アンネームド・フラワー

Yura。

序章 あなたを嫌う理由

第1話

――姉が魔獣に喰い殺された。


 村の外れにある花畑で、1人でいたところを襲われたらしい。水色の花が咲き渡る、うららかな春の日の午後のことだった。お茶をするぐらいの時間。空は晴れ渡っていて、うっすらと風が吹いていた。けれど空高くでは風がもっと強かったらしい、川を泳ぐ魚のように、薄雲がいくつも流れていって。


 きっと首をひと噛みだったんだろう、と発見した村の大人たちが言っていた。姉の死体には、抵抗した跡がなかったという。そうして苦しむ間もなく死んで、腹を喰われたと。姉の死体は、そうして血だまりと花の中で仰向けになっていたと。


 幸いにと言うべきか、顔はきれいに残っていた。村に運ばれてすぐの姉の体を、リコリは見せてもらえなかったが、葬式をする時になってやっと会わせてもらえた。


 ――姉の体は、ほとんど花に覆われていた。黄色にピンク、オレンジ、紫、白。水色だけがない、色とりどりの花のベッドで、姉は本当に眠っているように見えた。


 ――いつか、たくさんのお花でベッドを作って、そこで眠ってみたいの。


 そんなことを言って、笑っている姉であった。こんな形で夢が叶うなんて、誰が思おうか。


 姉の髪は、きれいな金髪だった。黄色というよりは、そこにほんの少しオレンジを混ぜたような色をしていて、おひさま色だね、とリコリはよく姉に言っていた。その度に、姉はまぁ、とうれしそうに笑うのだ。ふわっと、花が咲くみたいに。


 そして髪が本当に、ふわふわしていた。腰まで長く伸ばされた髪は波打っていて、花開くみたいに広がっている。丁寧に髪をとかしても、クリクリになってしまうらしい。いやよね、と姉は苦笑していたが、リコリにはそのまぶしい髪色も、ふわふわでいつまでも触っていたくなる手触りも、大好きだった。


 そう言うと、姉はいつもこう言うのだ。でもわたしはリコリの髪の方が好きだわ、と。


 そうして、ぎゅうっと抱きしめてくれる。リコリの大好きな髪が、リコリの頬をくすぐってくる。抱きしめられると、ポカポカしてくる。大好きな、大好きな時間だった。


 今、その姉は棺の中に横たわっている。薄水色の、晴れた日の空を映した湖面のような瞳が見えない。顔より下はたくさんの花が被せられている。その胸のあたりで、色白の指が組まれていた。豊かな髪は、絨毯のように広がり、水色のない花々でも物足りなく感じない。花よりずっと、ずぅっときれいだと、リコリは思った。


 村の隅にある小さな教会で、姉の葬式はひっそりと行われた。


 みんな、泣いていた。母はリコリの両肩に手を置いて涙の雨を降らしていたし、父は歯を食い縛って棺から顔を背けていた。近所に住むパン屋のおばさんや、お医者様のおじいさん、姉の友達、姉に意地悪をしていた男の子まで、みんな、みんな。


 そんな中であっても、リコリは泣けなかった。姉が死んだなんて、信じられなかった。


 首と腹を喰われていたと、大人達が両親に話しているのを聞いてしまったが、花のベッドで眠る姉を見て間違いなんじゃないかと思った。


 だってみんなが泣いている。優しい姉が、まぁ大変と起き上がって、みんなを慰めないわけがない。こんなに素敵な花のベッドを作ってもらって、ありがとうと笑って、はしゃがないわけがない。


 そもそも、魔獣がお日様の出ている時間に、場所に、現れるわけがない。おとぎ話のお姫様のように、呪いにかけられて、ずぅっと眠り続けているだけなんじゃないか。あの花に埋もれた下にはちゃんと首も、お腹もあって、寝息を立ててすぅすぅと上下してるんじゃないか。


もしかしたら、自分が両親に叱られるようなことをしてばかりだから、みんなして自分をこらしめようとしているのかもしれない。そうとも思った。


でも、母から降り注ぐ涙は間違いなく冷たくて、お葬式は粛々と進められてしまって、姉の入った棺は静かに閉ざされてしまった。


そうして、姉が亡くなった日と同じ、晴れた日の午後。姉は、土の下へと埋められてしまった。


わぁっと、母が泣き崩れた。父が母を抱き寄せる。他にも、村の人達が両親に集まって、励ましの言葉をかけたり、一緒に悲しんだりする。抱きしめたり、肩をぽんぽんと叩いてあげたり。


母に縋りつかれて、大人しくしていたリコリは、集まってくる人達の中でただ1人、遠目にこちらを見ているだけの人間を見つけた。確かに、目が合った。けれどその人は、リコリから顔を背けると、そのままダッと駆けて行ってしまった。みんなに囲まれているリコリの視界から、その姿はあっという間にいなくなった。




姉の葬式で泣かなかったのがリコリと彼だけであることを、リコリだけは知っていた。

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