## 【決闘前夜】全てを賭けた準備

夏至祭前夜の学院は、いつもと違う高揚感に包まれていた。各所に飾り付けがなされ、明日の祭りの準備で学生たちが忙しく動き回っている。そんな中、俺はひとり、学院の裏手にある小さな練習場で静かに呼吸を整えていた。


「集中するんだ、レイン」マーカス教授の声が背後から聞こえる。「自分の内側にある魔力の流れを感じろ」


この3日間、教授の特訓は昼夜を問わず続いた。古代魔法の直接使用は避けつつ、星の継承者としての力を最大限に引き出す方法を模索した。


「左手の痣から心臓へと繋がる魔力の経路を意識するんだ」教授は続けた。「そこが君の力の源泉だ」


俺は目を閉じ、自分の体内を流れる魔力に意識を向けた。左手の痣が微かに温かくなる。それは単なる印ではなく、古代の力と繋がる扉なのだと教授は言った。


「今度は、通常の魔法詠唱をしてみよう」教授は指示した。「でも、魔力は通常の経路ではなく、星の経路を通して」


俺は基本的な火球の魔法を詠唱する。現代魔法の詠唱だが、内側では古代の魔力経路を使って魔力を流している。


「*イグニス・スフィア*」


掌から生まれた火球は、通常の何倍もの輝きを放っていた。サイズは変わらないが、その密度と熱量は比較にならない。


「よし、完璧だ」教授は満足そうに頷いた。「これが星の継承者の真髄だ。古の力を隠しながら使う技術」


教授は俺の前に立ち、真剣な表情で言った。


「明日の決闘、勝つことだけに集中するな。重要なのは、『黒翼の結社』の思惑を外すことだ。彼らは君が古代魔法を露わにすることを期待している。それを見せないこと」


「分かっています」俺は頷いた。「ヴィクターを倒すには、この方法で十分なはずです」


「そう願うよ」教授は不安げな表情を見せた。「だが…あまり楽観視はできん。ヴィクターは本物の天才だ。しかも、噂によれば特別な魔力増強薬を使っているとも言われている」


「増強薬?」俺は眉をひそめた。「それは禁止されているはずでは?」


「もちろんだ」教授は重々しく頷いた。「だが、『黒翼の結社』はそんな校則など気にしない。彼らにとって重要なのは、君を追い詰めることだけだ」


俺は左手の痣を見つめた。わずかに青く光っている。


「教授、質問があります」俺は思い切って尋ねた。「なぜ、結社は古代魔法を復活させようとしているのに、同時に俺の存在を脅威と見なすのですか?矛盾していませんか?」


教授はため息をついた。


「彼らが求めているのは、古代魔法の『復活』ではなく『独占』だ」教授は静かに説明した。「星の継承者は、その力を広く分かち合うことを使命としてきた。しかし結社は、その力を一部の者だけのものにしようとしている」


「両親も…そのために殺されたんですね」俺の声は低く沈んだ。


「そうだ」教授は悲しげに頷いた。「君の父は、古代魔法は全ての人々のためにあるべきだと信じていた。そのために結社に命を狙われたのだ」


しばらくの沈黙があった。練習場の窓から差し込む月明かりが、二人の影を長く伸ばしている。


「さて、もう遅い」教授は話題を変えた。「明日に備えて休むべきだ」


「もう少し練習します」俺は答えた。「完璧にしておきたいので」


教授は少し考えたあと、うなずいた。「わかった。だが無理はするな。魔力を使い果たして明日に響くようなことがあってはならない」


「はい」


教授が去った後、俺はさらに一時間ほど練習を続けた。現代魔法の詠唱に古代の魔力経路を組み合わせる技術は、思ったより難しい。集中力がわずかでも途切れると、魔力のバランスが崩れてしまう。


最後の練習が終わり、汗を拭いながら休憩していると、練習場の入口から人影が見えた。


「まだ起きていたのね」


エリナだった。彼女は小さなランタンを手に持ち、中に入ってきた。


「ああ、もう少し練習していたんだ」俺は答えた。


「無理しないで」彼女は心配そうに言った。「明日のために体力を温存したほうがいいわ」


「わかってる」俺は微笑んだ。「でも、どうしても確実にしておきたくて」


エリナは俺の隣に座り、ランタンを床に置いた。その光が二人の顔をやわらかく照らしている。


「緊張してる?」彼女が聞いた。


「少しね」正直に答えた。「明日は学院中が見ている。失敗するわけにはいかない」


「あなたなら大丈夫よ」彼女は優しく言った。「この3日間、あなたの成長ぶりを見てきたもの。ヴィクターも驚くわ」


俺はエリナの言葉に勇気づけられた。彼女の存在は、いつも俺に自信を与えてくれる。


「エリナ」俺は真剣な表情で彼女を見た。「明日がどうなろうと、夏休みの天脈山脈行きは変わらないからね」


「ええ、もちろんよ」彼女は頷いた。「私たち、あなたの両親の研究を完成させるの」


「でも、危険かもしれない」俺は懸念を示した。「もし結社が…」


「怖くないわ」エリナはきっぱりと言った。「私たちは正しいことをしているの。古代魔法の知識は一部の人だけのものであってはいけない」


その瞬間、エリナの確信に満ちた表情に心を打たれた。彼女は最初から俺を信じ、支えてくれた。その勇気と決意は、何物にも代え難い宝物だった。


「ありがとう」俺は静かに言った。「君がいなかったら、ここまで来れなかったよ」


エリナは少し顔を赤らめたが、すぐに話題を変えた。


「シルヴィアから連絡があったわ」彼女は声を落として言った。「明日、ヴィクターは特別な魔力増強薬を使うつもりらしいの。アーサー・ノイマンから直接渡されたものだって」


「教授も同じことを言っていた」俺は眉をひそめた。「それって危険じゃないのか?」


「とても危険よ」エリナは心配そうに言った。「特に古代の材料を使ったものだとしたら、副作用も計り知れない」


「なぜそこまでするんだ?」俺は疑問を抱いた。「彼は学院首席だぞ?そんなものに頼る必要があるのか?」


「プライドね」エリナは分析した。「あなたの存在が彼の地位を脅かす。それに、彼の父親と叔父さんからのプレッシャーもあるでしょう」


俺は考え込んだ。ヴィクターの立場も複雑なのかもしれない。彼もまた、ある意味では結社の駒なのかもしれない。


「どうするの?」エリナが尋ねた。


「変わらないよ」俺は決意を固めた。「彼が何を使おうと、俺は俺のやり方で戦う。古代魔法を隠しながら、現代魔法で勝負する」


「その選択が正しいわ」エリナは安心したように言った。


二人は静かに夜空を見上げた。明日の夏至祭は、快晴になるという予報だった。


「そろそろ戻ろう」エリナが立ち上がる。「明日は早いし」


「ああ」俺も立ち上がった。


練習場を出る前に、エリナが突然立ち止まった。


「レイン、約束して」彼女は真剣な表情で言った。「明日、どんなことがあっても、命を危険にさらすようなことはしないで」


「約束するよ」俺は微笑んだ。「俺にはまだやることがたくさんある。両親の研究を完成させることも、古代魔法の真の使い方を見つけることも」


そして心の中で付け加えた。「そして、君と一緒にいることも」


---


寮に戻る途中、学院の中央広場を通りかかると、そこにはシルヴィアが立っていた。月明かりに照らされた彼女のシルエットは、どこか孤独に見えた。


「シルヴィア?」俺は声をかけた。


彼女は振り返り、俺とエリナを見て微かに微笑んだ。


「お二人とも、こんな遅くまで」


「練習していたの」エリナが答えた。「あなたは?」


「少し考え事を」シルヴィアは夜空を見上げた。「明日のことを」


「ヴィクターのこと?」俺は慎重に尋ねた。


「ええ」彼女は小さく頷いた。「彼は…普通の人だったのよ。昔は」


「どういう意味?」エリナが尋ねる。


「アーサー叔父さんの影響力が強くなる前は、もっと…純粋だった」シルヴィアの声には懐かしさが混じっていた。「魔法の研究に夢中で、純粋に強くなりたいと思っていた」


「結社の影響か」俺は理解した。


「そうね」シルヴィアは俺を見た。「だから明日は…彼を傷つけないで」


「え?」エリナが驚いた声を上げた。


「勝つのはいいわ」シルヴィアは説明した。「でも、彼の自尊心をズタズタにするようなことはしないで。それは結社の思惑通りになってしまう」


「どういうこと?」俺は混乱した。


「アーサー叔父さんは、ヴィクターをただの道具として見ているの」シルヴィアの声には怒りが含まれていた。「彼が惨めに負ければ、もっと結社に依存するようになる。彼らの支配がさらに強まるわ」


「でも、勝たなきゃいけないんだろう?」エリナが言った。


「ええ」シルヴィアは頷いた。「ただ…公正に。彼の尊厳を守る形で」


俺はシルヴィアの真意を理解した。彼女はヴィクターを憎んでいるわけではない。むしろ、結社の手から救いたいと思っているのだ。


「わかった」俺は約束した。「俺も決闘の目的は、彼を打ち倒すことじゃない。真実を示すことだ」


シルヴィアは安堵の表情を見せた。「ありがとう」


「あなたは彼のことをまだ…?」エリナが遠慮がちに尋ねた。


シルヴィアは小さく首を振った。「違うわ。でも、かつての友人として、彼が結社に完全に飲み込まれるのを見たくないの」


三人は沈黙の中、夜空を見上げた。満天の星が、明日の決闘を見守るかのように輝いていた。


「さあ、寮に戻りましょう」シルヴィアが言った。「明日は長い一日になるわ」


「そうだな」俺は頷いた。「おやすみ」


三人は別れ、それぞれの寮へと向かった。俺は自分の小さな部屋に戻ると、窓辺に立ち、星空を見上げた。左手の痣が微かに光を放っている。


「父さん、母さん…」俺は星に向かって呟いた。「明日、俺は一歩前に進むよ。あなたたちの研究を無駄にしないために」


---


翌朝、学院は夏至祭の華やかな装飾で彩られていた。中央広場には大きな舞台が設けられ、その周りには多くの露店が並んでいる。学生たちは祭りの衣装に身を包み、笑顔で行き交っていた。


俺は寮を出て、祭りの喧騒に向かう。今日の決闘は午後2時から始まる予定だ。それまでは自由時間となっている。


「レイン!」


振り返ると、ルークが走ってきた。彼は剣術科の正装である青いチュニックを着ていた。


「よう、決闘の準備はできてるか?」ルークは元気よく尋ねた。


「ああ」俺は頷いた。「できる限りのことはした」


「心配するな」ルークは肩を叩いた。「俺は最前列で応援してるからな」


「ありがとう」俺は感謝した。


二人で祭りの会場を歩いていると、学生たちの視線を感じた。皆が俺を見て、小声で話している。もはや「最弱魔術師」ではなく、「ヴィクター・ノイマンに挑む謎の男」として見られているようだった。


「人気者だな」ルークは冗談めかして言った。


「いらない人気だよ」俺は苦笑した。


広場の一角では、マーカス教授が他の教授たちと話していた。俺と目が合うと、教授は微かに頷いた。それだけで、心強さを感じた。


「あ、エリナとシルヴィアだ」ルークが指さした。


広場の向こうに二人の姿が見えた。エリナは学院の祭り用ローブを着て、シルヴィアは貴族家の正装を身につけていた。二人は俺たちに気づくと、手を振った。


「おはよう」エリナが近づいてきた。「よく眠れた?」


「まあまあかな」俺は正直に答えた。


「緊張するのは当然よ」シルヴィアが言った。「でも、昨日までの練習を信じて」


「ああ」俺は頷いた。


シルヴィアは周囲を見回し、小声で言った。「ヴィクターは朝からアーサー叔父さんと会っていたわ。何かを渡されたみたい」


「増強薬か」俺は眉をひそめた。


「おそらくね」シルヴィアの表情は暗くなった。「気をつけて。彼の魔力が通常より強くなるはずよ」


「わかった」俺は真剣に受け止めた。


「お腹すいたな」ルークが話題を変えた。「何か食べよう」


四人は広場の露店を回り、軽い食事をとった。祭りの雰囲気を楽しみたかったが、俺の心は決闘のことで一杯だった。


時間が近づくにつれ、中央舞台周辺には人が集まり始めた。1時半を過ぎた頃、オルドリッチ館長が俺に近づいてきた。


「グレイソン君、準備はできましたか?」館長は穏やかに尋ねた。


「はい」俺は答えた。


「舞台裏に案内しましょう」館長は言った。「決闘者は事前に準備室で待機することになっています」


俺は友人たちに別れを告げた。


「頑張って」エリナが励ました。


「自分を信じて」シルヴィアも言った。


「派手にやれよ」ルークは親指を立てた。


「ありがとう」俺は笑顔を見せた。「終わったらまた会おう」


オルドリッチ館長に導かれ、俺は舞台裏の準備室へと向かった。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。いよいよ決闘の時が近づいていた。


準備室には、すでにヴィクターが待っていた。彼は白と青の正装を身につけ、厳かな表情をしていた。俺が入室すると、彼は冷ややかな視線を向けた。


「よく来たな、グレイソン」彼の声は静かだったが、威圧感があった。


「ああ」俺は平静を装った。


「忠告しておこう」ヴィクターは俺に近づいた。「今日の決闘は、単なる学生同士の争いではない。もっと大きな意味がある」


「知っているよ」俺は真剣に答えた。「『黒翼の結社』の試験だろう?」


ヴィクターの瞳が一瞬、驚きで見開かれた。「なんだと?お前…」


そのとき、ゼイガー教授が部屋に入ってきた。「準備はいいか?もう始める時間だ」


ヴィクターは一旦感情を抑え、優雅に頷いた。「もちろんです、教授」


俺も頷いた。教授は二人を見比べ、特にヴィクターの方を長く見つめていた。何かを確認しているようだった。


「ルールを説明する」教授は厳格に言った。「舞台上の魔法陣の範囲内での戦闘。致命的な魔法は禁止。一方が降参するか、戦闘不能になるまで継続。私の判断で中断することもある」


「理解しました」ヴィクターが言った。


「はい」俺も同意した。


「それではまもなく」教授は言い残して部屋を出た。


二人きりになると、ヴィクターは再び俺に向き直った。


「なぜ結社のことを知っている?」彼は静かに尋ねた。


「色々な人から聞いたさ」俺は曖昧に答えた。


「シルヴィアか…」ヴィクターの表情が険しくなった。「彼女には失望した」


「彼女は正しいことをしているだけだ」俺は言った。


「正しい?」ヴィクターが冷笑した。「何が正しいか、お前に分かるはずがない。古代の力は選ばれた者のものだ。それを理解できない輩に扱える代物ではない」


俺は彼の言葉に違和感を覚えた。彼の口調は、まるで教え込まれたかのような響きがあった。


「ヴィクター、お前は自分の言葉で話しているのか?それとも、叔父さんの言葉を繰り返しているだけなのか?」


その質問は、彼の琴線に触れたようだった。ヴィクターの顔が怒りで赤くなる。


「黙れ!お前なんかに、俺のことが分かるはずがない!」彼の右手から青い雷光が漏れ始めた。「舞台で決着をつける。お前の傲慢さに、後悔させてやる」


そのとき、外から太鼓の音が鳴り響いた。決闘の開始を告げる合図だ。


「行くぞ」ヴィクターは最後に言った。「覚悟しておけ」


俺は黙って頷いた。左手の痣が、決闘を前に微かに脈打っている。これが、俺の試練の時だった。


外からアナウンスが聞こえる。


「夏至祭、メインイベント!学院史上最も注目される魔法決闘、ヴィクター・ノイマン対レイン・グレイソン!両者、入場!」


大きな歓声と共に、俺たちは決闘の舞台へと足を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る