第2話 何がまんなかにある?
オフィスの窓際に腰かけ、藤崎直人は机に積み上げられた政府の政策資料を一枚ずつめくっていた。
「こども未来発展省の設立」「子育て支援アプリの普及」「手厚い育児手当」──見出しだけを見れば、まるで政府が本気で少子化対策に取り組んでいるように思える。だが、実際のところ、そのどれもが虚構にすぎなかった。
彼は静かに深呼吸し、指先で資料の隅をめくる。表向きの美辞麗句に隠された本質を暴き出すのが、自分の役割だ。
ページを追うごとに、彼の眉間の皺が深くなっていく。
──どの施策も、根本的な問題を解決するものではない。むしろ、若者世代の生活をますます圧迫する要素が多い。
例えば「手厚い育児手当」の項目。確かに額面上は一定の金額が支給されるが、その財源として新たな増税が設定されている。社会保険料の引き上げに加え、新たに「育児支援特別税」という名目で現役世代の可処分所得が削られる仕組みだ。
さらに、「子育て支援アプリ」。このアプリの開発には莫大な予算が投入されたとされるが、実際には民間企業の既存サービスの焼き直しにすぎない。しかも、肝心の支援内容はほぼ空っぽだった。
「こんなものが役に立つわけがない」
藤崎は呟きながら、実際にアプリをダウンロードしてみる。画面には明るい色彩のイラストとともに、「あなたの育児をサポートします!」という軽薄なキャッチコピーが表示された。しかし、具体的な支援策を探しても、表示されるのは曖昧な助言ばかり。
『子育ては大変ですが、家族の支えがあれば乗り越えられます!』
『育児のストレスを減らすには、リラックスする時間を作りましょう!』
藤崎は苦笑した。
「結局、何の役にも立たないってことか」
画面をスクロールすると、目を引くのは「利用者の声」と称されたポジティブなレビューばかりだった。
『このアプリのおかげで子育てが楽になりました!』
『助かっています。ありがとうございます!』
しかし、それらのコメントはどれもテンプレートのように不自然で、実際の利用者の意見とは思えなかった。
藤崎は舌打ちし、アプリを閉じた。
「これは…ただの広告ツールだな」
調べを進めると、このアプリの運営企業が政府と癒着していることがわかってきた。莫大な税金が流れ込んでいるのに、実態はほぼ空虚。表向きは「子育て支援」だが、実際には単なる利権の温床だった。
──政府の本当の狙いは何なのか?
藤崎は改めて疑念を深めた。
資料を読み込むほど、藤崎の胸の奥底にじわりと不快感が広がっていった。
「少子化対策」と言いながら、政府の施策はむしろ現役世代の負担を増やし、生活を苦しめるものばかりだ。
例えば、住宅政策。
政府は「子育て世帯向けの住宅支援」を打ち出していたが、内容を精査すると、新築マンションの購入に限定されており、補助金の申請条件も厳しすぎる。しかも、都市部の住宅価格は異常に高騰しており、一般の若年層が家を買うのはほぼ不可能な状況になっていた。
彼は記者仲間に連絡を取り、データを収集した。
──東京23区の平均マンション価格、1億円超え。
──首都圏の家賃相場、5年前の1.5倍。
──外国資本による不動産買い占めが加速。
「…何かがおかしい」
調査を進めると、住宅市場の異常な高騰の背後には、シャンロン資本が深く関与していることが判明した。
「シャンロンが日本の不動産を買い漁ってる…?」
彼は震える手でメモを取った。
この動きが意図的なものだとしたら?
──若者が住宅を持てなくなれば、結婚・出産を躊躇する層が増える。
──結果的に出生率はさらに低下する。
──長期的には、日本の人口構造そのものが変えられる。
「まさか…」
藤崎は、政府の政策がこの流れを助長していることに気づき、戦慄した。
そして労働環境の変化もまた、同じ方向へと向かっていた。
政府は「働き方改革」を掲げ、残業規制を強化し、フレックスタイム制を導入。しかし、その実態は、企業側に都合のいい「賃金カット」の口実にすぎなかった。
成果給制度の導入により、年功序列の賃金体系が崩壊。給与のベースアップがほぼ期待できなくなり、若年層の可処分所得は減少する一方だった。
ある労働組合の幹部が、藤崎に匿名で語った。
「これじゃあ、若い連中は結婚なんて考えられないよ」
「家庭を持つ余裕がない?」
「そうだよ。手取りが減るのに、家賃は上がる。子どもを育てる経済的な余力なんて、誰も持てない」
藤崎は、少子化対策の裏にある本当の目的が見えた気がした。
──これは、国家ぐるみの人口抑制政策だ。
若年層の生活を圧迫し、結婚・出産を困難にすることで、意図的に出生率を下げる。
だが、なぜ?
彼は筆を止め、天井を見上げた。
──人口を減らし、社会構造を再編するため?
──外資の流入を促し、日本の経済基盤を根本から変えるため?
答えはまだ見えなかった。だが、ひとつ確信できることがあった。
政府は、本気で少子化を止めるつもりなどない。
藤崎はゆっくりと資料を閉じ、深く息を吐いた。
──この国は、変わり果てようとしている。
深夜の都心。煌びやかなネオンが遠くに瞬き、雨に濡れた石畳が冷たく光を反射している。高級料亭「蓮花楼」の個室に、重厚な木製の扉が静かに閉じられると、中では密談が行われていた。
長いテーブルを挟み、両側に座るのは、政府高官とシャンロン系企業の重鎮たち。室内は薄暗い照明に包まれ、金箔を施した壁面が不思議な威厳を放っている。
「本日は、未来の日本のために、我々の協力関係をより一層強固なものとするために、ここに集った。」
と、桐島洋介――こども未来発展省大臣の傀儡として知られる男が、ぎこちなく口上を述べる。しかし、その声には、かすかな震えと、心の底で何かを拒絶するような響きがあった。
一方、隣に座るシャンロン側の代表は、冷静かつ鋭い眼差しで、テーブル越しに書類を指差す。
「我々は、今回の『AI育児相談システム』に対する開発契約において、約100億円の資金援助を提供する。だが、これが単なる技術導入ではなく、経済協力の一環であることは、明確にしておくべきだろう。」
空気は凍りついた。官僚たちは、目の前で行われる裏取引に心を乱されながらも、既に決まってしまった運命を悟っていた。
「……この契約金、実際にはほとんどがシャンロン資本の企業の口座へ直接流れている。日本側の予算は、見せかけだけの数字に過ぎないのだ。」
一人の若い役人が、震える手で密かにメモを取る。だが、彼の目には恐怖と無力感が浮かんでいた。
会話は続き、華やかな外見の裏で、日本の政治家たちが次々と裏金や便宜供与に応じる様子が、重苦しい静寂とともに明らかになっていった。
この瞬間、蓮花楼の外で降りしきる雨音が、国民の嘆きを代弁するかのように、静かに、しかし確実に響いていた。
翌朝、藤崎直人は、薄明かりの中、新聞社のオフィスで再び調査資料に目を通していた。前夜、匿名の内部告発者から送られてきたUSBメモリには、驚くべき取引記録が保存されていた。
その記録には、シャンロン資本へ日本政府の各省庁、特に「こども未来発展省」から定期的に巨額の資金を流し込んでいる様子が、細かく記されていた。
「この金は、税金の横流しであり、シャンロン資本の広告代理店への『子育て支援広報活動』として流用されている…」
藤崎は、画面に映し出された数字と取引先の口座情報を見つめながら、心の中で怒りと嘆きを募らせた。
――シャンロン側は、香港やシンガポールを経由して、秘密口座に資金を移動させる手口で政治家やその政治団体、親族が経営している企業に資金が流れる。
「これが本当の『経済協力』というものか……」
彼は思わず拳を握りしめ、机を強く叩いた。
その瞬間、オフィス内の空気が一変する。隣席の先輩記者が、静かに口を開いた。
「藤崎、これ以上は危険だ。悪い事は言わん
。やめとけ。」
藤崎は深い葛藤の末、再び決意を固める。
「俺は、真実を追い求める。たとえ、命を削ることになろうとも…」
その言葉は、オフィス内に重く、静かに響いた。
ここから、彼の調査はより一層、危険な方向へと進むことになる。内部告発者から受け取った資料は、シャンロンとの癒着がいかに巧妙に隠蔽され、政府内部でどのように分配されているかを、詳細に示していた。
藤崎は、深夜のオフィスに残り、PCの前で何度もそのデータを確認した。数字の羅列、銀行振込の記録、そして会食と会食後に配られる商品券の領収書、すべてが、政府の汚職を裏付ける決定的な証拠であった。
藤崎はため息をつき、目を閉じた。だが、彼の中には、真実を明るみに出さねばならないという強い意志が、確かに燃えていた。
国会の裏側では、官僚たちが暗躍していた。
会議室に集う役人たちは、昼下がりの薄暗い部屋で、低い声で密かに話し合っていた。
「新たな予算案は、表向きは子育て支援だが、実際には広告代理店への委託金として計上されている。」
一人の古参官僚が、厳しい顔で報告する。彼の目は、これまで数多くの腐敗を見てきた苦悩と、どこかあきらめにも似た光を湛えていた。
「我々がこれを公にすれば、すべてが白日の下に晒される。しかし、政治家はすでにシャンロンからの裏金を受け取っている。抗議する暇もなく、全ては決まっているのだ。」
室内には、そんな言葉が重く垂れ込め、やがて沈黙に包まれる。
そして、ある日の国会本会議で、記者たちが政府の「子育て支援策」について質問を投げかけると、桐島洋介大臣は、決められた台本を読み上げるだけで、具体的な数字や進捗については何も答えなかった。
その様子は、まるで役者が舞台上で決められたセリフを暗記しているかのようで、国民に嘘をつくことの重みを全く感じさせなかった。
「本件につきましては、ただ今、関係各所と連携を取りつつ、適切な対策を講じております。」
その一言に、会場は苦々しい空気に包まれ、記者たちは沈黙を強いられた。
――全ては、シャンロン側から送られてきた裏金によって動かされる、ただの駒に過ぎなかったのだ。
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