氷の王子と止水の令嬢~クールな顔して恋愛ポンコツです~

出井啓

第1話 ミルルミル1

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 

(なんなの! 毎日毎日毎日毎日!)


 公爵令嬢ミルルミル・クローゼットはベッドからがばりと起き上がって眉をしかめる。

 見慣れた部屋はシンプルだが、一つ一つの調度品は庶民が手が出せないほどの価値があった。


(朝からやめてほしいわ)


 その夢とは婚約者であるストレイジ王国第三王子リステン・ストレイジに自分が甘える夢だ。

 ミルルミルはゆるんだ表情でリステンの隣に座り、リステンもまんざらではないように頭を撫でていた。

 その甘ったるい雰囲気はミルルミルとしては信じられないものである。


 ミルルミルは止水の令嬢、リステンは氷の王子と呼ばれている。

 二人とも得意とする魔法の属性によって付けられた名だが、水ではなくあえて止水となったのは表情が変わらず、ほとんどの人と話さないからだ。

 そして、リステンも同じようにクールな人物であり、そんな二人がイチャイチャするなんてあり得ないようなことだった。

 でも、それが嫌なわけではない。


(あんなこと……どうやってすればいいのよ)


 ミルルミルがやめてほしいと思ったのは、本当はそんなことをしたいのに、全くできていないからである。

 夢の中では幸せ。

 しかし、夢は覚めてしまうもので、起きると夢と現実のギャップに打ちひしがれてしまう。


(お話すらまともにできていないというのに、どうしてあんな夢ばっかり……)


 溜め息をつきながらゴソゴソのベッドから降りると、部屋の外で待機していた侍女がノックをした。

 今日は婚約者に会う日だ。


(会話は苦手だけど、せめて見た目だけでも少しは良く思われたい)


 身だしなみを念入りに整えたいため、いつもより早寝早起きしている。

 すぐに「入りなさい」と声をかけて気合いをいれるのであった。




 リステン王子に会えるお茶会は十日に一度の一時間だけ。

 二人とも、ストレイジ王国の王立メインシオン学園に通っており、さらに王子、王子妃としての勉強もある。

 なかなか二人の時間はとれなかった。


 この国では十三歳のデビュタントと共に、学園に通うのが貴族の慣わし。

 デビュタントでリステン王子の婚約者に決まり、そこから二年間、忙しい日々を過ごした。

 学問、魔法、ダンス、マナー、裁縫、音楽、薬学、乗馬、通常選択して学ぶところなのに全て詰め込まれている。

 公爵令嬢として幼少期から母親や家庭教師から教えられていたため、怒涛のように押し寄せる勉強にも耐えることができた。

 むしろ、公爵令嬢のミルルミルでなければ潰れているレベルだろう。


 こうして二年があっという間に過ぎ、とうとう明日から三年目が始まるところ。

 学ぶべき内容の多くは終わらせており、残り一年はその応用や自らの興味に対する学びを深めるいい機会になるだろう。


 少し余裕のできたミルルミルは王宮に赴き、静寂の花園でリステンとのお茶会に来ていた。

 挨拶をして向かい合うように座ると、リステンの執事が紅茶をいれてくれる。


(リステン殿下、今日も素敵ね。精霊様のような美貌に輝く銀髪、青い瞳は宝石のよう。あのクールな表情でどんなことを考えているのかしら)


 ミルルミルとリステンのお茶会は花園の名前のように静寂が多い。

 最初は挨拶以外一言も話さなかったくらいだ。

 何を言っていいのかわからず、ぐるぐるぐるぐると考えている内に時間が過ぎていってしまった。

 二年経った今では、この静寂もリステンを眺められる時間として考えられ、何度か言葉を交わすこともできるので、成長したと言えるだろう。


「ミルルミル」


(声も素敵だわ)


 そんな感想を持ちながらミルルミルは表面上は冷静に「いかがいたしましたか」と呼びかけに答える。


「来週は町を見に行かないか?」


「ええ、是非お願いいたします」


「では予定を開けておいてくれ」


「はい」


 侍女に指示を出してミルルミルは考える。


(町に? どういうことかしら)


 リステンがお出掛けに誘ってくれたのだ。

 それがどこだろうと答えは「はい」か「イエス」に決まっている。

 それでも町に行くという意図はわからなかった。


(何か気になるものでもある? いえ、町の視察ね。間違いないわ)


「どちらに視察へ向かうのでしょうか」


 買い物するとしたら商人を王宮に呼べばいい。

 王子が出向くなど普通はないこと。

 むしろ出向くとなったら警備や町の清掃で各所が大事になるため、気軽に出られるようなものではない。


「今回は町の者に扮して行くつもりだ」


「それは、お忍びで町に出るということですね?」


「そうだ。許可は取っている」


(本当に大丈夫なのかしら。いえ、リステン様のことですから、心配はいりませんね)


 平民と貴族の大きな違いは目と髪の色である。

 リステンは銀髪赤目、ミルルミルは青髪青目。

 これは貴族の中でも目立つ色だ。

 貴族は魔法が使える者であり、その属性によって目や髪の色に影響を与える。

 平民は目も髪も黒、茶、赤系統なので全く違う。

 しかも、目立たないように警備をしなければならないので難易度も上がる。

 けれど、そんなことはリステンもわかっていることだろうとミルルミルは思った。


「それでは町に行く日を楽しみにしております」


「……どこか行きたいところはあるか?」


(聞いてくれるのね!? 行きたいところ……そういえば時計塔でキスをすると結ばれるという噂が……いえ、ここは迷惑をかけず、さらには学びになるような場所を選ぶべきね)


 まだ会話が続いたことに喜びつつ、ミルルミルは少し考え、ピンとくる。


「本屋がいいですわ。近年、書籍の流通が盛んになっておりますし。商人に本を持ってきていただくことはありますが、それは貴族向けに選別されていると聞きます。出向くとなればいい機会ではないでしょうか」


 そのプレゼンテーションを聞いて、リステンはミルルミルをじっと見る。


「ミルルミルは本が好きなのか?」


「ええ、そうですわ。最近は少し勉学にも余裕ができて本を読むことが増えましたの」


「そうだったのか」


 少し難しい顔をするリステンにミルルミルは不安になる。


(これ、失敗した? まさかリステン様は本に興味がないとか? はっ! リステン様の興味がある場所を考えてなかった! 自分のことばかり考えてなんてことをっ)


「申し訳ありません。自分の好きな物を優先してしまい……」


「いや、それでいい。町の本屋を調べておこう」


「えっ? あの、ありがとうございます」


(それでいいって? リステン様がお調べになる? これは……どういうこと?)


 ミルルミルは困惑していた。

 そもそも、これほど会話が続くことなど今までなかったことだ。

 十分も経っていないというのに、いつもの一時間分ほど会話した。

 奇跡のような一日だ。


(何かがおかしい……ハッ! まさかこの前読んだ恋愛小説のように婚約破棄される前触れ!?)


 以前、ミルルミルは平民が王子様と恋に落ち、婚約者である貴族令嬢を断罪するという小説を読んでいた。

 それは平民の間で流行った物語であり、貴族には流れてこなかったのだが、使用人が貸し借りしているところを偶然見て借りたことがあった。


(ということはリステン様に断罪され、お金も何もなく町へ放り出される運命、ハッ! 町に行くというのも、今後はここで暮らすんだぞという予告!? まさかそこでリステン様の恋人にばったりと会ったりして……)

 

 どんどん妄想が膨らみ、あらぬ方向へ進んでいく。

 冷静な表情だけは崩さなかったが心の中は嵐のように荒れていた。


(でも平民は敷地が別だから学園で私と接点はないはず……いいえ、知らない内に悪役にされているという物語もあるし、逆に婚約破棄されたあとに逆転するという話もあるんだから……)


 断罪された貴族令嬢が本当は悪人ではなく、別の素敵な王子に見初められ反撃するという内容の本も読んでいた。

 町の中に親貴族派がおり、貴族令嬢を断罪するという話を問題視した者たちが、さらに立場を逆転させる話を書くことで貴族のイメージ低下を防いでいるのだ。

 そんな水面下の戦いにはミルルミルは気づいていないが、再びハッとした。


(ダメだわ。助けてくれる人は初恋の王子殿下や他国の王子殿下だったりするけど、そんな知り合いはいないもの。そもそも、リステン様が初恋の相手だからリステン様以外は考えられないし、って待って。こんなに執着する気持ちがあるってことはやっぱり悪役令嬢断罪追放ルート!?)


「まだ、時間があるのだが、何かしてほしいことはあるか?」


 表情は冷静なまま心の中だけで荒ぶっていると、リステンがポツリと言った。

 その言葉にピクリとミルルミルが反応する。


(してほしいこと? 最後の思い出に? 餞別というやつ? えっとえっとしてほしいことってなにが……)


 急な質問に慌てふためく中で、閃光が走るように思い出したのは夢の光景だった。


「頭を撫でてもらえませんか?」


(って何言ってんの私! あああああ、リステン様が困惑しておられはわらまう――!)


「わかった。少し移動しよう」


 リステンは執事に目配せをしてから立ち上がる。


(わかった? えっ? 移動? どこに? ささっと撫でてもらえたら満足なのでぇ――!)


 リステンに手を差し伸べられるとミルルミルは反射的に手を置き、今までの学んだ成果を発揮するかのように優雅にエスコートされてしまう。

 もちろん表情も変わらず内心を表すことはない。

 そのまま花園の奥へと連れ去られていく。


(こんな場所来たことがないんだけれど。まさかこのまま国外に連れ去られて追放……)


 嫌な想像を巡らせながらついた場所は二人がちょうど座れるような木製のベンチ。

 なぜか今敷いたばかりのようなフカフカとした敷物が掛けられている。

 リステンはミルルミルを座らせ、自分も隣に腰を下ろす。


(そういえば、夢と同じ。あれ? 今って夢なんだっけ? そっか、夢だからあんなにお話できたのね。あっ、夢はもう少し密着してたかしら)


 ミルルミルはリステンの左腕を軽く抱くようにとり、コテンと頭をリステンの肩にのせる。


(こんな感じだった?)


 するとリステンは右手でミルルミルの頭を撫でた。


(そうそうこんな感じ! けど何だかいつもよりはっきりしてるというか、男の人の手の感触がドキドキする……)


 ふと視線を感じて目線を上げると少し微笑んだリステンと目があった。

 氷の王子の微笑みは婚約者のミルルミルでも見る機会はほとんどなく、さらにこんなに優しげなものなんて一度もなかった。


(すごい。今日の夢はサービスが多い。もしかして起きた時に忘れてるだけでいつも見てたのかな?)


 ミルルミルはいろいろと考えながらも幸せのあまり微笑み返す。


(でもこんなの覚えてたら起きた時に辛さが倍増するかも。それなら忘れておきたいような忘れたくないような複雑な気分……あれ? そういえばこの夢いつになったら覚めるのかしら。いつもなら頭を撫でられたらすぐに目を覚ましていた気がするんだけれど……)


「失礼いたします」


 執事の声にビクッとして瞬時に姿勢を正すミルルミル。


(えっ? あの、えっ? これってどういう……?)


「お二人の時間を遮ることになり申し訳ございません。お時間になりました。次回以降は一日時間を空けることも可能でございます。今日はもうお戻りください」


 リステンは無言で頷くと手を出してエスコートしてくれる。

 ミルルミルは夢が覚めなかったことに内心呆然としながらも、表面上は優雅に連れられて花園を後にするのであった。

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