##【勝利の代償】明かされる真実の一端

学院長室は中央塔の最上階にあった。豪華とも質素とも言えない、落ち着いた調度品に囲まれた部屋だ。大きな窓からは学院の全景と、遠くに広がる王都の街並みが見渡せる。


俺がマーカス教授とオルドリッチ館長に伴われて部屋に入ると、すでに複数の人物が待っていた。


中央のデスクには、アレクサンダー学院長が座っていた。70代と思われる白髪の老人だが、その目は鋭く、若々しい活力に満ちていた。


脇にはゼイガー教授が立ち、不機嫌そうな表情で俺を見つめていた。また、医務室を担当するミランダ教授も同席していた。彼女は優しい表情で俺に微笑みかけた。


「レイン・グレイソン君」学院長が静かに言った。「座りなさい」


彼はデスク前の椅子を示した。俺はそこに座り、緊張しながらも冷静を装った。マーカス教授とオルドリッチ館長は俺の両側に立った。彼らの存在が心強かった。


「まず、ノイマン君の容態について報告しておこう」学院長は言った。「ミランダ教授、お願いします」


ミランダ教授が一歩前に出た。「ヴィクター・ノイマン君は安定しています。魔力の暴走による内部の損傷はありましたが、治療魔法で回復中です。彼が使用していた魔力増強薬の影響は、数日で消えるでしょう」


「彼は罰則を受けるのですか?」俺は思わず尋ねた。「増強薬の使用は禁止されていますよね」


学院長は重々しく頷いた。「その件については調査中だ。彼自身の証言と、彼の家族の説明も聞く必要がある」


「調査など必要ありません」ゼイガー教授が口を挟んだ。「あの状況は明らかに事故です。魔法決闘における不慮の事態」


マーカス教授が眉をひそめた。「不慮の事態?増強薬の使用は明らかな校則違反だぞ、ゼイガー」


「それが証明されたわけではない」ゼイガー教授は冷たく言い返した。「魔力増幅の特殊技術である可能性もある」


「十分です、お二人とも」学院長が静かに制した。「その議論は別の場で行いましょう」


学院長は再び俺に視線を向けた。その目は穏やかでありながらも、何かを見抜くような鋭さがあった。


「グレイソン君、今日の決闘で見せた力について説明してもらえるかな」


これが本題だった。俺は一瞬、マーカス教授を見た。教授は小さく頷いた。


「はい」俺は深呼吸して答えた。「私が使ったのは古代魔法です。正確には、古代アストラリス文明の魔法体系に基づいたものです」


「それは図書館の禁書区画にある書物から学んだのかね?」オルドリッチ館長が尋ねた。その口調には既に答えを知っているような響きがあった。


「一部はそうです」俺は正直に答えた。「ですが、より重要なのは…」


俺は左手の袖をまくり上げ、痣を見せた。通常は薄い青色だが、今は決闘の影響でやや輝きを帯びていた。


「これは星の痣と呼ばれるものです。古代の星の継承者の血統に現れる印です」


「星の継承者…」学院長は眉を上げた。「アストラリス文明の指導者階級の血を引いているということかね?」


「はい」俺は頷いた。「私の両親はその研究者でした。彼らも古代文明と星の継承者の関係を調査していたのです」


「そして彼らは"事故"で亡くなった」マーカス教授が静かに付け加えた。強調された"事故"という言葉には明らかな疑念が込められていた。


学院長は長い沈黙の後、深いため息をついた。


「私はその"事故"についていくらか知っている」彼は意外な言葉を口にした。「グレイソン夫妻の死は、単なる遺跡探索中の事故ではなかった」


俺は驚いて身を乗り出した。「知っているんですか?」


「すべてではない」学院長は慎重に言葉を選んだ。「だが、彼らが『黒翼の結社』に命を狙われていたことは知っていた。彼らの研究は、結社の目的に反するものだったからだ」


「なぜ今まで黙っていたのですか?」俺の声には非難の色が混じった。


「お前の保護のためだ」意外にもオルドリッチ館長が答えた。「真実を知れば、お前は復讐に走ったかもしれない。それは自殺行為に等しい」


「館長の言う通りだ」学院長は頷いた。「我々は君が成長し、自分の力を理解するまで待つ必要があった」


「そして今日、君はその力を示した」マーカス教授が言った。「古代魔法の力を制御し、しかも他者を救うために使った」


部屋に沈黙が訪れた。窓の外では、まだ夏至祭の音楽が遠く聞こえている。


「しかし、それは大きなリスクを伴う」ゼイガー教授が冷たく言った。「古代魔法は数千年前に禁じられた理由がある。その力は制御不能で、使えば使うほど使用者を蝕む」


「それは誤解です」俺は反論した。「古代魔法が禁じられたのは、その力が危険だからではなく、一部の者たちがその力を独占しようとしたからです」


「何を根拠に?」ゼイガー教授は嘲笑うように言った。


「これです」俺はポケットから小さな羊皮紙を取り出した。シルヴィアの祖父の日記からの抜粋だ。「ここには古代文明崩壊の真相が記されています。それは魔法の暴走事故ではなく、力を巡る内部対立だったのです」


学院長は興味深そうに羊皮紙を受け取り、読み始めた。読み終えると、彼は深く考え込むように沈黙した。


「これはシルヴィア・フォン・ヴァルトから受け取ったのかね?」学院長が静かに尋ねた。


「はい」俺は答えた。「彼女の祖父の日記からです」


「フォン・ヴァルト家は代々、古代研究に携わってきた」学院長は頷いた。「その記録には信頼性がある」


「冗談でしょう?」ゼイガー教授が声を荒げた。「一介の学生が持ってきた断片的な記録を信じるのですか?」


「ゼイガー」学院長は厳しい視線を教授に向けた。「君の懸念は理解できる。だが、世界は我々が学んできた以上に複雑だ。固定観念で判断すべきではない」


ゼイガー教授は口を閉ざしたが、その目には怒りが宿っていた。


「グレイソン君」学院長は再び俺に向き直った。「君の力は貴重だが、同時に危険も伴う。『黒翼の結社』は今日の出来事を知り、より積極的に動くだろう」


「既に動いています」俺は決闘後のアーサー・ノイマンとの遭遇について説明した。


学院長の表情が険しくなった。「なるほど、彼らは直接接触してきたか。これは予想よりも早い」


「どうすればいいのでしょうか?」俺は尋ねた。


「まず、君の安全を確保する必要がある」学院長は言った。「学院内では私とオルドリッチ、マーカスが君を守る。だが、夏休みが近づいている。その間の君の計画は?」


俺はマーカス教授を見た。教授は少し頷いた。


「天脈山脈に行く予定です」俺は答えた。「両親が最後に調査していた遺跡を探索するつもりです」


「それは危険すぎる」ミランダ教授が心配そうに言った。


「しかし必要なことだ」意外にもオルドリッチ館長が俺を擁護した。「その遺跡には古代文明の秘密、そして結社の目的に関する重要な情報があるかもしれない」


「それに、一人では行きません」俺は付け加えた。「エリナ・ブライト、ルーク・ハーウッド、そしてシルヴィア・フォン・ヴァルトが同行します」


「シルヴィアも?」学院長は驚いた様子だった。「ノイマン家との婚約があるのに?」


「彼女は自分の道を選びました」マーカス教授が答えた。「彼女の祖父と母親の意志を継ぐことを」


学院長はしばらく考え込んだ後、決断を下したように言った。


「わかった。その探索を許可しよう。だが、条件がある」


「何でしょうか?」俺は真剣に尋ねた。


「マーカス教授も同行すること」学院長は言った。「そして、これを持っていくように」


学院長はデスクの引き出しから小さな水晶のようなものを取り出した。それは鮮やかな青色に輝いていた。


「これは?」俺は好奇心を抱いて尋ねた。


「緊急連絡用の魔晶石だ」学院長は説明した。「危険が迫れば、これを砕くといい。私たちに危険信号が届く」


俺は感謝しながら魔晶石を受け取った。


「もう一つ」学院長は続けた。「今日の出来事、特に古代魔法の使用については、一般には伏せておくことにする。ヴィクターの魔力暴走を君が何らかの方法で鎮めた、というだけにしておこう」


「なぜですか?」俺は疑問に思った。


「結社に不必要な情報を与えないためだ」オルドリッチ館長が答えた。「彼らは既に君の能力に気づいているが、その詳細まで知る必要はない」


「理解しました」俺は頷いた。


「それから」学院長は最後に言った。「天脈山脈に行く前に、医務室でヴィクターに会ってくるといい。彼にも事情を説明する必要がある。彼は犠牲者であると同時に、重要な情報源でもあるかもしれない」


「はい、そうします」俺は答えた。


会議はこれで終了した。俺はマーカス教授とオルドリッチ館長と共に学院長室を後にした。


---


医務室はひっそりとしていた。夏至祭の喧騒がここまで届くことはない。


俺は看護師の指示に従い、奥の個室へと向かった。ドアを軽くノックすると、中から弱々しい声が返ってきた。


「どうぞ」


俺は慎重にドアを開けた。ヴィクターはベッドに横たわり、右腕には魔法の包帯が巻かれていた。彼の顔色は悪く、疲労の色が濃かった。


俺が入室すると、彼は驚いた表情を見せた。


「グレイソン…?なぜ来た?」


「様子を見に来たんだ」俺は静かに言った。「気分はどうだ?」


ヴィクターは少し考えてから答えた。「最悪だ…だが、死ぬことはなさそうだ」


彼は少し体を起こし、俺をじっと見つめた。


「なぜ俺を救った?」彼の声には困惑が滲んでいた。「俺たちは敵同士だったはずだ」


「敵?」俺は少し笑った。「俺たちは同級生だろ?決闘は決闘だ。死なせるつもりはなかった」


「だが…」ヴィクターは言葉に詰まった。「俺は常にお前を見下し、嘲笑してきた。お前には理由があったはずだ」


「単純に、目の前で人が死ぬのを見たくなかっただけさ」俺は肩をすくめた。


ヴィクターはしばらく黙っていた。その表情には、今まで見たことのない複雑な感情が浮かんでいた。


「その力は…」彼は慎重に尋ねた。「古代魔法か?」


「ああ」俺は素直に認めた。「星の継承者の血を引いているらしい」


「星の継承者…」ヴィクターは呟いた。「叔父が探していたものだ」


「アーサー・ノイマンのことか?」俺は尋ねた。「彼が増強薬をお前に渡したんだろう?」


ヴィクターの表情が硬くなった。しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと頷いた。


「ああ…彼だ」ヴィクターの声には悔しさが滲んでいた。「彼は言った…『これを使えば無敵になれる』と」


「なぜ彼の言うことを信じた?」俺は静かに尋ねた。


「父の期待…」ヴィクターは目を閉じた。「俺は常に完璧であることを求められてきた。家名を汚すことは許されない」


「でも、おかしいと思わなかったのか?校則違反だぞ?」


「彼は言った…『真の強者には規則などない』と」ヴィクターは皮肉めいた笑みを浮かべた。「愚かだった…俺は完全に彼の駒だった」


俺はヴィクターの様子に、なぜか自分を重ねるような感覚を覚えた。彼もまた、自分なりの重圧と期待に苦しんでいたのだ。


「ヴィクター」俺は真剣に言った。「『黒翼の結社』についてどれだけ知っている?」


「あまり多くはない」彼は正直に答えた。「叔父が関わっていることは知っていたが、詳細は教えられなかった。ただ…」


彼は一度躊躇ったが、決心したように続けた。


「最近、彼らが何かを計画していることは感じていた。天脈山脈の遺跡に関することだと思う」


「天脈山脈…」俺は目を見開いた。「詳しく教えてくれないか?」


ヴィクターは自分の知る限りの情報を俺に話した。「黒翼の結社」が天脈山脈の古代遺跡「風の都」近郊で何かを探しているということ。特に「星の門」と呼ばれる装置に関心があるということ。そして、その門を開くために星の継承者の血が必要だということ。


俺はその情報に身震いした。シルヴィアの祖父の日記と合致する内容だった。


「なぜこれを教えてくれる?」俺は不思議に思って尋ねた。


「負債の返済さ」ヴィクターは弱々しく笑った。「お前は俺の命を救った。それにこれ以上、叔父の駒になりたくない」


俺は感謝の気持ちを伝えた。そして立ち上がり、部屋を出ようとした。


「グレイソン」ヴィクターが呼び止めた。「気をつけろ。彼らは本気だ。特にアーサー叔父は…恐ろしい男だ」


「わかっている」俺は頷いた。「ありがとう」


「また会おう…学院に戻ってきたら」ヴィクターの言葉には、かすかな友情の兆しが感じられた。


「ああ、必ず」


俺は医務室を後にし、友人たちが待つ中庭へと向かった。夕暮れの陽光が学院の塔を赤く染め、長い影を落としていた。


決闘は終わり、新たな旅立ちへの準備が始まろうとしていた。

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