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縁章次郎
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あの夢を見たのは九回目だった。
あの夢、何故か見知らぬ人に熱烈的に求婚される夢は。
「はぁああ、また同じ夢だ」
大きくため息を吐いて、
「なんで、あんな夢見るかなぁ」
珠代は普通の高校生だ。恋愛ものだって好きだし、そりゃあ、求婚される夢自体に悪い気はしない。
その上、面食いの気がある珠代なので、大層顔が良い夢の求婚者に対しては、見た目で言えば好意的だった。
珠代にとっては、見知らぬ相手、と言うのはさほど問題ではない。嫌悪感を抱かないのであれば、見知らぬ人であったとしても求婚されるのは悪い気はしなかった。
ましてや夢の中だ。現実の意識とは違う夢の感覚では、見知らぬ人であっても夢の中では見覚えがあったし、既に情があった。起きた今でも情が芽生えていたりする。だから、そこは問題ないのだけれど。
でも、である。問題は、そう問題は、何故か相手が血みどろで、何だか人だと言うにはおかしいことだ。
夢の中、求婚者は何故かいつだって血塗れだった。人を十人切り捨ててきたんですか、と言うような様相で、膝をついて珠代を見上げる。彼の動きはいつだって何だか芝居じみていた。けれども、同時にその動きにキザさだとか、鼻に付くとか、そう言ったものは感じられない。
それはもう酷い血みどろの求婚者は、けれども顔だけは大部分が綺麗だった。
ているものはもう素晴らしいほど真っ赤に染まっているのに。赤い手袋を嵌めているんですか、と言うくらい手は左手は真っ赤だし、墨色の髪は赤錆ているのに。顔だけは綺麗で、白い右頬に僅かな血痕の痕跡が見られる以外は、長い睫毛にも、形の良い額にも赤色は付着していなかった。
夜の色を灯した目が細められて、求婚者は珠代へと手を差し出す。心配になりそうなほど青白い肌に、目の瞳孔の中には虹彩が二つあった。
『ーー』
声ではあったけれど、言葉ではなかったと思う。けれども珠代は言語として受け取っていた。
直球な愛の告白だった、と珠代は認識している。飾り気のない、ただ愛を伝えるだけの言葉。
求婚者の目はきらきらと光っていた。比喩ではない。本当に光っているのだ、目の奥が、赤く、赤く。笑みを形取った口の中からちらりと青く長い舌が覗く。
『ーー』
求婚者に乞われる。やっぱり言葉として聞こえはしなかったけれど、それが求婚の言葉だと珠代は認識した。
対して、夢の中でぼんやりとした意識の珠代は、ただ首を傾げて困ったように微笑むだけだった。
なぜあのような夢を九回も見るのか。どうして決まって相手はあの血塗れで人と言うにはどこかおかしい求婚者なのか。珠代には分からない。
夢には願望が映ると言う。そう言う願望が己にあるのだろうか、と考えてみても、あるような気もするし無いような気もする、と言う曖昧な地点に落ち着くばかりだった。
「ん゛むう」
ベッドに顔を押し付けて唸っていた珠代は、けれども下の階から聞こえてきた母の声に、慌てて起き上がったのだ。
「こちら、ウーさん」
「ウーさん……」
「そう、宇宙からやって来た、お母さんの遠縁の同盟星出身です」
「宇宙からやって来た、お母さんの遠縁の同盟星出身……」
おうむ返しするばかりだった珠代は母を見た。にこにこと笑っている。聞きたいことが沢山あった。なあにそれ、と突っ込みたい事もあった。けれどそれよりも気になるのが。
珠代は、お座敷の机を挟んで対面して座るウーさんを見る。人間離れした美丈夫に、珠代を熱心に見つめる夜色の瞳には虹彩が二つ見えた。
彼は血塗れだった。墨色した髪がべっとり血で固まりかけている。
よく通報されなかったな、と頭の隅で考えながら、珠代はウーを見つめた。見つめて、見つめて、穴が開くほど見つめて、彼が夢の求婚者と何一つ差異ない事を確認してから数秒脳みそが固まって。
「……なんで?」
たった一言、何とか口に出した。
今日は大事な人に会うから寝坊しちゃ駄目よ、とそう母は言っていた。
大事な人の詳細は教えてもらえなかったけれど、母が大事な人と言うからには失礼があってはいけないと、眠気に負ける事なくきちんと起きたわけだけれども、まさか、その相手が夢の中の人物だなんて誰が思うだろうか。
それも夢通りの血染め。
その上、母の話だと宇宙からやってきたと言う。
「あの……宇宙からやってきた、の?」
「そうよ。宇宙の、地球からずっと遠いところなんだけれどね。地球の保護を謳っている我が星の同盟星の人」
確認のために尋ねれば、更なる情報量を持って返された。珠代はちょっと泣きそうだった。
「あれ?」
そこでふと思う。衝撃を受けて気付けないでいたけれど、母は最初に『お母さんの遠縁の同盟星出身です』と言っていた。さっきの話でも『我が星の同盟星の人』とウーを紹介している。
お母さんの遠縁。我が星の。と言うことは、つまり。
「お、お母様?」
「なあに?」
ついかしこまった口調になった珠代は、壊れかけのブリキ人形のような動きで母を見た。母は不思議そうに首を傾げている。
「あの……お母様は、その……宇宙人、と言う事でよろしいでしょうか?」
「お母さんはハーフだけどね」
すんなりと頷かれてしまって、つい珠代はウーを見た。
「お母様は地球人と宇宙人の間に生まれましたので、半分宇宙人ですね」
ウーは夢と変わらない笑顔で頷く。何だか嬉しそうだった。
他に助けが欲しくて、ついウーを見てしまった珠代だったけれど、トドメを刺されてしまうだけで、またちょっぴり泣きたくなった。
お母さんは宇宙人。脳内で流れるでかでかとしたテロップに珠代は頭を抱えかける。
初めて聞いたんだけれど、そんな事。出生に関わる事だから、もっと深刻に伝えてくれても良いのでは。
珠代は目が回りそうだった。
「いきなり宇宙人、と言うのは信じられませんか?」
衝撃の事実で頭を抱えそうな珠代に、ウーさんが心配げに聞いてくる。困ったように笑う顔は、血塗れだと言う事実を抜きにしても綺麗だが、覗く舌が青い。
「いや、信じられない、と言いますよりかは、あの、ええ」
人間の見た目をしているけれど、どう見ても人間離れしているのは明白な人が目の前にいれば、否が応でも信じる他ないのだが、あまり容姿で信じましたと言うのも失礼な話な気がするので、珠代は口をまごつかせる。
珠代は実は宇宙人を信じていない人間だったわけではない。どこかにいるのだろうな、と思っていたし、地球にいるかも知れない、ともちょっと思ってはいた。と言っても、きっと地球に来るくらいだから技術力が進んでいて、見つかることはないだろうとも思っていたので、例えばテレビに出てくるやつなんかはあんまり信じてはいなかった。
それに、何より、そう言う話はずっと遠くの、自分には及ばない所の話だと思っていた。
それが目の前に突然突き出されたばかりか、自分までもが当事者だったので、困惑に困惑を重ねているのだ。
「しょ、衝撃の事実だったので、ちょっと驚いてしまって」
「すみません、驚かせてしまいましたよね」
「母の話には正直驚きました」
「私にも驚かれたでしょう?」
「少し。宇宙人の方とは初めてお会いするもので」
実際は母が宇宙人のハーフだったので、常に会っていた事になるのだが、母は見た目も言動も地球人なので、ノーカウントとして貰いたい。
「私と会うのも、初めてですか?」
どこか期待するような顔でウーは珠代を見ていた。彼の目の中で、何かが光る。瞳孔の中に星があるみたいに、ぎらぎらと赤色が光っていた。
「あの、えっと」
曖昧に濁す。初めてではありません、とは口に出来なかった。それを口にしてしまったら、求婚の夢のことまで話さなきゃいけない気がするので。
それは、ちょっと、恥ずかしい気がする。会っても居なかった人に求婚されている夢を見ているんです、なんて華の高校生は言えない。
けれどもウーは何か見通しているような顔をして、にっこり笑った。目の中では相変わらず星がギラギラ光っていた。
「それで、今回のご用件は」
母の出生の件は取り敢えず脇に置いておく事にした。そこを聞いてしまうと話が進まないので。
母には、絶対に詳しく話してね、と言って珠代は本題に入る。ただ母が、そんなに話す事ないのよねえ、とのんびりしていたのは気がかりだが。
「君に大事な話があるんです」
ウーは真剣な顔で珠代を見た。母は、ウーと珠代の間から一歩下がったところで見守っている。
今日のこの集まりは、何でも大事な人、つまりウーが珠代に大事な用がある、と言う事で集まるのだと前日に母から聞き及んでいる。
大事な人に会うのだ、そうして大事な人は珠代に大事な話がある。そう前日に聞いた珠代は、母の再婚話かもと身構えていた。
そうしてここに来て、少し落ち着いて冷静になれた珠代はピンと来た。それはつまり、珠代の求婚の夢も予知夢だったのではないか、と言うことだ。夢の中では珠代が求婚相手であったけれど、夢というのは何だか不思議なものだから、ウーが母に求婚すると言う予知夢がそういう伝え方をしただけかも知れない。そう珠代は考え始めた。
先程のウーの目と、会うのは初めてか、と期待したようにこちらを見ていたことは引っかかるが、けれども母の再婚話だと考えると辻褄が合うような気がしてくる。
母の再婚は嬉しい。ずっと母一人で珠代を育ててくれたのだ。好きな人と結ばれて欲しい思いはある。
見た目で言って仕舞えばウーと母は歳が離れているように見えてしまうが、ウーは実際は宇宙人なので、年齢も見た目とは違うかも知れないし、愛の前では年齢は関係ないだろうと珠代は思っている。
ただ、まあちょっとだけ。九回も求婚される夢を見たのだ。その相手が自分ではないと言う事に寂しさがないわけではないけれども、母が幸せになるのなら、この失恋にも似た気持ちもすぐになくなるだろうと、珠代はウーを見た。
「珠代さんは」
「はい」
「結婚に年の差を気にしますか?」
少しだけ言いづらそうにウーは言った。
今まさに考えていた通りの質問に、珠代は一度深呼吸をする。
「いえ! 私は全然気にしません!」
意気込みすぎてついうっかり、ウーの手を握ってしまったけれど、気持ちは伝わったはずだ。彼の手は冷やっこかった。
「そ、うですか。良かった」
「す、すみません、手」
「いえ、全然」
ほっとしたようにウーは珠代を見る。珠代も安心して笑ってから、手を握ったままだったと慌てて手を離した。
「相手が宇宙人でも、良いですか?」
母は宇宙人の血を引くとはいえハーフだ。言動や価値観から見ても地球人に近い。それを気にしているのだろう。それに娘としても気にならないか、と言う事なのだろう。
「ええ、そうですね。文化の違いはあるでしょうが、それは大なり小なり地球人同士でも同じですから。お相手と性格が会うのならば、宇宙人でも良いと思います」
それは本音だった。珠代が宇宙人を家族に迎えるとしても、ウーみたいな人なら困らないだろう。見た目は人間離れしているとは言え綺麗だし、優しそうな宇宙人だから。夢で見て情が既に湧いている、と言うのもある。
「お母様」
ウーが母を見る。母もウーに頷いた。
来た。ついに婚約話だろうか、とどきどきとして珠代は二人を見守った。何となく、母への呼びかけが名前ではなくて、お母様、なのを不思議に思ったが、珠代の前だからだろうと気にしなかった。
「珠代、聞いてくれる?」
「うん」
ついにだ、と珠代は拳を握る。
「ウーさんね、珠代の許嫁なの」
「おめ、で……? 許嫁?」
おめでとうの言葉は減速して途中で消えた。そうして新たな単語に首を傾げる。
「そう」
「誰の?」
「珠代の」
誰の。珠代の。頭の中で自分の問いと母の答えを反芻する。そうして再び首を傾げた。
「許嫁……許嫁?」
「そう。まあ、ウーさんのご両親と私が、ではなくて、ウーさんに頼み込まれて、私が本人が良いならって約束した許嫁なんだけれど」
「?」
珠代の頭の中にはクエスチョンマークがいっぱいだった。
あれ、さっき思い描いていたものと違うな、とは思うけれど、うまく頭が働かない。母の話だと準備していたから尚更かも知れない。舞台を見ていたら、急にこちらに役者がやってきたような感じだ。
「珠代さん」
ウーに呼ばれてそちらを向く。酷く真剣な目と、目が合った。
「夢、見てくださいましたよね?」
夢。それはあの九回も見た求婚の夢のことを言っているのだろうか、と珠代は何だか緊張する胸をぎゅうと握った。
「一目惚れしたんです、あなたに」
言葉は直球だった。にっこりと笑う彼の目の奥では、また光が瞬く。きらきら、ぎらぎら、光っている。
「あの」
珠代はたまらず一歩下がる。母に助けを求めようとしたら、彼女はにこにことこちらを見ているだけだった。
「えっと」
ウーは珠代が下がった一歩分詰めてくる。
まずい、と頭の中で警報が鳴る。何がまずいのかは分からなかったが、何だかまずいような気がした。猫に追い詰められた鼠の気持ちだった。
「あなたに私の夢を見てもらっていました。私のことを知っていただきたくて。会ったことがない人でも夢の中なら受け入れやすいでしょう?」
また一歩、ウーと珠代の間の空間が縮まる。
あの九回の求婚の夢は、ウーが見せていたのだと、彼は言う。人に望んだ夢を見せられるなんてやっぱり宇宙人は技術が進んでいるんだな、なんて頭の片隅で思った。
「まさか、夢が求婚する夢になるとは思いませんでしたが。私の願望が出たんですかね」
困ったようにウーさんは笑う。物腰は柔らかいのに、また一歩距離を縮める足は強引で、止まってくれそうにない。
それよりも、気になったのは、夢が求婚の夢になろうとは本人も思っていなかったことだ。
「あの」
「はい」
嬉しそうに返事をされて、珠代は一瞬目を逸らしてから、再びウーを見た。
「少し聞きたいことが」
「何なりと」
「あの、夢って、その……きゅ、求婚の夢を見せたのはウーさんなんですよね」
「私に会う夢を見せたのはそうです」
「でも、求婚自体は意図になかったと?」
「そりゃあ、求婚はしたかったですが、最初は友人とか、デートとかそう言う夢を意図していたんですが、お恥ずかしい」
「あのそれって、その……私の願望が出る可能性ってあります?」
夢を見せられたと言っても夢の主導権、見ている本人は珠代だ。己の気づかぬ願望が反映されたのか、それが気になった。
「な、いわけではないです、ね」
一瞬固まったウーさんは、次には照れたように視線を逸らした。思いもよらなかった、という表情をしている。
「ないわけじゃない」
珠代は反芻して固まった。
「可能性としては、半々であるかと。夢を見ているのは珠代さんなので、私の意図通りにならない可能性は半分の可能性でありました」
珠代の願望が出る可能性がないわけではない。半分の可能性でウーの意図通りにはならない。と言うことは、素敵な人に求婚される願望が珠代の中にあり、それが半分の確率で現れた可能性も存在していると言うこと。
花の高校生だから素敵な人に求婚される夢があったって良いじゃないか、と言う気持ちと、そんな願望が他者を介して自覚する、どころか自分のことをどうやら好きらしい人に、ついでに母親にばれてしまったことが恥ずかしい気持ちで、珠代は顔を熱くした。正直茹蛸になっていてもおかしくはない。
「珠代さん」
何か言いたげに珠代を見るウーさんに、珠代は逃げ出したい気持ちになった。
「珠代さん」
「あ、あのっ!」
「はい?」
「な、何で血塗れなんですかっ!」
じわりと近づいてきたウーに耐えきれず、違う話題を口にした。口にして、そういえば夢で見慣れてたけれどそもそも一番最初に気にする所だったな、と思う。
「ああ、すみません、汚いですよね。時間がなくて」
ウーは困ったように頬を掻いて視線を逸らした。視線が逸らされたことに珠代は人知れずほっとする。
「その、これを言ったら求婚を受けてもらえないかも、と思って。けれど言わないのも不誠実ですし」
ウーは何度か口を開いて閉じてから、決心した様子でゆっくりと口を開いた。
「その、悪い奴らに追われていまして。その相手をしていて、こう、ぐしゃっと」
困ったように笑うウーは、どこかそわそわして珠代を見ていた。心を読めなくても、嫌われていないか気にしているのが丸分かりだ。
「え、じゃあウーさんどこか怪我して」
「いえ、返り血です」
「返り血」
「はい」
怪我をしていなくて一先ず安心したが、これだけの返り血と言うことは、相手は大変なことになっているのではないだろうか、と珠代は思う。
「珠代さん」
改まって、ウーは珠代は見た。その目は真剣そのもので、経験のない珠代だってこれから求婚されるとわかるような視線だ。
ウーが膝をつく。そうして手を差し出した。夢の中と一緒だった。けれども、夢とは少し違ってぎこちない。
「ーー」
その声は夢の中と同じ声だった。でも言語にはなっていない。正確には地球の言語にはなっていなかった。多分ウーの母星語なのではないだろうか。ウーはウーで緊張しているのかも知れない。
地球の言語にはなっていなかったけれども、珠代は夢と同じように言語としてその言葉を認識した。ウーの言葉は、直球な愛の告白だ。
「ーー」
婚約を乞われる。現実で考えたらいきなり求婚なんて驚いてしまうだろうが、既に九回同じものを見ている珠代からしたら、緊張はあっても驚きはなかった。彼の声が耳馴染んだくらいだ。
だから珠代は。
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求婚の夢を九回も見ていたので既にウーに情が芽生えていた珠代は、困ったように笑って、そう言った。
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