2025年9月15日 21:49 編集済
エピローグへの応援コメント
ほぼ政治的コミュニケーション特化で独特の読み味でしたが、そのある種のリアルさが楽しかったですこの作品は、神秘やその関係者が法やディストピア的な組織に強く束縛されてるという、英雄物語とはほとんど真逆のストーリーでもありますねけれど逆に、強大な魔術や異能といった超常が本格的にからんでくるとなると、そういった政治的・社会的なしがらみといった「たらいの産湯」は秩序や人間社会といった「同じたらいの赤子」と一緒に吹き飛んでしまいかねないのですよね……しがらみや談合やいびつなディストピアの存在は、人間による秩序が成り立っていることの裏面でもあるわけです伝奇系の作品では(社会が完全に崩壊してなければ)わりと出てくる要素ではありますが、それがここまで本格的に出てくるのは初めて読みましたSF作品で言うところの、『パトレイバー』シリーズや中平正彦先生の『破壊魔定光』のような作風ですね他にも「法や秩序が神秘に優越するなら(させるなら)創造神に会ったら製造物責任法を問うべきか」と、ドストエフスキーの「大審問官」の話のようなことを考えされました書籍版も読んでみようと思いますそういえば、作中では日本が舞台なのに仏教系世界観にはあまり触れられていませんでしたが、これはそもそも仏教が、意識の連続性を認めていない(あるいはそれは一種の汚れ=カルマ・因業や妄執に過ぎないとする)姿勢が基本だったりするせいなのでしょうか?「行く川の流れは絶えずして」や「同じ川に二度足を踏み入れることは出来ない」的な無常観の話でもありますねあるいは、平野啓一郎先生の「分人主義」や上遠野浩平先生の『ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』などの視点からスワンプマンを見るとどう見えるのか、それを考えてみたくもなりましたこちらは、極端に突き詰めると社会性昆虫や集合精神または単に、全体主義になりかねない方向性でもありますがいや、その伝で言えば我々には(意思疎通手段がなくて)確認出来ていないだけで、抜け毛とか新陳代謝で廃棄されていく細胞にも「それ自体の意識」があり唯一無二の個我が存在する可能性も……今度は田中ロミオ先生の『人類は衰退しました』などの方向性になりますねまあ、他にも中動態やヨースタイン・ゴルデル先生『ソフィーの世界』草野原々先生『地球最後のアイドル』レヴィナスやケア社会論、アリュージョニストなど、話を広げていくときりがないのでこのへんにしておきますが、西洋近代的な個人や自我は近年かなり疑惑の対象なのですよねビルドゥングスロマンから夏目漱石先生の作品あたりはまだしも、その極端な形である自己責任論は就職氷河期や障害の社会モデルによって否定されがちですし、オリエンタリズム批判や多様性論などでは、西洋白人男性マジョリティの支配のために流布されてきた欺瞞的な社会秩序の一部として(左派やリベラル勢力からは)片付けられがちな概念のようなのですまあそれはそれとして、沼雄(仮)の正体や組織との決着がまだ分からないのは残念ですが、この作品の思考実験と伝奇系とジュブナイルと政治的コミュニケーションの融合は、独特な感じで面白かったです後半になるにつれ、それら全てが魅力を増していったように思います思索の必要性や社会的なグレーゾーンこそがそれらの共通点であり石鹸的な中和剤なのでしょうが……しかしそれが深みやたのしさを生み出す長所であると同時に、作品の間口を狭くしたり、おそらく単純だったり「主体」が賛美される英雄物語を好む人にはミスマッチとなる短所ともなってしまうのでしょうねなんというか、こだわりのある喫茶店のようなポジションだと思います可能であれば、この持ち味を活かしつつどうにか短所だけなくしていくべきなのでしょう理想としてはそれこそ、『パトレイバー』や『新世紀エヴァンゲリオン』藤子F不二雄先生の『ドラえもん』や、ろくごまるに先生の『封仙娘娘追放録』あたりでしょうか……思えば、「間口」の方向性というのも色々ありますねそれでは、この辺りで失礼いたしますご縁があればまたいつか!
2025年9月14日 08:28
第三章 独り立ち、あるいは切り離し④への応援コメント
七瀬さんの指摘は、まさに正鵠を射ている感じですねそして、人に悪意を抱かないというのは悪意を持った他人の思考を想像することも出来ないということであり、インチキや不法行為といった犯罪系の手法にも適応しづらいということでもあるのでしょうまたこれは、朴念仁問題の根源の一つでもありそうですね……長所と短所は裏表と言いますが、これかなり致命的なのでは?
2025年9月13日 22:54 編集済
第二章 取引③への応援コメント
同じ五里霧中な状況でも恋愛系の要素が入ってくると、格段に面白くなるように思います椎名さんはなかなか魅力的ですねそれはそれとして、この最後の嘘発見器をめぐる条件は、もしかしなくてもそういうことなのでしょうか……?
編集済
エピローグへの応援コメント
ほぼ政治的コミュニケーション特化で独特の読み味でしたが、そのある種のリアルさが楽しかったです
この作品は、神秘やその関係者が法やディストピア的な組織に強く束縛されてるという、英雄物語とはほとんど真逆のストーリーでもありますね
けれど逆に、強大な魔術や異能といった超常が本格的にからんでくるとなると、そういった政治的・社会的なしがらみといった「たらいの産湯」は秩序や人間社会といった「同じたらいの赤子」と一緒に吹き飛んでしまいかねないのですよね……しがらみや談合やいびつなディストピアの存在は、人間による秩序が成り立っていることの裏面でもあるわけです
伝奇系の作品では(社会が完全に崩壊してなければ)わりと出てくる要素ではありますが、それがここまで本格的に出てくるのは初めて読みました
SF作品で言うところの、『パトレイバー』シリーズや中平正彦先生の『破壊魔定光』のような作風ですね
他にも「法や秩序が神秘に優越するなら(させるなら)創造神に会ったら製造物責任法を問うべきか」と、ドストエフスキーの「大審問官」の話のようなことを考えされました
書籍版も読んでみようと思います
そういえば、作中では日本が舞台なのに仏教系世界観にはあまり触れられていませんでしたが、これはそもそも仏教が、意識の連続性を認めていない(あるいはそれは一種の汚れ=カルマ・因業や妄執に過ぎないとする)姿勢が基本だったりするせいなのでしょうか?
「行く川の流れは絶えずして」や「同じ川に二度足を踏み入れることは出来ない」的な無常観の話でもありますね
あるいは、平野啓一郎先生の「分人主義」や上遠野浩平先生の『ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』などの視点からスワンプマンを見るとどう見えるのか、それを考えてみたくもなりました
こちらは、極端に突き詰めると社会性昆虫や集合精神または単に、全体主義になりかねない方向性でもありますが
いや、その伝で言えば我々には(意思疎通手段がなくて)確認出来ていないだけで、抜け毛とか新陳代謝で廃棄されていく細胞にも「それ自体の意識」があり唯一無二の個我が存在する可能性も……今度は田中ロミオ先生の『人類は衰退しました』などの方向性になりますね
まあ、他にも中動態やヨースタイン・ゴルデル先生『ソフィーの世界』草野原々先生『地球最後のアイドル』レヴィナスやケア社会論、アリュージョニストなど、話を広げていくときりがないのでこのへんにしておきますが、西洋近代的な個人や自我は近年かなり疑惑の対象なのですよね
ビルドゥングスロマンから夏目漱石先生の作品あたりはまだしも、その極端な形である自己責任論は就職氷河期や障害の社会モデルによって否定されがちですし、オリエンタリズム批判や多様性論などでは、西洋白人男性マジョリティの支配のために流布されてきた欺瞞的な社会秩序の一部として(左派やリベラル勢力からは)片付けられがちな概念のようなのです
まあそれはそれとして、沼雄(仮)の正体や組織との決着がまだ分からないのは残念ですが、この作品の思考実験と伝奇系とジュブナイルと政治的コミュニケーションの融合は、独特な感じで面白かったです
後半になるにつれ、それら全てが魅力を増していったように思います
思索の必要性や社会的なグレーゾーンこそがそれらの共通点であり石鹸的な中和剤なのでしょうが……しかしそれが深みやたのしさを生み出す長所であると同時に、作品の間口を狭くしたり、おそらく単純だったり「主体」が賛美される英雄物語を好む人にはミスマッチとなる短所ともなってしまうのでしょうね
なんというか、こだわりのある喫茶店のようなポジションだと思います
可能であれば、この持ち味を活かしつつどうにか短所だけなくしていくべきなのでしょう
理想としてはそれこそ、『パトレイバー』や『新世紀エヴァンゲリオン』藤子F不二雄先生の『ドラえもん』や、ろくごまるに先生の『封仙娘娘追放録』あたりでしょうか
……思えば、「間口」の方向性というのも色々ありますね
それでは、この辺りで失礼いたします
ご縁があればまたいつか!