九頭馬

深川夏眠

九頭馬(きゅうとうま)


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。朝食の後、お茶を啜りながら祖父が言った。

「9歳のときから9年毎に同じ夢を見る。目が覚めて、ああ、あれだったなぁと思って、指折り数えると前回から9年経っているといったところだ」

「じゃあ、次回はまた9年後、90歳で?」

「この先、生き長らえればね」

「大丈夫でしょ」

 祖父と母は和やかに言葉を交わしていたが、僕は何となく、その考えは当たらない気がした。

 間もなく命数が尽きるだなどと縁起の悪いことを考えたわけではない。誰かが天上で切り分けた運命のカードが適当な順番で祖父のもとに配られる、最後の一枚が今朝、舞い降りたに違いないと直感したのだ。要するに

「どんな夢なの?」

 妹が訊ねると、

「立派な青馬に乗っている。現実には乗馬なんて一度も経験がないのに。かけあしというのかね、軽快なリズムで、実にいい塩梅で。ちょっとお尻が痛くなるけれど」

「へえ、そういう感覚は夢の中でもあるんだ」

「おかしなもんだね」

 きゅうとうなる縁起物の概念がある。物事が思い通りに運ぶ「うまく行く」の当て字というか洒落で「うま」というのを九頭の馬に喩えた表現だ。九つの幸運の内訳は、愛情運、受験合格、家庭運、出世運、商売繁盛、勝負運、金運、健康運、豊漁豊作――とか。

 多分、一つ一つが九年周期で順番にもたらされて来ただろう。とはいえ、最後だけ意味がわからない。祖父の職歴と無関係だからだ。

 その後、僕は中途になっていた調べ物の続きに取りかかろうとして、祖父のスクラップブックを借りて古い新聞記事に目を通そうと思い立った。祖父の私室へ向かうと、パソコンのブラウザを開いたまま中座した様子で、本人はそこにいなかったが、モニタの中で何やらゲームが進行していた。

「ああ、これ……」

 祖父は仮想の世界で無人島を開拓し、畑を耕して実りを得、海で釣竿を振ったり網を投げたりして魚貝を捕らえていたのだった。

「楽しそうだなぁ」

 祖父は淡灰色の美しい馬に鞍を掛けて跨り、手綱を握って砂浜を漫歩していた。ややあって、画面越しに覗き込む僕に気づいたのか、片手を軽く振って合図を寄越した。あらゆる希望を叶えた、幸福な老翁の微笑みが眩しく目に沁みた。



                  【了】



*2025年3月書き下ろし。

by Midjourney⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/F0vq3Dog

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九頭馬 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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