## 【力の代償】魔力増強の危険な試み

「今日は高度な元素融合魔法を実践する」


ゼイガー教授の声が実習場に響き渡った。午後の実技授業は3年生全員が参加する重要な科目だ。学生たちは緊張した面持ちで教授の説明に耳を傾けている。


「炎と風の融合による『炎嵐』の生成だ」教授は実習台の上に魔力感応石板を置きながら言った。「通常の炎魔法より強力だが、その分、制御も難しい」


教室の中で、生徒たちの間に小さなざわめきが起こった。炎嵐魔法は上級魔法の一つで、普通は4年生以上が学ぶものだ。


俺は内心、少し興奮していた。炎と風の融合は、既に古代魔法の形で練習していたからだ。「星継の書」と火精霊イグニティウスの力を借りて、基本的な複合魔法を習得していた。


「これは難しいぞ」ルークが隣で呟いた。「俺は風魔法が苦手なんだ」


「大丈夫」俺は友人を励ました。「コツさえ掴めば、それほど難しくない」


「さすがは最近急成長の"隠れた天才"だな」ルークは冗談めかして言った。彼は俺の成績向上を素直に喜んでくれている数少ない友人の一人だ。


教室の反対側では、ヴィクターが自信に満ちた表情で立っていた。彼の周りには取り巻きたちがおり、シルヴィアもその隣に立っている。彼女は俺と目が合うと、かすかにうなずいた。


「では、実践に移る」ゼイガー教授が宣言した。「最初にデモンストレーションを行う。よく観察するように」


教授は魔法陣を描き、詠唱を始めた。完璧な発音と手の動きで、炎と風の魔力を呼び起こし、融合させる。実習台の上に、回転する炎の渦が現れた。美しくも危険な魔法だ。


「これが『炎嵐』だ」教授は説明した。「風の力で炎を制御し、回転させることで威力を増幅させる。だが、バランスを崩せば暴走の危険がある」


デモンストレーションが終わり、学生たちは一人ずつ実践することになった。最初に呼ばれたのはヴィクターだった。


「ノイマン、前へ」


ヴィクターは自信満々に実習台に進み出た。彼の魔法はいつも完璧だ。今回も例外ではなかった。正確な詠唱と魔法陣で、見事な炎嵐を生成した。その規模と安定性は教授のものに匹敵するほどだった。


「見事だ、ノイマン」ゼイガー教授は満足そうに言った。「さすが首席だ。S評価だ」


ヴィクターは誇らしげに俺を一瞥し、自分の席に戻った。次々と学生たちが呼ばれ、成功と失敗が繰り返された。多くの学生は小さな炎の渦を作るのが精一杯だった。


「グレイソン、前へ」


俺の名が呼ばれた時、教室の雰囲気が一変した。かつての「落第魔術師」が最近急に頭角を現したことで、多くの学生が俺の実技に注目するようになっていた。


実習台に向かいながら、マーカス教授から学んだ魔力増幅の技術を思い出した。古代魔法の力を現代魔法の形式で使う方法だ。「エコー・クリスタル」は念のため持っていた。


「いいか、グレイソン」ゼイガー教授は少し皮肉な口調で言った。「突然の才能開花も、この魔法では通用しないかもしれんぞ」


「はい、教授」俺は落ち着いて答えた。


まず現代魔法の詠唱と魔法陣を形作る。表向きは教科書通りの手順だ。しかし内心では、古代語で別の詠唱を唱えていた。


『*エスタリス・フラマ・エト・アエリス・コニウンゲレ*』(星の炎と風よ、結合せよ)


左手の痣が手袋の下で温かくなるのを感じた。魔力が体内を流れ、外界の魔力と共鳴し始める。


ここで、マーカス教授から学んだ魔力増幅の技術を試すことにした。通常より多くの魔力を引き寄せ、痣を通じて増幅させる。より強力で安定した炎嵐を作るためだ。


「魔力を集中…制御を維持…」


内なる魔力と外界の魔力が急速に増大し始めた。予想以上の速さだ。実習台の上に炎の渦が形成され、みるみるうちに大きくなっていく。


「おお」教室から感嘆の声が上がった。


出来上がった炎嵐は、ヴィクターのものよりも大きく、より鮮やかな色をしていた。回転も速く、威力も明らかに上だ。


ゼイガー教授の表情に驚きが浮かんだ。


「なかなかだな、グレイソン」


その称賛に気を良くした俺は、もう少し魔力を注ぎ込むことにした。より印象的な結果を見せたかった。特にヴィクターに。


これが致命的な判断ミスだった。


急激に魔力が増幅し始め、左手の痣が熱く脈動した。炎嵐の回転が加速し、色が濃く変わっていく。


「あれ…?」


制御が効かなくなっているのに気づいたが、もう遅かった。炎嵐は予想外の速さで膨張し、炎の粒子が周囲に飛び散り始めた。


「危険だ!」ゼイガー教授が叫んだ。「魔力を絞れ、グレイソン!」


「うっ…!」


必死に魔力の流れを止めようとしたが、既に制御を超えていた。左手の痣から体全体に痛みが走る。魔力が暴走している。


「みんな下がれ!」教授が命じた。


学生たちが慌てて後退する中、炎嵐は更に膨張し、実習台から浮き上がり始めた。青白い炎が渦巻き、天井に向かって伸びていく。


「止まれ…!」


俺は全力で魔力を制御しようとしたが、痣からの魔力流出が止まらない。まるで蛇口の壊れた水道のように、魔力が溢れ出ていた。


そのとき—


「レイン!」


エリナの声が聞こえた。彼女が俺の側に駆け寄り、何かの粉末を炎嵐に向かって投げ込んだ。青い粉末だ。


「魔力中和剤よ!」彼女は叫んだ。


粉末が炎に触れると、青白い光が走り、炎の勢いが少し弱まった。しかし、完全には消えない。


「まだ足りない!」エリナは焦った様子で言った。


突然、別の方向から氷の矢が飛んできた。炎嵐の中心を直撃する。振り返ると、シルヴィアが杖を構えていた。彼女の紫紺の瞳が真剣な光を放っている。


「冷却魔法よ!」彼女は説明した。「火と氷を中和させる!」


シルヴィアの氷魔法とエリナの魔力中和剤の効果で、炎嵐はようやく小さくなり始めた。だが、不安定な状態は続いている。


「もう一度!」エリナとシルヴィアが声を合わせ、再び魔法を放った。


そして最後に、ゼイガー教授が強力な魔法封じの術式を唱えた。三人の力が合わさり、ついに炎嵐は消滅した。


だが、被害は既に出ていた。実習台は完全に焼け焦げ、天井には大きな焦げ跡がついている。幸い、人的被害はなかったが、施設の損傷は甚大だった。


教室は静まり返っていた。全ての学生が、恐怖と驚きの表情で俺を見つめている。


「グレイソン」ゼイガー教授の声は氷のように冷たかった。「何が起きたのか説明してもらおうか」


俺は左手を握りしめた。痣からの痛みはまだ残っている。


「すみません、教授」俺は震える声で言った。「魔力のコントロールを失ってしまいました」


「ただのコントロール不足ではないだろう」教授の目は鋭く俺を貫いた。「あれは通常の魔力暴走とは違う。何か特別な魔法を使っていたな?」


ここで真実を話すわけにはいかない。古代魔法を使っていたなど言えば、さらに大問題になる。


「新しい魔力操作法を試していただけです」俺はできるだけ真実に近い説明をした。「うまくいくと思ったのですが…」


「無謀な実験だ」教授は厳しく言った。「君はクラスメイトの命を危険にさらした。これは重大な違反行為だ」


「申し訳ありません」俺は深く頭を下げた。


「謝罪だけでは済まないぞ」教授は冷たく言った。「特別懲罰委員会に報告する。処分が決まるまで、実技授業への参加は禁止だ」


その言葉に教室がざわめいた。実技授業からの除外は深刻な処分だ。最悪の場合、退学もありうる。


「教授」エリナが一歩前に出た。「レインは悪意があったわけではありません。新しい方法を試みただけで—」


「ブライト嬢」教授は彼女を遮った。「善意であれ無知であれ、結果が全てだ。このような危険な実験は許されない」


エリナは反論しようとしたが、ゼイガー教授は話を聞く様子がなかった。


「授業は中止だ。みな解散しろ」


学生たちは小声で話し合いながら、一人また一人と教室を後にした。多くの者が俺に恐れと好奇の混じった視線を向けた。ヴィクターは満足げな笑みを浮かべていた。


教室が空になると、エリナとシルヴィアだけが残った。


「大丈夫?」エリナが心配そうに俺の側に寄った。


「ああ」俺は左手を摩っていた。痣からの痛みはまだ引かない。「何とか…」


「急いで第三書庫に行きましょう」エリナは小声で言った。「あの痣を調べる必要があるわ」


シルヴィアが近づいてきた。彼女の表情は複雑だった—心配と好奇心が混ざっている。


「私も行くわ」彼女は決然と言った。「今のは通常の魔力暴走じゃなかった。何が起きたのか知りたい」


俺とエリナは一瞬、目を合わせた。彼女は少し躊躇いつつも、小さく頷いた。この状況では、シルヴィアの助けも必要かもしれない。


「わかった」俺は言った。「行こう」


三人で焼け焦げた教室を後にした。廊下では、既に事件のうわさが広まっていた。学生たちは俺たちが通り過ぎると、小声で話し合い、時に指を指した。


図書館に向かう途中、シルヴィアが言った。


「ところで、魔力中和剤はどこで手に入れたの?」彼女はエリナに尋ねた。「あれは高級品よね」


「研究用に」エリナは簡潔に答えた。「古代魔法の研究には万が一に備えて持っているの」


「賢明ね」シルヴィアは認めた。「今日はそれが役立ったわ」


第三書庫に着くと、オルドリッチ館長が心配そうに待っていた。


「事故のことは聞いた」館長は言った。「大丈夫かね、レイン君?」


「大丈夫です」俺は半分嘘をついた。実際には左手の痛みと疲労感で立っているのもやっとだった。


「何が起きたの?」シルヴィアが率直に尋ねた。彼女の紫紺の瞳には真剣な光が宿っていた。


俺は三人に真実を話すことにした。もはや隠す意味はない。


「古代魔法の魔力増幅法を試したんだ」俺は左手の手袋を脱いだ。驚いたことに、青い結晶状の痣が通常より広がり、手首まで伸びていた。


「これは…」館長は眉をひそめた。


「魔力増幅によって星の痣が活性化しすぎた」俺は説明した。「そして制御を失った」


「星の痣が拡大している」エリナは心配そうに俺の手を調べた。「これは前にはなかったわ」


シルヴィアは黙って状況を観察していた。彼女の表情からは、多くの疑問と認識が読み取れる。


「前から知っていたのね」彼女はエリナに向かって言った。「彼が星の継承者だということを」


「ええ」エリナは率直に認めた。


「なぜ私には言わなかったの?」シルヴィアの声にはかすかな非難が混じっていた。


「まだ完全には信頼していなかったからよ」エリナは正直に答えた。


二人の間に緊張が走った。シルヴィアは一瞬、傷ついたような表情を見せたが、すぐに理解を示した。


「そうね」彼女は頷いた。「私の立場を考えれば、当然の判断だわ」


「でも今は」俺が割って入った。「君の助けがなければ、事態はもっと悪化していた。感謝している」


シルヴィアの表情が和らいだ。


「私たちは同盟関係でしょう?」彼女は少し微笑んだ。「お互いを助け合うのは当然よ」


オルドリッチ館長は咳払いをして、注意を引いた。


「まず、その痣を治療する必要がある」彼は言った。「星の痣の過度な活性化は危険だ」


館長は書棚から古い小箱を取り出した。中には青い粉末が入っている。


「これは古代の治癒剤だ」彼は説明した。「星の痣の暴走を鎮めるのに効果がある。両手を出しなさい」


俺が手を差し出すと、館長は慎重に粉末を痣の上に振りかけた。


「さて、詠唱をしなさい」館長は指示した。「*レクイエスケ・ステラ*(星よ、休め)と」


「*レクイエスケ・ステラ*」俺は言葉を繰り返した。


青い粉末が光を放ち、痣に吸収されていった。徐々に痛みが引き、拡大していた痣が元の大きさに戻り始める。


「効いてる…」俺は安堵のため息をついた。


「治癒魔法に近いものだ」館長は説明した。「古代では、星の継承者の訓練中によく用いられた」


「あなたはどうしてそんなことを?」シルヴィアが不思議そうに館長を見た。


「長い間、古代魔法を研究してきたからね」館長は穏やかに答えた。「詳しい説明はまた今度」


痣が元の状態に戻ると、館長は続けた。


「さて、何が起きたのか詳しく聞かせてくれないか」


俺はマーカス教授から学んだ魔力増幅の技術と、それを試みた経緯を説明した。


「無謀だったね」館長は厳しく言ったが、声には理解も混じっていた。「古代魔法は現代魔法より強力だが、その分、制御も難しい。特に増幅技術は上級者でも扱いが難しいんだ」


「そうですね」俺は恥ずかしそうに認めた。「マーカス教授も警告していたのに…」


「待って」シルヴィアが口を挟んだ。「マーカス教授もこのことを知っているの?」


「ああ」俺は頷いた。「彼は俺の特別指導をしてくれている。古代魔法についてね」


シルヴィアは少し考え込んだ。


「マーカス教授…古代魔法史の専門家ね。彼が実際に古代魔法を教えているとは…」


「彼は単なる学者以上の人物だ」館長は静かに言った。「いずれ分かるだろう」


「それより」エリナが話題を戻した。「今後どうすればいいの?ゼイガー教授は特別懲罰委員会に報告すると言ってたわ」


「それは避けられないだろうね」館長は残念そうに言った。「ただ、私からも状況を説明しておこう。無謀な実験ではあったが、悪意はなかったとね」


「ありがとうございます」俺は感謝した。


「しかし、しばらくは目立たないようにするべきだ」館長は警告した。「特に魔法の実践は慎重に。次の失敗は取り返しがつかないかもしれない」


「事故の影響で、学院内での立場も悪くなるでしょうね」シルヴィアが現実的に言った。「特にヴィクターたちにとって、これは格好の攻撃材料だわ」


「ヴィクター…」俺は思い出した。「彼の表情、嬉しそうだった」


「当然よ」シルヴィアは冷静に言った。「彼はあなたの成功に脅威を感じていたから。あなたの失敗は彼にとって好都合なの」


「でも、これで終わりじゃないわ」エリナは力強く言った。「この失敗から学んで、より慎重になればいいだけよ」


「そうだな」俺も気持ちを切り替えた。「それに、俺にはまだやるべきことがある。両親の研究、古代魔法の真実、『黒翼の結社』のこと…」


館長は微笑んだ。


「その通りだ。挫折は成長の糧だよ。だが、次からは慎重に」


四人は今後の方針について話し合った。当面は古代魔法の実践を控え、理論研究に集中すること。そして学院内では目立たないよう振る舞うこと。


「それと」館長は最後に言った。「マーカス教授にも状況を報告しておくといい。彼ならより詳しいアドバイスがもらえるだろう」


「はい」俺は頷いた。「今夜、彼を訪ねます」


話し合いが終わると、シルヴィアが立ち上がった。


「私はこれで失礼するわ」彼女は言った。「あまり長く姿を消していると、怪しまれるから」


「ありがとう、シルヴィア」俺は心から言った。「今日は助けてくれて」


「お礼はいいわ」彼女は軽く手を振った。「同盟関係でしょう?」


彼女が去った後、エリナは素直に言った。


「彼女、見直したわ。本当に助けてくれたもの」


「ああ」俺も同意した。「シルヴィアは複雑だが、敵ではなさそうだ」


「とはいえ」館長が注意を促した。「完全な信頼はまだ早い。彼女の立場は複雑だからね」


「分かっています」俺は頷いた。


エリナは俺の左手をもう一度確認した。


「痣は元に戻ったけど、まだ少し熱いわね」彼女は心配そうに言った。


「大丈夫」俺は彼女を安心させようとした。「少し休めば治るよ」


しかし内心では、今日の事故が何を意味するのか不安だった。古代魔法の力は予想以上に強大で、制御が難しい。そして、この失敗が俺の学院での立場をさらに複雑にするだろう。


窓の外を見ると、夕暮れが近づいていた。一日の残りの時間で、マーカス教授を訪ね、助言を求めなければならない。そして明日から始まる新たな試練に備えなければ。


魔力暴走の代償は、予想以上に大きいかもしれない。

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