## 【決意の時】選択は未来を変える

日曜の午後、俺とシルヴィアは茶館から離れた小さな丘の上で待ち合わせていた。この場所は町の外れにあり、人目につきにくい。一週間前の三者会談からの約束通り、シルヴィアに古代魔法の基礎を教える時間だ。


エリナは今日、家族の用事で故郷に戻っていた。彼女は俺だけでシルヴィアと会うことを快く思っていなかったが、やむを得ない状況だった。


「遅れてごめんなさい」


丘を上ってくるシルヴィアの姿が見えた。今日も彼女は目立たない市民の服装をしていた。銀白色の長い髪は帽子の下に隠され、紫紺の瞳だけが彼女の特徴を残していた。


「大丈夫」俺は軽く手を振った。「今来たところだ」


「ここなら誰にも見られないわね」彼女は周囲を見回した。丘の上からは王立魔術学院と町の全景が一望できる。風が心地よく吹き、草の香りが漂う穏やかな午後だった。


「ええ、静かで良い場所だわ」シルヴィアは草地に腰を下ろした。「それで、今日は何を教えてくれるの?」


俺はマーカス教授とエリナのアドバイスを思い出した。基本的な情報は共有しても良いが、核心部分は明かさない。


「まずは古代魔法の基本理念から」俺は説明を始めた。「現代魔法との最大の違いは魔力の扱い方にある」


「どういうこと?」


「現代魔法は外部から魔力を取り込み、詠唱と魔法陣で形を与える」俺は手振りを交えて説明した。「一方、古代魔法は術者の内なる魔力と外界の魔力を共鳴させ、意思と感情で形を与える」


シルヴィアは熱心にメモを取りながら聞いていた。その集中力は研究者としての一面を表している。


「魔力共鳴…」彼女は呟いた。「祖父のノートにも似たような記述があったわ」


「そう」俺は頷いた。「その違いが効率性の差を生む。古代魔法は少ない魔力でより大きな効果を発揮できる」


「それで、具体的にはどうやって魔力を共鳴させるの?」彼女の紫紺の瞳が好奇心で輝いていた。


俺は基本的な瞑想法と、魔力感知の技術を教えた。マーカス教授から学んだ内容の一部だ。シルヴィアは驚くほど素早く概念を理解し、実践に移した。


「目を閉じて、内なる魔力の流れを感じてごらん」俺は指示した。「それから、周囲の魔力との繋がりを意識する」


シルヴィアは目を閉じ、深く呼吸した。彼女の姿勢は完璧で、すぐに瞑想状態に入ったようだった。


「何か感じる?」しばらくして俺は尋ねた。


「かすかに…」彼女の声は遠くから聞こえるようだった。「魔力の流れが見える気がする…」


驚いたことに、彼女の周りに微かな魔力の波動が現れた。古代魔法の適性があるのかもしれない。


「驚くべき才能だな」俺は素直に感心した。「多くの人は最初の試みでは何も感じない」


シルヴィアは目を開け、少し息を切らせながら微笑んだ。


「祖父から受け継いだのかもしれないわね」彼女は少し誇らしげに言った。「彼も古代魔法の研究に生涯を捧げたから」


「実際に魔法を使えるかどうかは別問題だけどね」俺は現実的に言った。「感知できても、制御できるとは限らない」


「もちろん」彼女は理解を示した。「でも、これは始まりよね」


この後、俺たちは古代魔法の基本理論についてさらに深く話し合った。元素の性質、感情との関連性、詠唱の重要性などについて。シルヴィアは優れた質問を投げかけ、俺も答えながら理解を深めていった。


「古代語の発音も重要なのね」彼女はノートに書き留めながら言った。


「ああ、古代魔法では言霊—言葉そのものに力がある」俺は説明した。「単なる音の羅列ではなく、魔力を導く道標なんだ」


「あなたはどうやって古代語を学んだの?」彼女が鋭く質問した。


用心しなければ。


「図書館で見つけた古い辞典と文法書を使ったんだ」俺は事前に用意していた答えを口にした。「魔法理論が得意だった俺には、言語の体系を理解するのはそれほど難しくなかった」


これは半分は真実だ。図書館で実際に古代語の資料を調べたことはある。ただ、俺には自然に理解できるのだが。


「そう…」シルヴィアは少し疑わしげな表情を見せたが、深く追及はしなかった。「でも、その才能は驚くべきものね」


話題を変えよう。


「それより、君は何か進展があった?」俺は尋ねた。「『黒翼の結社』について」


シルヴィアの表情が引き締まった。


「ええ」彼女は周囲を確認してから、小声で言った。「彼らの活動が活発になっているわ。特に、最近は天脈山脈の方で何か探しているみたい」


「天脈山脈…星の都があるところか」


「そう」彼女は頷いた。「どうやら彼らは『星の間』と呼ばれる場所を探しているようなの。古代魔法の秘密が眠っているとされる神殿よ」


俺の背筋に冷たいものが走った。マーカス教授の言葉、そして夢の中の警告と一致している。


「それだけじゃないわ」シルヴィアは更に声を潜めた。「ヴィクターの叔父—アーサー・ノイマンが学院に来ていたの。ヴィクターとの秘密の会合のためにね」


「ヴィクターと?」俺は驚いた。「彼も『黒翼の結社』と繋がっているのか?」


「それは分からないわ」彼女は首を振った。「でも、彼の叔父が彼に何かを依頼したのは確かよ。おそらく…あなたの監視」


これは予想外だった。ヴィクターが単なるライバルではなく、結社の協力者かもしれないなんて。


「どうやってそれを知った?」俺は慎重に尋ねた。


「彼らの近くにいる時間が長いからよ」彼女は悲しげに言った。「政略結婚の"利点"ね。誰も婚約者に警戒しないから、多くのことが耳に入るわ」


シルヴィアの立場は複雑だ。彼女は自分の家族、婚約者の家族、そして私たちの間で綱渡りをしている。一方で、彼女の情報源へのアクセスは貴重だ。


「今後どうなると思う?」俺は彼女の見解を求めた。


「彼らは急いでいるわ」シルヴィアは真剣な表情で言った。「何か大きなことを計画しているみたい。特に…」


彼女は言葉を選ぶように一瞬躊躇った。


「彼らは『星の継承者』を探しているわ。そして、学院内にいる可能性が高いと見ているようなの」


俺の心拍数が上がった。彼らは俺を探しているのだ。左手の痣が布の下で熱を持ったように感じた。


「あなたを守る必要があるわ」シルヴィアが突然言った。


「何?」俺は驚いて彼女を見た。


「あなたが『星の継承者』ね?」彼女はまっすぐに俺を見つめた。「左手の痣…古代語を読める能力…そして急激に高まった魔法の才能。すべて繋がるわ」


否定すべきか?それとも認めるべきか?シルヴィアは既に多くを知っているようだ。


「なぜそう思う?」俺は直接的な回答を避けた。


「祖父の研究よ」彼女の瞳に熱が宿った。「彼は星の継承者の特徴について詳しく記していたわ。そして、あなたはまさにその特徴を持っている」


沈黙が二人の間に落ちた。丘の上の風だけが、草を揺らす音を立てていた。


「もし私が正しいなら」シルヴィアは続けた。「あなたは大きな危険にさらされているわ。『黒翼の結社』はあなたを手に入れたがっている。利用するか、排除するかのどちらかよ」


「それなら、なぜ君は俺に協力するんだ?」俺は彼女の目を見つめ返した。「彼らの側につけば、より安全じゃないのか?」


シルヴィアは少し傷ついたような表情を見せた。


「私を彼らの一味だと思っているの?」


「証明してほしい」俺は率直に言った。「君が本当に味方だと」


シルヴィアは長い間黙っていた。彼女の紫紺の瞳には複雑な感情が交錯していた。最終的に、彼女は決心したように話し始めた。


「私の母は『黒翼の結社』によって殺された」彼女の声は静かだったが、強い感情が滲んでいた。「母も古代魔法の研究者だったの。彼女は結社の目的に反対し、危険な知識の一部を隠した。それが彼女の命取りになった」


シルヴィアの瞳に涙が浮かんだ。


「私が7歳の時、彼らは『事故』を装って母を殺したわ。祖父も同じ運命を辿った。そして今、私の父は彼らの圧力に屈して協力している」


彼女の声は震えていた。


「だから私はあなたを助けたいの。あなたの両親も同じ運命を辿ったかもしれない。そして…古代魔法を正しく理解し、使うことで、彼らの野望を阻止したいの」


俺は黙って彼女の話を聞いていた。彼女の言葉には真実味がある。感情は偽りようがない。


「分かった」俺は最終的に言った。「君を信じよう」


シルヴィアの表情に安堵の色が広がった。


「でも」俺は続けた。「完全な信頼を得るには、まだ時間がかかる」


「もちろん」彼女は頷いた。「信頼は一日では築けないわ」


俺たちは協力関係を強化することで合意した。シルヴィアは結社の動きについての情報を集め、俺は彼女に古代魔法の基礎を教える。互いの利益になる取引だ。


「それから、エリナのことも」俺は付け加えた。「彼女は俺の大切なパートナーだ。君たち二人が協力し合えれば、もっと強力な同盟になる」


シルヴィアは少し躊躇ったが、最終的に同意した。


「努力するわ」彼女は約束した。「彼女の能力は認めているし、研究者としても尊敬している」


日が傾き始め、夕暮れが近づいていた。俺たちは今日の会合を終える必要があった。


「次はいつ会う?」シルヴィアが尋ねた。


「エリナが戻ったら、三人で会おう」俺は言った。「それまでは普段通り、学院では接触しないほうがいい」


「分かったわ」彼女は立ち上がり、草から埃を払った。「気をつけて。特にヴィクターには」


「君も」俺も立ち上がった。「難しい立場だと思うが…」


「慣れてるわ」彼女は苦笑した。「二重生活は私の日常よ」


別れ際、シルヴィアは突然、俺の手を取った。彼女の手は驚くほど温かい。


「約束して」彼女は真剣な眼差しで言った。「もし何か危険が迫ったら、一人で抱え込まないで。私たちを頼って」


「約束する」俺は頷いた。「一人では戦わない」


彼女は満足したように微笑み、手を離した。そして丘を下りていった。銀髪が夕日に照らされて輝いている。


俺は彼女の姿が見えなくなるまで見送った後、空を見上げた。雲一つない青空には、既に最初の星が輝き始めていた。


「友を選べ」夢の中の声が思い出される。


選択は未来を変える。今日、俺はシルヴィアを信じる選択をした。それが正しい選択かどうかは、時間が教えてくれるだろう。


男子寮に戻る途中、俺はエリナに手紙を書くことにした。今日の出来事と、シルヴィアとの新たな関係について。エリナには秘密にせず、すべてを共有したい。彼女は俺の最も信頼できるパートナーであり、この複雑な状況を一緒に解決してくれる存在だ。


「俺たちの調査は新たな段階に入る」


手紙の最後にそう記した。両親の研究、古代魔法の秘密、そして「黒翼の結社」への対抗—すべてが繋がり始めている。


時は来た。俺は単なる落第魔術師ではない。星の継承者として、古代の力と知恵を現代に甦らせる使命がある。どんな困難が待ち受けていようと、もう後戻りはできない。


選択は既に行われ、未来への道が開かれたのだから。

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