あの夢を見たのは、これで9回目だった

青キング(Aoking)

あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 という一文で失踪した友人の書置きは始まっていた。

 後続にも長々と謝罪のような世上への恨みのような文言が書き連ねられているが、別段目を惹く内容ではなかった。

 それだけに出だしの一文が余計に際立って何かを訴えかけてくるのだ。


「兄さんの行方、わかりますか?」


 友人の妹である凛さんが艶やかで長い黒髪の下の腺病質そうな瞳に縋るような影を覗かせて尋ねてくる。

 僕は期待に沿えず首を横に振った。


「この書置きだけじゃ何もわからないよ。他には気になる物ないの?」

「ええと、あとは居なくなる前に読んでいた地図帳があるんですけど」

「それ見せて。ヒントがあるかもしれない」


 凛さんに頼んで地図帳を持ってきてもらい、友人が熱心に調べていたと思われるページを開いてみた。

 そのページはここから日本を縦断した日本海側の地域を載せていた。

 凛さんは地図帳を眺める僕の顔を窺う視線で覗いてくる。


「そこに兄がいるんでしょうか?」

「わからない。でも行ってみる価値はある」


 今のところ、友人の行方を示す手掛かりは意味深な出だしの書置きと地図帳で読み込まれていたページのみだ。

 行方不明という差し迫る状況の中、推理は移動しながら進めていくしかない。


「行こう、凛さん。僕の車乗って」

「は、はい」


 友人を最後に見た凛さんを連れて、僕は友人が地図帳で仕切りに開いていたらしき地域へ車を走らせた。



 凛さんと共に友人の行方を探すこと丸一日、

 奇しくも目撃情報が集まったのは、僕と友人と凛さんの故郷である海沿いの田舎町だった。

 顔見知りも多い町の住人からの目撃情報を頼りに友人の足取りを辿っていくと、九つ目の目撃情報でかつてクラスメイトの一人が自殺した荒れた海を見渡せる断崖に行き着いた。


「兄さんの行方はここで」

「そのようだね。まさか、自殺でもしようというんじゃ」


 縁起でもないが目の前の断崖が不吉な連想を起こさせる。

 もしもあの書置きが遺書の類だったのだとしたら、友人はここで……

 最悪な想像で頭が重くなる僕の視界の中で、凛さんが突然驚いたような顔で断崖の端にある車を指差した。


「あれ、見てください」


 凛さんに言われるがまま断崖の端にある車に目を凝らすと、そこには友人が乗用していたワインレッドのロードスターが運転手不在で停まっていた。

 凛さんと二人でロードスターに近づき、断崖を背後にボンネットを触る。


「まだ温かいね。まだ近くにい……」


 言葉の途中で不意に何かに付き押された。

 押された勢いでふらつき、身体が断崖の端から飛び出してしまう。

 身体を覆う宙を浮く感覚に襲われ、自分がこのまま崖下へ落下するのだと本能で知覚する。

 断崖から飛び出した僕の視界に、腕を突き出して顔を俯ける凛さんの姿が見えた。


 どうして凛さん――。


 走馬灯のような記憶の奔流が脳裏を流れ、死に赴く自由落下を止める術は僕にはなかった。


 

「これでよかったの、兄さん」


 背後から近づいてくる足音を聞いて、凛が断崖の先に広がる海を見つめながら尋ねた。

 よかったんだ、と足音の主である男は答えて凛の隣に立つ。

 男は凜のような黒髪を短くしたような髪型で、凛の華奢な身体を男性っぽく骨ばらせたような体格をしていた。

 兄さんと呼ばれた男は一仕事終えたように大きく息を吐いてから言葉を継ぐ。


「これでようやくあの夢から解放されるはずだ」

「もう兄さんがあの夢を見ることはなくなるのね」


 凛の喜色を滲ませた声に男は口の端を上げて笑う。


「被害者たちもこれで救われる。九回もの殺人事件の罪を逃れ続けたあいつへの復習は完了したんだ」


 崖下で命を落とした男と凛の兄は確かに友人だった。

 だがそれもこれまでに身辺で起こった九つの殺人事件の犯人だと気が付くまでの、限られた年月だった。

 殺人事件の犯人だと確信した時から、夢で訴えかけてくるようになった被害者たち。

 この被害者たちを救えるのは自分だけだと言うことも行動に踏み切らせた理由だった。

 兄は妹の寂しそうな横顔を見て問いかける。


「昔馴染を殺めてしまって、辛いかい?」

「あの人が私たちの親族や担任を殺した殺人犯じゃなければ、こんなことしなくて済んだのにね」

「不運の転落死としてあの世に送ってあげるのが、かつて友人だった俺なりの優しさだ」


 連続殺人犯として世の中から恐怖の目を向けられるよりも、よっぽど恵まれた死に方だろう。


「帰ろう。人に見られるとまずい」


 頷く妹を連れてロードスターは決別の断崖を後にしたのだった。

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