解放された元聖女が掴んだ幸せ

白崎まこと

第1話

「すまない、ルーシャ嬢」



 数刻前に来客の知らせを受けて応接室に足を運んだルーシャは、肩を並べてソファー席に座る男女と机を挟んで対面していた。


 ここはブルスメリア王国の中枢に位置する神殿で、聖女であるルーシャの職場だ。

 部屋の入り口には王族の護衛である二人の騎士が立っている。


 つい今しがた悲痛な面持ちでルーシャに謝罪したのは、この国の第二王子であるロードリック。

 赤髪に穏和そうな茶色の瞳を持つロードリックは一ヶ月後に成人を迎えるため、それまでに婚約者をきちんと選ばなくてはならない立場にあった。


 ロードリックの隣に座る長い黒髪の女性は、ルーシャと同じ白い修道服を着ている。

 彼女はルーシャの同僚であるパトリシアだ。

 パトリシアは妖艶な笑みを浮かべながらルーシャを見ていた。


 ロードリックは険しい顔で言葉を続ける。


「私は正式にパトリシアと婚約することに決めた。だから君との交流はこれをもって最後とさせてもらう」

「承知いたしました殿下。どうかパトリシアさんとお幸せに」

「本当にすまない」

「謝らないでください。私は殿下の婚約者候補であったに過ぎません。あなた様がようやく将来の伴侶をお選びになったことを心より祝福いたします」


 ルーシャは穏やかな顔で胸に手を当てて敬意を示しながら祝いの言葉を述べた。

 その様子にロードリックは強ばっていた表情を和らげる。


「ありがとう。君にも幸運が訪れるよう祈っているよ。それでは私はこれで失礼する」

「ええ。お忙しい中ご報告くださりありがとうございました」


 ロードリックは立ち上がり、隣のパトリシアに手を差し出した。パトリシアは首を軽く横に振る。


「私はルーシャさんと仕事のお話がありますので、このままここに残らせていただきますわ」

「そうか。分かった」


 パトリシアは微笑みながらロードリックと護衛二人が退室するのを見送った。


 扉がパタンと音を立てて閉まると、パトリシアはルーシャの方を振り返った。

 その顔には先ほどまでの美しい笑みはない。とてもじゃないが殿方に見せられない醜悪な笑みを浮かべている。


 ルーシャには見慣れたものだ。


 パトリシアは脚を組み、ソファーの背もたれに両腕を乗せてふんぞり返った。

 とてもじゃないが殿方に見せられない姿である。


「殿下に選ばれなくて残念だったわね。まぁ最初から勝負にすらなっていなかったと思うけど」


 パトリシアはふふんと鼻を鳴らしながら顎をつきだす。

 彼女がルーシャに高慢な態度を向けるのはいつものことなので、ルーシャは特に動じない。ただ儚げに目元を和らげた。


 パトリシアが目鼻立ちがはっきりとした彫りが深い顔立ちの健康的な美女であることに対して、ルーシャは風に吹かれれば倒れてしまいそうなほど儚げな美女であった。


 色白な肌、緩く波打つ淡緑色の髪に水色の瞳。

 白い修道服の裾から覗く首や手はほっそりとしていて、薄幸そうな微笑みは庇護欲をそそるものだ。


 パトリシアはそんなルーシャに一方的に敵対心を燃やしている。

 自分と同じロードリックの婚約者候補ということもあり、ここ数年は顔を合わせれば悪態をつくことが習慣になっていた。


 ルーシャの方は特にパトリシアに対して強い思い入れはなく、仲良くする気がないなら放っておいてくれればいいのに、面倒くさい人だな、友達がいないのだろうか、などと思うだけであった。

 反論する気すら起こらないため、いつものように静かに微笑みながら口を開いた。


「以前からパトリシアさんと殿下はとてもお似合いだと思っていたから、ようやく婚約されることを喜ばしく思っているわ」

「ふん。心にもないことを」


 ルーシャは心からの賛辞を送ったが、パトリシアはルーシャの悔しがる顔が見れなくて不満だといいたげに顔をしかめている。

 ルーシャはこんなやり取りにいつもうんざりしていた。

 最初からこちらに歩み寄る気のない人との対話など時間の無駄でしかない。


「お話は以上かしら。私は仕事に戻りたいのだけれど」


 ルーシャは淡々と希望を口にした。

 彼女は午前中は護符作りに勤しみ午後は神殿の来訪者に対応したりと忙しない日々を送っている。

 特に護符作りはあまりに数が多すぎるため、一分一秒たりとも無駄にしたくない。


 パトリシアはルーシャを嘲るように口の端を持ち上げた。


「フン、あなたって落ちこぼれだものね。たかが護符作りに苦戦しているそうじゃない」

「恥ずかしいけれどそうなのよ。パトリシアさんは私と同等の量をいつも短時間でさっと終えていると聞いて尊敬しているわ」

「当たり前じゃないの。あなたなんかとは聖女としての格が違うのよ」

「そうね」


 パトリシアはフンと鼻を鳴らすとドカドカと足音を立てながら部屋から出ていき、乱雑に扉を閉めた。


「……はぁ。ようやく静かになったわ」


 応接室に一人残ったルーシャは息を吐くと冷めた紅茶を一口飲んだ。


 パトリシアのことは特に憎くもないが、あの耳をつんざくような甲高い声は好きではない。

 煩いパトリシアがいなくなったこと、そしてロードリックがきちんと婚約者を決めたことに安堵する。

 ルーシャがパトリシアから目の敵のようにされる要因が減ったからだ。


 ルーシャにとってロードリックは、物腰が柔らかでいつもこちらを楽しませようと豊富な話題で場を盛り上げてくれる良い人、という存在だった。


 王子の婚約者候補に選ばれたことは光栄であったし、もし自分が正式にロードリックと婚約することになったら、快く受け入れるつもりでいた。


 だけどロードリックはパトリシアを選んだのだから、彼との関係はこれで終わりだ。

 ルーシャには結婚願望がないわけではないが、将来の伴侶は穏和で優しくて自分を大切にしてくれる人ならそれでいいかな、というざっくりとした希望がある程度。


 その他に一つだけどうしても譲れない希望があるが、それは自分を大切にしてくれる人なら必ず叶えてくれるようなことだ。


 今のルーシャは婚約者が決まることよりも待ち遠しいことがある。

 ここ数日はずっとソワソワしていた。


 神殿での生活はルーシャにとってとにかく辛く苦しいもので、そこからようやく解放される日が近づいている。


 聖女とは稀少な光魔法の使い手が就く役職だ。

 光魔法の素質がある者は例外なく十五歳になると神殿に迎え入れられ、成人するまで聖女としての職務を全うしなければならない。


 本人の意思に関係なく与えられる称号と責務だが、聖女とは世の女性が一番憧れる存在だ。

 庶民生まれだったとしても将来は貴族に娶られるほど気高い存在になれる。聖女に選ばれることは誉れであり誰もが選ばれることを誇りに思う。


 しかしルーシャは十五歳になって神殿に入ったその日から毎日辛くて苦しくて悲しくて、涙で枕を濡らす日も少なくなかった。

 ルーシャは聖女になどなりたくなかった。


 そんなルーシャは来週誕生日を迎える。

 十八歳、成人だ。


 厳しい戒律から解放される日をルーシャは心待ちにしていた。



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