# 第5章: 【対決前夜】敵と味方の境界線

## 【内なる敵】自分自身との対話

学院の裏庭にある小さな練習場。早朝の陽光がまだ薄く、周囲には誰もいない。俺は中央に立ち、目を閉じて深く呼吸した。


「集中するんだ」マーカス教授の声が静かに響く。「内なる魔力を感じろ。そして、それを制御する」


魔力暴走の事故から2週間が経った。特別懲罰委員会の処分により、通常の実技授業には参加できないが、教授の個人指導は許可されていた。毎朝、日の出とともに始まる特訓だ。


「左手の痣に意識を集中させなさい」教授は続けた。「それは力の源であると同時に、制御の鍵でもある」


俺は教授から学んだ古代の瞑想法を実践していた。呼吸を整え、精神を静め、体内の魔力の流れを感じ取る。左手の痣が温かくなるのを感じた。


「今度は、ゆっくりと魔力を引き寄せる」教授の声は穏やかだが、厳格だ。「急がず、少しずつ」


俺は周囲の魔力を感じ取った。空気中に漂う目に見えない魔力の粒子。それらが徐々に俺に引き寄せられていく。左手の痣が青く光り始める。


「良い…バランスを維持するんだ」


魔力が集まるにつれ、体内で熱が高まっていく。しかし今回は、前回の暴走とは違う。より制御された、安定した魔力の流れだ。


「今、炎を生成してみなさい」教授が指示した。「小さく、安定したものを」


俺は右手を上げ、掌を上に向けた。心の中で古代語の詠唱を唱える。


『*エスタリス・フラマ・モデラタ・アパレーレ*』(星の穏やかな炎よ、現れよ)


掌の上に小さな青白い炎が現れた。サイズは拳ほどで、安定して燃えている。以前の暴走時のような激しさはなく、静かな炎だ。


「見事だ」教授は満足そうに言った。「制御できているな」


「はい」俺は集中を維持しながら答えた。「でも、まだ難しい…」


「当然だ」教授は頷いた。「古代魔法の真髄は制御にある。力を得ることは比較的容易だが、それを正しく扱うことが真の課題だ」


炎を数分間維持した後、俺は魔力の流れを緩め、炎を消した。額に汗が浮かんでいる。精神的な集中が必要で、まだ体力を消耗する。


「休憩しよう」教授は水の入った杯を差し出した。


俺は感謝して水を飲み、石のベンチに腰を下ろした。朝日はより強くなり、学院の建物を黄金色に染め始めていた。


「進歩しているな」教授は俺の横に座った。「特に魔力のコントロールが上達している」


「ありがとうございます」俺は素直に言った。「でも、まだ十分ではないと感じます」


「自分自身に厳しいのは良いことだ」教授は微笑んだ。「だが、焦りは禁物だ。古代魔法の習得は一朝一夕にできるものではない」


「分かっています」俺は左手の痣を見つめた。「ただ…この力を早く使いこなせるようになりたいんです」


「何のために?」教授の質問は簡潔だが、核心を突いていた。


「両親の…」俺は言いかけて、自分の本当の気持ちを見つめ直した。「いいえ、それだけではありません。自分自身のために。この力を理解し、正しく使いたいんです」


「良い答えだ」教授は満足そうに頷いた。「復讐や力への渇望ではなく、理解と責任。それが星の継承者にふさわしい姿勢だ」


しかし、俺の心の奥底では、正直な気持ちも渦巻いていた。


「ですが…」俺は躊躇いながら言った。「完全に正直になれば、復讐の気持ちもあります。『黒翼の結社』に対して。両親を奪った彼らに」


教授は長い間黙っていた。朝の風が二人の間を通り過ぎていく。


「人間らしい感情だ」彼は最終的に言った。「そのような気持ちを持つことを責めはしない。だが、それに支配されてはならない。特に君のような力を持つ者はな」


「どういうことですか?」


「強大な力は、強い感情と結びつくと危険だ」教授は真剣な表情で説明した。「古代文明の崩壊も、そのような力と感情の暴走が一因だったと言われている」


俺は教授の言葉を胸に刻んだ。確かに、魔力暴走の事故も、自分の感情のコントロールを失った時に起きたのだ。


「自分自身との対話を続けなさい」教授はアドバイスした。「自分の心の動きを理解し、受け入れる。そうすれば、感情に振り回されることなく、それを力に変えることができる」


「分かりました」俺は頷いた。


「さて、次は別の練習だ」教授は立ち上がった。「精霊との契約を深める方法を教えよう」


練習は続き、俺は火精霊イグニティウスとの契約をより強化する方法を学んだ。精霊との絆を深めることで、より安定した魔力の供給と制御が可能になるという。


朝日が高く昇り、学院が活動を始める時間が近づいてきた。他の学生たちが練習場を使い始める前に、特訓を終える必要がある。


「最後に一つ」教授は練習の締めくくりとして言った。「星の痣の能力をさらに引き出す瞑想法を教えよう」


教授は俺に、左手の痣に両手を重ねて座るよう指示した。


「目を閉じ、呼吸を整える。そして、こう唱えなさい」


教授は古代語で詠唱を教えた。


『*ステラ・インテリオリス・イルミナーレ・ヴィアム*』(内なる星よ、道を照らせ)


俺がその言葉を唱えると、左手の痣が鮮やかな青色に輝き始めた。その光が手のひらから腕へと広がり、体中を巡る魔力の経路が可視化されたようだった。


「これは…」俺は驚いて目を見開いた。


「星の痣の本来の力だ」教授は説明した。「単なる印ではなく、魔力の経路全体を活性化させる触媒なんだ」


俺は自分の体内を流れる魔力の流れを初めて目で見ることができた。それは青い光の網目のように体中に広がり、特に左手の痣から心臓へと繋がる太い光の筋が際立っていた。


「驚くべきことに」教授は続けた。「君の魔力の経路は古代型だ。現代の魔術師とは根本的に異なる」


「それが、現代魔法が使いづらかった理由ですか?」


「その通り」教授は頷いた。「君の体は古代魔法に適応している。現代魔法の型に無理に合わせようとすると、魔力が正しく流れない」


これは重要な発見だった。自分の体が生まれつき古代魔法向けに作られているということは、単なる訓練不足ではなく、根本的な適性の問題だったのだ。


「この瞑想法を毎日続けなさい」教授はアドバイスした。「自分の魔力経路を理解することで、より効率的に魔法を使えるようになる」


特訓が終わり、教授と別れた後、俺は学食に向かった。朝食の時間だ。


食堂に入ると、いつものように視線を感じた。監視は続いており、そして多くの学生たちが俺を避けるように席を移動する。魔力暴走の事故以来、「危険人物」というレッテルは消えていない。


一人で食事を取っていると、エリナが近づいてきた。彼女は数少ない、変わらず接してくれる人の一人だ。


「おはよう」彼女は微笑みながら俺の向かいに座った。「特訓はどうだった?」


「順調だよ」俺は小声で答えた。「魔力の制御がだいぶ上達した」


「それは良かった」彼女は嬉しそうに言った。「あと10日で夏季休暇よ。準備は進んでる?」


「ああ」俺は頷いた。「マーカス教授と計画を練っている。天脈山脈への旅の準備だ」


「私も資料を集めてるわ」彼女は目を輝かせた。「古代『風の都エアリア』についての文献を何冊か見つけたの」


俺たちの会話は、周囲に聞かれないよう小声で続いた。夏季休暇に天脈山脈を訪れ、両親が最後に調査していた古代遺跡を探索する計画だ。マーカス教授とオルドリッチ館長の助けを借りて、秘密裏に準備を進めている。


「それで」エリナは表情を変えて、より深刻な話題に移った。「ヴィクターの挑戦状のこと、どうするの?」


ああ、そのことだ。先週、ヴィクターから公式な魔法決闘の挑戦状が届いていた。学院の伝統行事「夏至祭」での公開決闘だ。


「受けるしかないよ」俺は肩をすくめた。「断れば、臆病者と思われる」


「でも危険よ」エリナは心配そうに言った。「彼は学院首席。それに…」


彼女は周囲を確認してから、さらに声を潜めた。


「彼の叔父アーサーからの支援があるかもしれない。『黒翼の結社』の力をね」


「考えていないわけじゃない」俺も真剣な表情になった。「でも、これは避けられない対決だと思う。いつかは彼と向き合わなければならない」


「分かったわ」エリナは諦めたように頷いた。「でも、くれぐれも無茶はしないで。古代魔法の使用は特に慎重に」


「ああ、約束する」


会話を終え、俺たちはそれぞれの授業へと向かった。だが、心の中では様々な思いが交錯していた。


マーカス教授との朝の特訓、自分自身の魔力経路の発見、そしてヴィクターとの決闘…すべてが俺の内面と向き合うことを要求している。


「自分自身との対話を続けなさい」


教授の言葉が頭の中で繰り返される。確かに、今の俺の最大の敵は、外部の脅威だけではない。自分自身の中にある恐れや怒り、そして制御できない力—それらこそが真の挑戦なのかもしれない。


左手の痣が微かに脈動するのを感じながら、俺は次の授業へと足を進めた。

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