第5章 常春の間は、主従に開かれ

第6話

薔薇の紋章を右手の甲に宿し、茨の騎士を得た王族は、“薔薇(そうび)の主”と呼ばれる。薔薇(そうび)の主となったことでリゼッタの生活が一変するわけではなかったが、リゼッタにとって気が重い変化がひとつあった。――ヴァランが死ぬかもしれないこと以外に。


 それが、“薔薇(そうび)の議”であった。






 精緻な細工が施された両開きの重い扉が、目の前にある。扉の模様はガレトワを象徴する薔薇と太陽、そこに茨や鳥なども彫られている。豊かな春を描いたものだ。この先に待ち受ける部屋の名を、“常春の間”という。……茨の騎士を携えた、薔薇の主のみが入れる部屋。


飴色の重厚な扉が、その両側に控えていた近衛騎士2人――茨の騎士であるヴァランは自分のななめ後ろに控えている――によって、ゆっくりと開かれた。


「……第5王女リゼッタ、参りました」


 薔薇の主としてここにいる以上、どうしたって自分の肌に刻まれた薔薇と同じ色の装いが常識的だ。身に纏う薄緑のアフタヌーンドレスを軽く持ち上げ、リゼッタはこうべを垂れた。すぐ後ろにいるヴァランも、無言で礼をしたのが分かる。彼もまた、叙任式や夜会の時ほど豪奢ではないものの、やはり緑を基調とした騎士服だ。


「よく来た、リゼッタ。お前の席はそちらだ。座るといい」


 聞こえた声に、顔を上げる。そこには、初代国王とその茨の騎士の彫像が奥に鎮座し、中央には広々とした円卓を囲む形で重厚な椅子が並べられていた。全部で7脚。自分以外はすべて揃っていて、7人分――いや、14人分の視線がこちらへと向けられていた。


(……薔薇の主と、茨の騎士……)


 そう。今ここには、茨の騎士を率いた者達が集っている。これが“薔薇の議”。薔薇の主と、茨の騎士のみが足を踏み入れることを許される議会。それもあくまで、現王の子のみに限られる。その為、ここにいる王族はリゼッタの兄弟姉妹のみだ。


「……恐れ入ります、フェリシアン兄様」


 また膝を折ってみせると、それににこりと微笑みかける青年がいる。彼こそがこのガレトワ王国の第一王子、フェリシアンである。


(……ガレトワ次期国王候補、第1位と噂される……)


 ――抱く薔薇の色は青。リゼッタにとっては、ローズモンド以上に会う機会の少ない兄弟だ。


金色の髪は肩に届かないほどの短さで整えられており清潔感がある。瞳は澄んだ青。ヴァランのような、目が合った人をどきりとさせるような強烈な魅力とはまた違う。いつまでも見惚れてしまう、優しく包み込むような美しい青だ。


 ローズモンドと同母兄妹だが、彼女とはまた異なる金髪をしている。ローズモンドが蜜色――日の光の色と言える豊かな金色であれば、フェリシアンは星の輝きを集めたような繊細な色遣いの金色であった。


第1妃の長男であり、異母兄弟を含めても第1子。王位継承を囁かれるに充分な身分な上に、幼い頃より剣技から勉学、外国語や乗馬といった何においても優秀。そして今も現王の右腕として政務を手伝っている。


 さらにはこのように、たまにしか会わず無才の姫とまで言われている異母妹にまで優しい。貴族令嬢に人気の存在なのは言うまでもない。


(だからといって、心安らいでもいられない)


 周囲からは、探るような視線がこちらに集中している。血のつながった兄弟姉妹と、それぞれの茨の騎士。彼らが、新たな薔薇の主従がどれほどのものかと値踏みしている。……いや、値踏みされているのは茨の騎士の方か。


(ご、ごめんなさい、ヴァラン……!)


 あの無才の姫に付き従う物好きがどんなものかと、皆、好奇と猜疑の目を向けているのだ。当のヴァランは叙任式の時同様緊張ひとつ見せないが、リゼッタは自分が裸で立たされているかのようないたたまれなさを覚える。


 リゼッタはできる限り周囲を見ないようにしながら、ただひとつの空席へと向かった。背もたれには淡い緑の薔薇の模様が縫われた飾り布がかけられており、自分用にしつらえられたものだと一目で分かる。


 席の横に立ち、リゼッタはもう1度、こうべを垂れた。


「第5王女リゼッタ、この春の儀により、茨の騎士を賜りました」


 茨の騎士は、現王から下賜されるものということになっている。選んだのがリゼッタであっても、最後には王の許しが必要だからだ。


「ヴァランタン=ド=イルシュと申します」


 ヴァランがただそれだけを述べる。声を荒らげているわけではないのに、緊張し切ったリゼッタとは違い、その声はくっきりと常春の間に響いた。


「皆様、先日は私の茨の騎士の叙任式にお越しくださり、ありが……」


「御託はいいわ。さっさと席について」


 リゼッタがすべてを言い終えるよりも先に、遮る女の声がある。男のようにはきはきと話す、ローズモンドの声とはまた違う。


 リゼッタは恐る恐る声の主へと目を向けた。扇子で口元を隠した、美しい銀髪の女性がいる。異母姉のエリザベスだ。すっと伸びた背筋に、すっきりとしたデザインのドレスがよく似合う。ローズモンドとはまた異なる華やかさがあった。冬に咲き誇る氷の結晶のような。――その右手の甲には、白薔薇が。


「あなたの為に、これ以上私達の時間を取らせないで」


「も、申し訳ありません……」


 エメラルドを思わせる翠の瞳は、ちらともこちらを見ない。冷ややかな指摘に、リゼッタは顔が真っ赤になった。すごすごと席につくと、くすくすと笑う声が聞こえてくる。異母妹2人が、顔を見合わせておかしそうにしていた。彼女達はリゼッタより年下であるが、リゼッタよりも先に茨の騎士を得ている。2人とも、こちらを小馬鹿にしたような目でちらちらと見つつも、口は挟まない。


「意地悪な姉上だなぁ。そのくらいは言わない方が常識外れだろ」


 そんな少女達の嘲笑をかき消す声が上がった。どこか無遠慮に響く声に、リゼッタは知らずどきりとさせられる。


「リゼがせっかく一生懸命ご挨拶したんだしさ」


「……チェーザレ。まだそんな品のない話し方をしているのか」


 今まで黙っていたローズモンドが、いかにも不快という顔で新たな声の主を睨んだ。


「えぇー、別にいいじゃん。せっかく血を分けた兄弟同士での話し合いの場なんだからさ」


「そういう問題ではない」


「俺が庶民のようなふるまいをしている方が、ローズモンド姉上には好都合なんじゃない? ――フェリシアン兄上にも」


 フェリシアンと同じ青の瞳が、一同を余すところなく見渡した。あくまで笑いながらの言葉に、しかし場が静まり返る。


 この、いかにも気さくな話し方をする青年こそが、第2王子のチェーザレだ。ガレトワの有力な王位継承候補の1人であった。そしてリゼッタの同母兄にあたる。――その手の甲にある薔薇は秋薔薇と称されるローズマダー色。


(ち、チェーザレ兄様……)


 リゼッタはどうすることもできず、ただおろおろするしかできない。


 リゼッタとよく似た、しかしより赤の強い髪のこの王子は、フェリシアン、ローズモンドと王位継承を陰で争っている。有力な王位継承候補はこの3人だと誰もが認識していた。


(もっと候補がいたはずだったけれど……)


 本当はこの議に参席するべき人間が、あと8人いる。リゼッタにとっては兄姉が4人、彼らの茨の騎士が4人。姉2人は既に政略結婚を遂げて他国におり、兄2人は王位継承をあきらめて国内の領主の座に収まっていて王城にいない。同母の1番上の兄がその片方だ。……つまりチェーザレは同母兄を蹴落としていると見られている。本人もそれを否定しない。


ローズモンドとエリザベスは「油断ならない男」と彼を評しているが、チェーザレは同母の兄妹として、ただ1人「リゼ」と呼び顔を会わせると気さくに話しかけてくれる。だが、今のようにいつもリゼッタをひやひやとさせた。


次期国王を誰とするかは、未だ父王の口から発せられていない。王城内では、密かにフェリシアン派、ローズモンド派、チェーザレ派に分かれているという。こうした話題は、あまり軽々しく口にしていいことではない。


しかし同母兄は、まるで命がけの綱渡りを楽しんでいるかのようににこにことしている。


「……フェリシアン様、そろそろ議に入ってはいかがかと」


ぴりついた沈黙の中で、フェリシアンにそっと声をかける者がいた。彼の茨の騎士としてそのななめ後ろに控えていた、確か、名は……、


「そうだなエリック」


 フェリシアンが静かに応じる。――そう、エリック。彼の容姿は、1度見たら忘れられそうにない。慈悲深く礼儀正しい、優秀な第1王子が従えるには、あまりにも異様な装いなのだ。


 まず全身黒い服に身を包んでいる。肩まで伸びる黒い髪に、黒いマント。中に着ている騎士服もまた上下共に黒。腰に差した剣の鞘も、銀細工の飾りはあるものの鞘自身は黒いという徹底ぶり。フェリシアンが青薔薇の為か、マントの裏地や騎士服の袖や裾は青のデザインだ。


 何より異様なのが、彼の顔であった。……正確には、その上半分を覆っているもの。そこには、カラスを模した黒光りする仮面が取りつけられているのだ。


 まるで歌劇から抜け出してきたかのような目立つ風貌は、彼の茨の騎士の叙任式当時からであった。しかし驚き眉をひそめる大勢の来客の前で、2人は堂々とその儀式を終え、エリックはフェリシアンと同じく青い薔薇の文様を、その手に刻んだのだった。


(……兄様達の、茨の騎士……)


 同じ部屋で、これほど時を共にしたことなどない。リゼッタはそれぞれの薔薇の主の後ろに控える茨の騎士を、1人1人密かに見つめた。


 ローズモンドの茨の騎士であるオーギュストは、今日はまだしゃべっていない。誰よりも大柄である彼は、しかし大人しく控えているのではなく余裕の笑みで場を俯瞰しているようだった。……まるでここが戦場であるかのように。


「!」


 ふと彼がこちらに視線だけを向け、思いっきり目が合ってしまった。リゼッタは慌てて視線を他へ移す。


(あ、あちらが、チェーザレ兄様の、茨の騎士よね)


 気を取り直して、今度はより慎重に窺う。チェーザレの茨の騎士は、なんと少女である。


 茨の騎士は、実は男である必要はない。現にエリザベスも、他の妹達2人も、背後に控えているのは若い女騎士だ。しかしそれは薔薇の主が婚姻前の若い娘だからである。同じ年頃の男の騎士を連れ歩いていては、貞操を疑われてしまう。……リゼッタがヴァランを選べたのは、リゼッタが政略結婚に結びつけなかったからだ。


 しかし、男で、しかも王位継承候補である薔薇の主が、女を茨の騎士に選ぶのは珍しいことであった。


(私やヴァランと、同じくらいの年かしら……)


 銀髪というよりは、ごく薄い水色の髪をしている。この国では珍しい。波打つ髪を、馬のしっぽのようにひとつに結い上げていた。その毛先は肩に届くくらい。大きな瞳は明るい緑色。にこりともせず、どこか不機嫌そうな顔をしている。今はぴしっと騎士服を着こなしているが、年頃の娘らしい装いに身を包めばよく似合うのではないだろうか。


 ほうっと見惚れてさえいたリゼッタに、その少女が気が付いたらしい。視線を上げたかと思うと、


「‼」


 ……ものすっごく、睨まれた。


(ご、ごめんなさい……‼)


 さすがに不躾だったかもしれない……と、リゼッタは今度こそ、視線をうつむけた。


「シェイラ、俺のかわいい妹を睨むな」


 リゼッタの反応を見て何かを察したらしい、チェーザレがふり返らず釘を刺した。彼に呼ばれた少女の騎士が、眉をしかめた。


「……睨んでおりません」


「嘘つけ。お前は分かりやすいんだよ」


「そのようなことはありません。……リゼッタ殿下はいつでも、誰に対しても恐縮しておいでではないですか」


 その少女――シェイラの、棘のある言い方に、リゼッタはびくりと体を竦ませた。視線は下げているが、相手にまた睨まれたのが伝わってくる。


(茨の騎士からも、やはりそんな風に)


 オーギュストも、自分をまるで王族として扱っていなかった。へりくだってほしいわけではないが、見下されている、なめられていると一目で分かる態度は、やはりきつい。


「こら。そういうところを言ってるんだよ」


「何の話をしているのか、分かりません」


 つんとそっぽを向くシェイラの姿に、リゼッタはすごいわ、と思った。チェーザレは実の兄であるが、リゼッタはそんな風に、ある意味仲良しとはいかない。


素っ気ない態度のシェイラにチェーザレが「俺の茨の騎士はかわいげがないなぁ」とぼやいた。それを聞きながら、リゼッタはある噂を思い出した。


(……確か、チェーザレ兄様は、シェイラがかわいいから選んだというような……)


 チェーザレは、言ってしまえば……女性をたらし込むのが常、らしい。これもまた侍女達や貴族のご令嬢方の噂だが、気に入った侍女やご令嬢に声をかけたり、さらには人妻とまで密かに関係を持っているのだとか。城を抜け出して娼館にまで通っていると、これを言っていたのは見回りをしていた騎士達だったか……。


 チェーザレが、シェイラを見目で選んだのかは分からない。だが、こうした気心知れたやり取りを見ていると、そうした理由ではないような気がしてくる。チェーザレが侍女に声をかけているのを見かけたことがあるのだが、チェーザレの今の態度は、その時のような甘ったるさをまるで感じさせない。


(……そういえば)


 リゼッタは、ガレトワ次期国王候補の3人を、順繰りに見た。……彼らの茨の騎士も、当然目に入る。


(3人とも、茨の騎士については随分と反対されていた……)


 それは政務や王位継承争いなど無縁なリゼッタの耳にも聞こえてくるほどであった。リゼッタは家柄や剣の腕、騎士学校での成績に問題のないヴァランであったからすんなりと通ったが――もちろん自分に誰も関心を寄せないからというのもあっただろう――、この優秀な兄姉はそうもいかなかった。


 フェリシアンは、どこの馬の骨かも分からぬ不気味な仮面の男を選び。


 ローズモンドは、傭兵上がりの粗暴な男を選び。


 チェーザレは、政治的価値の何もない若い娘を選び。


 城の重鎮達も、きっとそれぞれの派閥の者達も、首を縦にはふらなかっただろう。しかしそれでどれだけ城の中が荒れても、彼らは自らの選んだ者を茨の騎士にすると、断固として折れなかった。


(……本当に、すごい)


 王位継承争いに不利になる危険を冒してでも、自分の意志を貫き通す、そのまっすぐさが。今なお冷たい目で見られ、心ない言葉を吹き込まれても、堂々と立ち続ける、その強さが。


(私は、ヴァランを茨の騎士にすることを反対されても、拒否できた……?)


 ヴァランが死ぬことを恐れてなお、こうして彼の手に、自分の薔薇を植えつけてしまっているのに――……。


「では、薔薇の議を始めようか」


 穏やかに場を制する声に、リゼッタは顔を上げた。フェリシアンが、皆を見渡す。


 薔薇の議は、現王の実子であり、茨の騎士を持つ者だけが参加を許される議。……この部屋に入り、この議に参加するということは、真に王族であるという証と言っても過言ではない。


 分不相応な気がしてならないが、こうして参加している以上はと、リゼッタは背筋を伸ばした。


「では、始めようか」


 薔薇の主達を見渡し、フェリシアンはにこりと微笑んだ。

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