悪女になると知っている
白崎まこと
第1話
輝く銀の髪に赤い瞳。その美しさで男を惑わす稀代の悪女。
自分の思い通りにならない世界など必要ないと、召喚した悪魔の力で崩壊させようとして聖女たちに倒される運命。
傲慢で醜悪な公爵令嬢アシュリーはラスボス悪女である。
***
(うそでしょ……ここってあの小説の世界じゃない)
目の前で癇癪を起こしてメイドに茶器を投げつけている銀髪赤目の美少女────公爵令嬢アシュリーにドン引きしながらナタリアは前世を思い出していた。
ここは前世で読んでいた小説の世界に間違いない。
確信したところでナタリアは自分の立ち位置を確認する。
ふんわりとした栗色の髪にわりと可愛らしい容姿をした伯爵令嬢ナタリア。
うん、死ぬ運命であるモブ令嬢だ。
ナタリアの前世は田舎に住む不良少女だった。
悪事を働くのは日常茶飯事。
田中さんちのじいさんから盗んだトラクターで爆走し、
「はっ、こんなボロいトラクターなんざ完全に壊れるまでアタシが乗り回してやんよ!」
と言いながら時速30キロで農道を駆け抜けたこともある。
壊れる前に田中さんちのじいさんに取り返されたが謝罪は一切せず『たまに制御不能になるようなボロを乗り続けてんじゃねぇよクソジジイ』と吐き捨てた。
田中さんちのじいさんが飼っていた烏骨鶏を数羽盗んだこともある。
「あのジジイまともに育てられないくせに何でもかんでも飼いやがって」
と愚痴を溢しながら悪い笑みを浮かべ、家畜入門書片手に烏骨鶏をこれでもかと可愛がってやった。
週一で産むらしい卵が楽しみだ。烏骨鶏卵の高級とろけるプリンを作って同じクラスの隣の席の男子にごちそうしてやろう。
彼はとろけるプリンが大好きだから。
しかし卵をお目にかかる前に田中さんちのじいさんに奪い返された。その後まともに育ててもらえなかった烏骨鶏たちが天寿を全うできなかったことは一生恨み続けている。
高校には週に三日ほどしか登校せず留年寸前。
たまに登校すれば隣の席のサッカー少年にちょっかいばかりをかけていた。
「西条なに読んでんの?」
「北大路から布教された小説だけど」
「へー……面白そうじゃん、貸しな」
そう言ってサッカー少年から無理やり何かを取り上げたことは数えきれないほど。
「俺まだ途中までしか読んでないんだけど」
「ケチ臭いこと言うなって。先に読んで感想を聞かせてやんよ」
「絶対やめろよな」
サッカー少年との何気ないやり取りはいつも楽しかった。
その日の夜は夢中で小説を読んだ。
彼はまだ途中までしか読んでいないと言っていた。こんなに面白いものを途中までしか読んでいない状態で取り上げてしまったことを悔やんだ。
「……ふん、次に学校に行く時はガトーショコラでも持ってってやるか」
どれだけ意地悪をしても後から詫びを渡せば、サッカー少年はいつも機嫌よく受け取ってくれるのだ。
そして三日後の放課後。
部活中の彼に渡そうと小説とガトーショコラを入れた手提げカバンを持って通学路である農道を登校中、後ろから聞こえてきた轟音に振り向いた。
黒い煙と赤い車体が目に入ったところで、ナタリアの前世であった不良少女はその生涯を終えた。
***
さて、前世を思いだしたところでナタリアは考えた。
現在の彼女は十歳。
目の前でわめき散らしている同い年の少女は公爵令嬢アシュリー。
彼女は将来闇落ちして悪魔と契約してこの世界を滅ぼそうとし、ナタリアはそのとばっちりで死亡する運命。
冗談じゃない。
小説では主人公である聖女が、王子、宰相令息、騎士団長令息、魔術師団長令息と共に戦い、アシュリーを討ち取ってハッピーエンドを迎える。
ナタリアにとっては全くハッピーではない。自分が死んだ後にハッピーになられても胸くそ悪いだけだ。
(今から性格を矯正すればまだ……間に合う……?)
目の前でメイドにクビを言いつけているアシュリーを見ながらナタリアは思案する。
小説でのアシュリーは幼少期からすでに我が儘で傲慢でどうしようもなく自分勝手な性格だった。
目の前のアシュリーも今までに何人もの使用人を罵り踏みつけ辞めさせている。
記憶が戻る前のナタリアが『さすがに可哀想では……』と止めたことがあるが、『可哀想というのは不快にさせられたわたくしのことよね? 違った? 違うなら……あなたのお家、どうなるかしらね、ふふ』と脅しを受けた。
当時のアシュリーは七歳。
七歳にしてすでに悪女完成形だった。手遅れである。
ナタリアは諦めた。
諦めて好きに生きてやろう。
さっそく両親にアシュリーとはもう関わりたくないと頼んだが却下された。
公爵家の派閥に属しているからだ。父にはアシュリーと仲良くできないのならこの家から出ていけとまで言われてしまう。
クソ親父め。
ムカついたナタリアはストレス発散のために家のお金をくすねてやった。
前世で不良少女だった彼女には家のお金を盗むなど朝飯前だ。
それを使ってこの国では馴染みのない野菜の種や果物の苗を他国から仕入れた。
前世の記憶があるナタリアにとっては馴染みがあるものばかりで空き地で育てた経験済みだ。
おいしく調理する方法も知っている。
伯爵家は交易の発展を見越して近い将来高く売れるであろう土地をいくつも所有していたので、その中の一つに勝手に菜園を作ってやった。
広大な土地だ。さすがに手が足りないのでそこらをうろついていた浮浪者を無理やり従業員にして働かせた。もちろんお給金はしっかり払う。伯爵家からくすねたお金から。
アシュリーとの交流を断つことはできなかったので、ストレスがたまった時は素性を隠して孤児院の子供たちと全力で遊んだ。
菜園で採れた果物を使って子供たちと一緒にスイーツを作り、孤児院の経営者名義で開いた店で販売してぼろ儲けした。
もちろん儲けは孤児院と山分けだ。
伯爵家が所有する土地は山ほどあるので、別の土地では前世での心残りであった烏骨鶏をたくさん飼うことにした。
今度こそ最後まで可愛がってみせる。
手が足りないのでそこらをうろついていた浮浪者を従業員にして働かせた。もちろんお給金はしっかり払う。
前世の世界とは違いこの世界の烏骨鶏は卵をよく産んだ。さすが異世界。
それを使って夢にまで見た高級とろけるプリンを作った。
前世で何度も試行錯誤を繰り返し、生クリームと牛乳を絶妙に配合させたとろけるプリンだ。
孤児院の経営者名義でオープンさせた店で販売してぼろ儲けした。
もちろん儲けは孤児院と山分けだ。
家に内緒で稼ぎまくったナタリアは、いつ勘当されても大丈夫なほどの財産を得た。
アシュリーが闇落ちしそうになったらすぐにとんずらする準備はばっちりだ。
十五歳になったナタリアは王立高等学園に入学した。
前世で読んだ小説の物語は主人公がこの学園に入学するところから始まる。
ナタリアは小説と同じように学園内ではアシュリーの取り巻き令嬢をしている。
学園ではアシュリーに従順な取り巻きを演じて、放課後や休日は白いふわふわ烏骨鶏を愛でたり、お金をがっぽがっぽ稼いだり、過剰に収穫できた野菜を使って貧民街で炊き出しをしたり、子供たちと遊んだりした。
ふんわりとした栗色の髪をお下げにして眼鏡をかけ素朴なワンピースを着ていれば、誰も彼女が貴族令嬢だと気づかない。
このままアシュリーが乱心しなければ今の楽しい生活が続けられるが、アシュリーの性格は腐ったままなので無理だろう。
小説ではアシュリーが闇落ちするのは十七歳になってから。
闇落ちの原因となる田舎令嬢は他のクラスに在籍しているためまだ面識はないが、アシュリーが田舎令嬢に意地悪し始めたらすぐにとんずらする予定だ。
そして月日は流れて十七歳になり、運命の日が近づいてきた。
ナタリアはいつでもとんずらできるため心に余裕があるが、何だかんだで充実していて楽しいこの生活が終わってしまうのは寂しく感じていた。
「さぁ、今日は何をして遊びましょうか」
孤児院の庭で子供たちと遊んでいると、ふと帽子を被った顔見知りの少年がこちらに手を振っているのが目に入った。
素性は知らないが同い年の少年だ。
「……あの人また来たのね。どうせお菓子目当てでしょうけど」
呆れたような口調とは裏腹にその口元は嬉しそうに緩んでいる。
今日はちょうど少年の大好物である烏骨鶏卵のとろけるプリンがある。仕方ないからご馳走してあげよう。
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