エスケープフロムゾンビ~七人の盾~

イータ・タウリ

第0話 国境線の死闘

 照りつける太陽が国境の大地を焼き、空気は熱を帯びて揺らめいていた。パーミリ都市連合国とロメロ南部連合の間に横たわる検問所は、いつもより混雑していた。


 カイル・ホーソンは汗を拭いながら、息苦しい列の中で首を伸ばした。元パーミリ軍特殊部隊隊長の彼は、今は商人として南北を行き来していた。今回は北から南へ、パーミリからロメロに向かう出国のゲートの列に並んでいた。高級毛織物と北方の鉱石を積んだ小さな荷車を引きながら、弟子のレオンと共に南部での新たな商談に向かうところだった。


「もう三時間も動いていませんね」と、レオンがため息をついた。彼は師匠のカイルと共に交易の旅をしながら、刀術の腕を磨いていた。今回は南部の彼の故郷に近い村も訪れる予定で、久しぶりの家族との再会を楽しみにしていた。


「祝祭の時期だからな」カイルは答えた。「南部への物資や旅人が増える。検問所はいつも以上に渋滞する」


 彼らの後方には、パーミリ魔術学院の研究者マルコ・シエラと恋人のエレナ・フロストが同じように列に並んでいた。二人は南部の古代遺跡を調査するための許可書を手に入れ、これから調査に向かうところだった。


「こんなに混むと予想していなかったわ」エレナが額の汗を拭いながら言った。「予定より遅れるわね」


「仕方ないさ」マルコは古代語が記された巻物を眺めながら答えた。「でも、今回の遺跡調査は重要だ。待つ価値はある」


 そんな彼らの会話を遮るように、前方の検問所から何か騒がしい声が聞こえてきた。


「師匠、何か起きたんじゃないですか?」


 レオンがカイルに問いかけた。カイルの弟子である若き剣士は、鮮やかな赤い鞘の長剣「紅蓮ヘルファイア」を無意識に手で撫でていた。


「ああ、何かが起きている。だが……」


 カイルは言葉を切った。直感が彼に警告を発していた。48年の人生で培った危険への勘が、背筋に冷たい水を流し込むように感じる。


 遠くで悲鳴が聞こえた。


 一人、また一人と悲鳴が増えていく。


 そして、検問所の門から人々が逃げ出してきた。彼らの顔には恐怖が刻まれている。


「逃げろ! 死人が動いている!」

「助けて! 奴らが噛みついてくる!」


 パニックに陥った群衆が押し寄せてくる中、カイルは素早く腰に下げた双剣「双竜ツインドレイク」の柄に手をかけた。


「レオン、何が起きているか偵察してこい」


 レオンが駆け出そうとした瞬間、検問所の門から最初の姿が現れた。


 灰色の肌、血に染まった衣服、そして虚ろな目——。歩き方は不自然で、まるで操り人形のようだった。しかしその動きには明確な意志があった。


 生きている者を捕らえようとする意志が。


「あれは……」レオンの言葉が途切れる。


「ゾンビだ!」


 声の主は、カイルたちの後方にいた青灰色のローブを着た男だった。彼は「風翼杖ウイングケイン」と呼ばれる翼飾りの魔法杖を構えている。


「マルコ! 何をしているの? 早く!」


 彼の隣には淡い青のチュニックを着た銀白色の髪の女が立っていた。彼女の手には青い光を放つ宝珠が握られている。


「エレナ、あれがゾンビなんだ。死者が蘇った存在だ!」マルコと呼ばれた男は焦った様子で説明した。


 カイルはマルコとエレナの二人を一瞥すると、即座に状況を把握した。魔法使いと見える二人は、この異常事態について何か知っているようだ。


 しかし考えている暇はなかった。検問所からはさらに多くのゾンビが溢れ出し、周囲の人々はパニックに陥っていた。馬車が倒れ、荷物が散乱し、混乱が広がっていく。


「総員! 荷物を捨てろ! 身軽になって逃げるんだ!」カイルの声が轟いた。


 指揮官としての経験が自然と表れ、周囲の人々に向かって命令を下す。


「身を守れるものだけ持って、他は全て放棄しろ! この列から脱出するぞ!」


 レオンも師匠に続いて叫んだ。「師匠の言う通りだ! 荷物より命が大事だ!」


 人々は混乱しながらも、二人の強い声に従い始めた。荷物を放り投げ、行列から離れていく。


 カイルはマルコとエレナのもとへ駆け寄った。「君たち、あれについて知っているようだな」


 マルコは頷いた。「伝承でしか聞いたことがありませんが、死者が蘇るゾンビという存在です。頭部を破壊するか首を落とさない限り倒せません」


「噛まれたり引っ掻かれたりすると感染して死に、その後ゾンビになってしまうんです」エレナが補足した。


「了解した」カイルは双竜ツインドレイクを鞘から抜いた。黒曜石の刃が太陽の下で冷たく輝く。「レオン、護衛態勢だ。この人たちを守りながら北へ向かう」


「了解です、師匠!」レオンも紅蓮を抜き放った。


 その時、悲鳴が近くで上がった。振り向くと、若い女性が倒れた荷物に足を取られ、ゾンビに襲われそうになっていた。


 一瞬の出来事だった。


風影歩法シャドウステップ!」


 カイルの姿が風のように消え、次の瞬間には若い女性とゾンビの間に立っていた。二振りの剣が閃き、ゾンビの首が宙を舞った。


「大丈夫か?」カイルが女性に手を差し伸べる。


 彼女は震える手でカイルの手を取った。「あ、ありがとうございます……」


「逃げるぞ!」カイルは女性を促して立ち上がらせた。


 その頃、マルコとエレナも動き出していた。


烈風断ソニックスライス!」


 マルコの杖から放たれた風の刃が、近づいてくる複数のゾンビを切り裂いた。頭部を狙った精密な攻撃で、三体のゾンビが一度に倒れた。


「マルコ、後ろ!」エレナの警告が響く。


 振り向いたマルコの背後に迫るゾンビに、エレナの魔法が放たれた。


絶対零度アブソリュートゼロ!」


 ゾンビの胸から青白い氷の結晶が広がり、あっという間に全身を覆った。凍りついたゾンビは、次の瞬間レオンの一撃で粉々に砕け散った。


「ありがとう、エレナ! レオンくん!」マルコは礼を言った。


 状況は刻一刻と悪化していた。国境の壁の向こう側からもゾンビの群れが見え始めており、時間の問題で壁が突破されるだろう。


「いくら何でも数が多すぎる! いったいどうなっているんだ!?」レオンが叫んだ。


「北へ逃げましょう!」エレナが提案した。「ゾンビは南から来ています。北に逃げれば少しは安全になるはず」


「同感だ」カイルは周囲を見回し、すでに集まっていた二十人ほどの旅人に向かって叫んだ。「総員、北へ向かうぞ! 隊列を組め!」


「でも、北の荒野は危険です」男が一人、不安そうに言った。「水も食料も……」


「死ぬより良いでしょう」


 新たな声が割り込んできた。褐色の肌をした女が、連発式拳銃「銀餓狼シルバーウルフ」を手に現れた。


「サラ・ディアス」彼女は簡潔に自己紹介した。「南部出身です。裏ルートなら知っています。安全な場所に案内できる」


「助かる」カイルは頷いた。「私はカイル。あそこで戦っているのは弟子のレオンだ」


「マルコ、こちらはエレナです」マルコも名乗った。


 そのとき、群衆の中から二人の姿が現れた。一人は医療器具の鞄を持った中年男、もう一人は工具ベルトを巻いた若い女だった。


 中年男が言った。「私は医師です。ダリウス・ケイン。私のアンデッドの知識が役に立つなら……」


「ミナ・チェンです! 工学を学んでいます。何か役に立てるかも」若い女が明るく自己紹介した。


 カイルは新たな仲間たちを一瞥すると、すぐに決断した。「総員、北へ向かう。サラ、最も安全なルートを案内してくれ。マルコとエレナは魔法で後方を守ってくれ。ダリウス、負傷者の手当てを頼む。ミナ、可能ならば簡易的な防御策を考えてくれないか」


 全員が頷き、それぞれの役割を理解した。


「師匠、僕は?」レオンが聞いた。


「お前は私と共に進路を切り開く。首を狙え。一撃必殺で」


 レオンの目が輝いた。「了解です!」


 こうして七人の即席チームが結成された。彼らは今や30人以上になっていた避難民の集団を率いて、検問所前から北へと移動を始めた。


 ゾンビは走ることはできないようだ。数は多いが油断しなければ追いつかれることはない。だが、時折大きな岩や木材を投げてくる。見た目よりもパワーがある。


 カイルとレオンが先頭に立ち、迫りくるゾンビを次々と倒していく。カイルの「風影歩法シャドウステップ」による高速移動と正確な斬撃、レオンの「炎獅子剣フレイムレオ」による連続攻撃が炸裂する。


炎獅子剣フレイムレオ!」


 レオンの剣が赤い残像を描きながら、複数のゾンビの首を飛ばした。


 マルコとエレナは後方で魔法による支援を行う。時には「風壁結界ウインドウォール」でゾンビの進行を遅らせ、時には氷と風の合体魔法「嵐氷連舞ブリザードダンス」で多数のゾンビを一掃する。


「エレナ、準備はいい?」マルコが問いかけた。


 エレナは頷き、二人は同時に杖と宝珠を掲げた。


嵐氷連舞ブリザードダンス!」


 青白い氷の竜巻が後方から迫るゾンビの群れを飲み込み、凍りついたゾンビたちが次々と砕け散った。


 サラは冷静に周囲を観察しながら、最も安全なルートを選んでいく。時折、拳銃で遠方のゾンビを正確に射抜き、危険を事前に排除していた。


「あそこの丘を越えれば、一時的に休める場所があります」サラが先頭のカイルに告げた。


 ダリウスは避難民の中で傷ついた者や疲れた者を支えながら、応急処置を施していく。彼の医療知識が、この緊急事態で人々の命を救っていた。


「この傷は大丈夫ですよ。ゾンビに噛まれたわけではありません」彼は年配の女性を安心させながら、傷口に薬を塗っていた。


 ミナは周囲の材料を集めながら、簡易的な防御装置を考案していた。


「もし追い詰められたら、これで時間を稼げるかも!」彼女は車輪と木材を組み合わせた罠を指さした。


 太陽が頭上から西へと傾き始める頃、一行は丘を超え、一時的な安全地帯に到達した。カイルは立ち止まり、全員の状態を確認した。


「皆、大丈夫か?」


 避難民は32人いた。疲れた様子だったが、ダリウスの手当てのおかげで、軽傷者もすぐに回復しつつあった。


「ここで少し休もう。しかし油断はするな」カイルは仲間たちに告げた。「これはまだ始まりに過ぎない」


 七人は無言で頷き合った。彼らはこの危機的状況で自然と結束していた。


「師匠」レオンが膝をついて座りながら言った。「あれは一体何なんでしょう。なぜ突然、死体なんかが……」


「それが知りたい」カイルはマルコに視線を向けた。「君は詳しいようだな」


 マルコは溜息をついた。「詳しいとは言えません。伝承でしか聞いたことがなかったのです。死者が蘇るという呪いについては、古い魔法書に記述があります。しかし、こんな大規模なものは……」


「原因はまだわからないが」ダリウスが割り込んできた。「他のアンデッドと比べても非常に危険な存在です。噛まれた傷口から感染が広がり、高熱と腫れが生じる。適切な処置を行わないと数時間で死亡する」


「そして死体はゾンビが近づくだけでゾンビ化するんでしょう?」ミナが質問した。「『下町ゾンビーズ』っていうバンドの歌で聞いたことがあります」


 ダリウスは驚いた表情でミナを見たが、それから頷いた。「その通りです。だからこそ危険なのです」


「南部の遺跡でこのような現象が起きるという伝説はありましたが……」エレナは空を見上げながら言った。「まさか現実になるとは」


「今はそれを議論している場合じゃない」サラが断固とした口調で言った。「休んだら、すぐに移動を再開するべきです。この荒野には安全な場所がいくつかあります」


 カイルは頷いた。「その通りだ。少し休んだら出発する」


 七人は互いに視線を交わした。彼らはまだ互いを十分に信頼しているわけではないが、この危機を生き抜くためには協力するしかない。


  


 北の荒野に向かって進む彼らの背後で、南からはさらに多くのゾンビの群れが押し寄せていた。

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