3章 あなたを省く理由
第4話
村を守る自警団ができたのは、今から5年前のことだった。
村の男達――特に若者――で構成された自警団の仕事は、主に2つ。村の見回りと、山賊や魔獣が入り込まないよう柵を立て、管理すること。
自分の店を経営したり畑を耕す傍らで、毎日交代で村を守っている。
5年前、姉が魔獣に喰い殺された事件が起きたこともあり、その当時自警団の設立はむしろ歓迎された。
その最初の立ち上げに熱心だった若者の中にロッカがいたことも知っている。
「おやリコリ、また来たのか?」
「こんにちは、ジュドおじさん」
ロッカに手を引かれ、家まで連行された日の翌日。リコリは、村の片隅にある唯一の貸本屋を訪ねていた。
あの花畑ほど頻繁ではないが、ここにはちょくちょく顔を出している。
「あんたも暇だねぇ。ちゃんと家の手伝いはしてるのかい?」
貸本屋の主人である壮年の男が、煮詰まった真っ黒なコーヒー片手にそんなことを言ってくる。
「失礼だなぁ。ちゃんと手伝ってるし、その合間で来てるんだよ」
――あの花畑にも。そう心の中で付け加える。
「おじさん、新しい詩集はないのー?」
古めかしい本が並んだ本棚は、残念ながら多くはないし、隙間だらけだ。もっと山の麓にある街なんかだと大きな図書館もあるらしいが、リコリはこの村を出たことがない。生まれ育った村に居続けるのは、女にとって当たり前のことだ。
「詩集? ……あぁ、あの流れのもんが置いてったやつか」
「吟遊詩人ね」
言い直してみるが、ジュドは知らんふりだ。
「ほら、これだろ」
「! ありがとう!」
ぽん、と机の上に放り出すように置かれたのは、本というよりは薄い紙の束だ。しかしリコリにとっては、それで充分だった。
「お前、少しは若い娘の好きなもんにも興味を持て」
「詩集だって充分女の子っぽくない?」
「詩集は詩集でも、最近じゃあ女詩人の作品で挿絵もついてるやつが流行りだろう。そんなボロっちい流れのもんが書いた紙束じゃあねぇ」
歌を伝えて各地を巡る吟遊詩人は、時折こんな風に自分の歌を書き記して本にする。リコリが小さい頃には主流だった気がするが、今ではこんな片田舎でも廃れてきているらしい。
「サリー達がこぞって借りに来るのも恋愛小説だぞ」
サリー達、が具体的に誰たちを指すのか、すぐに分かった。リコリと年が近く、ジュドの言い方を借りるのであれば「若い娘らしい」。今朝、彼女達がきゃっきゃと楽しそうに話しているのを、そういえば見かけた。
「多分今朝、その小説のことで盛り上がっていたと思う」
「お前もその輪に入ればいい」
意外と楽しいかもしれないぞ、とジュドが言う。リコリはほんの少し、目を逸らした。
(……サリー達のことは、嫌いじゃない)
リコリにも話しかけてくれるし、きゃあきゃあと騒がしいのが面白いし、みんな親切だ。
けれど、おしゃれや恋愛小説の話に花を咲かせる中に、どうしても入って行けないでいる。
(……サリー達は、待っていてくれているのに)
罪悪感で胸がチクリと痛むけれど、自分の気持ちを無視できなかった。
「……でも、今はやっぱり、こっちがいい」
「……リコリ」
ジュドが渋い顔で嘆息した。何かを言おうとするように口を開け、しかし、結局閉じられる。かぶりを振って、詩集へと顎をしゃくった。
「ほら。持ってけ」
「ありがとう」
借りた本を大事に抱えて、貸本屋を後にした。
高地にある片田舎の村ながら、村人達の家々はそれなりに密集している。まるで、孤独を慰め合うように。しかしジュドのやっている貸本屋はそこから少し離れていて、家が寄せ集まっているのを見下ろせる。坂道が急なのだけが欠点だが、リコリはここが好きだ。
風通しがいい。春のあたたかく、清々しい風が、吹き渡っていく。
「……ふぅ」
その風が、リコリの髪を、スカートを心地良く揺らしていく。リコリは束の間、その風に目を閉じた。
家々よりも小高く、開けたここならば、あの花びらも風に乗って運ばれてくるだろう……、
「――なぁ、あれリコリじゃないか?」
すっかり油断していたリコリの耳に、かすかに、そんな声がすべり込んできた。リコリは目を開け、声のした方を見下ろした。
そこには、坂道を上って来る2人の若者がいた。どちらも、腰のベルトに剣を提げている。その内の1人に、目が吸い寄せられた。
「よぉリコリ、また貸本屋か?」
大股で歩み寄りながら、若者の内1人が声をかけてきた。
「うん。新しい詩集が入ったって聞いて」
「お前の言う詩集、年頃の娘が考えるやつと違うんだって」
なぁロッカ、と若者が後から続く仲間をふり返った。声をかけられたもう片方はといえば、まるでリコリが見えていないかのように、雪をかぶった遥か彼方の山脈へと顔を向けている。心なしか、不機嫌なようだ。
さぁっと吹き抜ける風の音が、あたりにより一層響き渡る。それが合図かのようにようやくこちらに向いた顔は、もう誰もが親しみを覚える気負いない様子へと戻っていた。
「あぁ、悪い悪い。何だって?」
「おいおい」
と笑いながら、自警団の仲間はロッカにもう1度同じことをくり返した。
「……あぁ、そうだな」
ロッカがやれやれと言わんばかりに同意する。
「そうだ、俺たちジュドのおっさんの様子を見たら見回り終わりなんだ。あとは俺1人でもできるし、ロッカ、送ってやったらどうだ?」
親切心からの提案に、リコリは内心どきりとした。しかし。
「……いや。こいつももう16なんだ」
苦笑したロッカが、かぶりをふる。
「お前も俺がいつもくっついてたら鬱陶しいんじゃないか」
「お前、リコリがいなくなったら、真っ先に探しに行くくせに」
「そりゃあ俺の、使命だからな」
(……使命)
その言葉が、胸にズキリと痛みをもたらした。詩集を持つ手に、ぎゅっと力が入る。
「……言われなくても、帰れるから!」
リコリはロッカの顔もろくに見れずに、速足で彼らに背を向けた。走らなかったのはせめてもの意地だ。ほら、お前が子ども扱いするから、という声が、グサグサと背中に突き刺さる。
(……ロッカは、)
――あの花畑にしか、迎えに来てくれない。
それが分かっているのに、一瞬でも期待した自分が嫌だった。
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