## 【落第回避のチャンス】最後の藁をも掴む最弱の俺

「グレイソン、ちょっといいか」


次の日の授業終了後、教壇からマグナス教授が声をかけてきた。魔術理論Ⅲの教授で、数少ない俺に好意的な教師の一人だ。他の学生たちが教室を出て行く中、俺は緊張しながら教授の元へ向かった。


「何でしょうか、教授」


マグナス教授は鷲のような鋭い目を持つ老教授だが、魔法理論の教壇に立つと目が輝く熱心な教育者だ。彼は俺の筆記試験の答案用紙を手に持っていた。


「君の最新の理論試験の答案だが」教授は眼鏡の奥の目を細めた。「また満点だ。特に古代魔法理論と現代魔術の比較考察は、かなり深い洞察力を感じる」


「ありがとうございます」俺は少し顔を赤らめた。理論に関する褒め言葉は、数少ない救いだった。


「だが、実技がな……」


教授の言葉に俺の肩が落ちる。そう、それが全ての問題だった。


「教授、どうすれば改善できるでしょうか?どんなに理論を学んでも、実際に魔法が使えなければ…」


「そうだな」教授は眉を寄せて考え込む。「昨日のゼイガー教授からの報告も聞いた。状況は厳しいようだな」


俺は黙って頷いた。逃げ場はない。現実を直視するしかない。


「教授会議でも君の件が議題に上がっている。君の理論知識と実技能力のあまりの乖離に、多くの教授が困惑しているんだ」


「落第…確定なんですか?」


声が震える。学院を追われれば、戻る場所はない。伯父の家では厄介者扱いだし、奨学金も打ち切られる。何より、魔法への夢も終わりを告げる。


マグナス教授は深いため息をついた。


「実は、君にラストチャンスを与えようという話になっている。ゼイガー教授は反対だったが、私とマーカス教授が推したんだ」


「本当ですか!?」思わず声が大きくなる。


「ただし、条件付きだ」マグナス教授は厳しい表情に戻った。「二週間後の中間実技試験で、最低でもD評価を取らなければならない。それができなければ、即座に退学処分となる」


D評価——最低ラインだが、今の俺にとっては遠い星のようだ。今までのF評価からジャンプアップするには、何か劇的な変化が必要だ。


「さらに」教授は続けた。「特別課題として、古代魔法と現代魔法の比較研究レポートを提出してもらう。君の理論的強みを活かして、何か新しい視点を見せてほしい」


「古代魔法と現代魔法の比較…」


それは興味深いテーマだった。古代アストラリス文明の魔法体系は、現代のものとは根本的に異なる。直感的で感情に依存し、詠唱より意志を重視する古代魔法は謎が多い。


「図書館に行くといい。オルドリッチ館長に言っておく。特別に古代魔法の参考資料を閲覧できるよう手配しておこう」


「ありがとうございます、教授!」心からの感謝の言葉が口から溢れた。


「期待しているぞ、グレイソン」教授は微笑んだ。「理論的には君ほどの才能を持つ学生は珍しい。それを実技にも活かせる方法があるはずだ」


教室を出た後、俺は廊下の窓際に立ち、校庭を見下ろした。二週間——それが俺に残された時間だ。実技のD評価と特別レポート、どちらも簡単ではない。だが、これが最後のチャンスなら、全力で掴み取るしかない。


「やるしかないよな…」


その日の午後、俺は軽い食事を済ませると、すぐに図書館へ向かった。王立魔術学院の図書館は、学院の北館に位置する荘厳な建物だ。高さ三階分ある書架が整然と並び、天井からは魔力で浮かぶ光球が柔らかな光を放っている。


入口の大きな木製扉を開けると、カウンターに座るオルドリッチ図書館長の姿が見えた。白髪と灰色のひげを整えた温厚な顔立ちの老人だが、その瞳の奥には深い知性が光っている。


「やあ、レイン・グレイソン君」


館長は俺の姿を見るなり、微笑みながら声をかけてきた。まるで待っていたかのようだ。


「こんにちは、オルドリッチ館長」俺は丁寧に挨拶した。「マグナス教授から連絡があったと思うのですが…」


「ああ、もちろん」館長はゆっくりと立ち上がり、カウンターから出てきた。「古代魔法の資料だね。特別に閲覧許可を出しておいたよ」


「ありがとうございます」


「ついておいで」


オルドリッチ館長は、細い杖を手に、図書館の奥へと歩き始めた。通常の学生が利用する区画を過ぎ、研究者専用の区画も通り抜ける。さらに奥へと進むと、薄暗い廊下に出た。


「普段は学生が立ち入れない区域だ」館長が説明する。「だが今日は特別だ。君の研究のために、いくつかの資料を用意しておいた」


廊下の突き当たりにある小さな扉の前で、館長は立ち止まった。杖の先から淡い青い光が放たれ、扉に触れる。カチリという小さな音とともに、扉の鍵が開いた。


「ここが…」


「第三書庫。古代魔法関連の貴重書を保管している場所だ」館長は扉を開けながら言った。「通常は教授陣と特別許可を得た研究者しか入れない」


中に入ると、意外と広い空間が広がっていた。整然と並ぶ書架には、古びた革表紙の本や巻物が並んでいる。空気は乾燥していて、かすかに古書の香りがした。


「二時間だけ滞在を許可しよう」館長は柔らかく言った。「必要な資料は、あの中央の机に置いておいた。持ち出しは厳禁だが、メモは取ってもかまわない」


「ありがとうございます、館長」俺は頭を下げた。「大変助かります」


「君の研究に役立つといいね」オルドリッチ館長は微笑んだ。「二時間後に戻ってくるよ。それまでごゆっくり」


館長が部屋を出て行くと、俺は中央の大きな木製の机に向かった。そこには、確かに数冊の本と古い巻物が積み上げられていた。一番上の本は『アストラリス古代魔法概論』と題された、比較的新しい研究書だった。


「よし、頑張るぞ」


俺は席に着き、早速本を開いた。内容は難解だったが、魔法理論を得意とする俺には十分理解できた。古代魔法の基本原理、現代魔法との相違点、失われた技術についての考察…。どれも興味深い内容だ。


メモを取りながら読み進めていくうちに、俺はますます古代魔法の独自性に魅了されていった。現代魔法が詠唱と魔法陣を重視するのに対し、古代魔法は術者の意思と感情、そして魔力との共鳴を重視する。効率も全く異なるらしい。


「魔力共鳴…か」


俺は思わず呟いた。これは現代魔法理論では軽視されている概念だ。魔力を外部から取り込むのではなく、術者の内なる魔力と外界の魔力を共鳴させる…。この違いが俺にとって重要な意味を持つかもしれない。


一冊目を読み終え、次の本『失われた詠唱—古代語の力』に手を伸ばした。こちらはさらに専門的で、古代アストラリス語の音韻と魔力の関係について詳述されていた。


時間が経つのも忘れて読み続けていると、突然、背後の書架から小さな音がした。振り返ると、何かが床に落ちたようだ。


「誰かいるのかな…」


俺は立ち上がり、音のした方へ歩いていった。薄暗い書架の間を進むと、床に一冊の本が落ちているのが見えた。


「これは…」


かなり古い本で、表紙には擦れて読みづらくなった古代文字が刻まれている。手に取ると、不思議と温かみを感じた。まるで生き物のように、かすかに脈動しているようだ。


「変な本だな…」


表紙を開くと、そこには俺が見たこともない複雑な古代文字が並んでいた。しかし不思議なことに、その意味が頭に浮かんでくる。


『星の継承者へ—古の魔法の真髄』


「俺に…読めるのか?」


これは通常ありえないことだった。古代アストラリス語は、現代でも完全に解読されていない言語だ。専門の学者でさえ、断片的にしか理解できない。なのに俺には、まるで母国語のように自然に意味が伝わってくる。


心臓が早鐘を打つのを感じながら、俺はさらにページをめくった。そこには魔法陣ではなく、星形の幾何学的な図形と、流れるような古代文字が記されていた。


それは古代魔法の本だった—触れることすら禁じられているはずの、本物の古代魔法書。


「これは…持ち帰るべきじゃない」


俺は理性でそう思いながらも、本能的にこの本を手放したくないという強い衝動に駆られていた。この本には、何か特別なものがある。俺に呼びかけているような…。


時計を見ると、オルドリッチ館長が戻ってくる時間まであと15分だ。迷った末、俺は決断した。この本について館長に尋ねてみよう。なぜこの本が落ちていたのか、そしてなぜ俺にだけ読めるのか。


重要な発見かもしれない—そう思いながら、俺は再び中央の机に戻った。

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