着こなしている。男は骸骨に歩み寄ると、何かを訴えはじめた。コトミには聞き取れなかったが、端々に聞こえる響きはどうやらチェコ語のようだ。男は骸骨と対話していたが、やがて、袂から何かを取り出して渡した。すると、受け取った骸骨はおとなしく、一人で城の中に入ってしまう。

 城門が閉まり、コトミは男と二人、外に残された。


「遅くなってすまないね、コトミ」

 男はコトミに向き合った。彫の深い落ちくぼんだ目と高い鼻。近くで見ると、それなりの高齢であると分かる。チェコでよく見たスラヴ系の顔立ちだが、言葉は流暢な日本語だった。男の顔に、コトミは見覚えがあった。


「えっと、貴方はもしかして私のおじいちゃんですか?」

「ああ、そうだよ。初めまして、だね。君はおばあちゃんの若いころによく似ているよ」


 祖父は、嬉しそうに眼を細めた。コトミにとって初めて会う祖父だが、どこか懐かしく感じられた。幼いころから、写真はよく見ていたからかもしれない。


「夢でも、会えてうれしいです。おじいちゃん」

 コトミは祖父に笑いかけ、手を取った。父と同じ、がっしりした大きな手だった。祖父は照れくさそうに空いている手で頭をかいた。


「もっと早く来たかったんだが、先方に渡す身代わりの用意に手間取ってしまってな。もう、悪さはしないそうだから、安心しておくれ」


 そう言えば、さっき骸骨に何か渡していたっけ。よく出来た夢だなと思っているうちに、徐々に周囲があかるくなってきた。


「なあ、コトミ」

祖父は手を強く握ってきた。


「俺は三途を渡った後も、ずっと家族のことを見守ってきた。君のことも、生まれてからずっと知っている。だから、リアリストの君が、俺に会っていることも、ただの夢だと思っていることは分かっている。でも、一つだけ言わせて欲しい」


 祖父の目は青かった。澄んだ美しい瞳がコトミを射る。


「信じようが、信じまいが、君は君を大切に思う人から常に守られている。いつか、分かる日が来るよ」


 祖父が話す間にも、周囲はどんどん明るくなり、そして――





 コトミは目を覚ました。昨日は深酒をしたのに、不思議といつも以上にさわやかな目覚めだ。横を見ると、ユイが穏やかな寝息を立てている。絡んだユイの腕をそっと外してベッドから這い出た。


「コトミ?」

「あ、起こしちゃった?」


 そっと出たはずなのに、ユイは目を覚ましてしまったようだ。ユイはむくりと上体を起こした。立って歩いているコトミを見て、整った顔に安堵の表情を浮かべる。


「コトミ、夢は大丈夫だった?」

 開口一番に尋ねるユイに、コトミはさっきまで見ていた夢の内容を語った。話すうちに、ユイの顔色が変わっていく。


「ほら、やっぱりヤバい夢を見たわけじゃん」

「だから、何度見たって夢は夢よ。なんでもないわ。でも、ほら、ユイの理屈に付き合っても、おじいちゃんのおかげでもう安心よ」


 相変わらず心配を取り合ってくれないコトミに、ユイはふう、とため息をついた。


「ところで、おじいさんの名前、なんて言うんだっけ?」

「ドミトリ・ドミトリスクだね。チェコ人だけど、さかのぼるとルーツはロシア系なんだって」

「そっか。ドミトリの降臨で助かったのね」


 おじいちゃんに感謝しなきゃ、とユイは自分に言い聞かせた。





 同じころ。

 コトミの実家では、コトミの祖母が仏壇に向けて語り掛けていた。

「あれあれ。またお供えの饅頭が無くなっとるがね」

 祖母は位牌に向かって穏やかにほほ笑んだ。


「ドミトリさんたら。そんなにお饅頭持って行って、どうするんですかね」





【了】

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