片割れは満月の下に

辰栗 光

私の居場所

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 緑があふれる山の中を、白いおおかみと並んで走る夢。

 大きな岩のそばを駆け抜けると、泉がある。私と白い狼は、透明な水を舌ですくい、喉をうるおす。

 やがて山は夜の闇に包まれる。満月の光に照らされた白い狼が、私を見つめる。


「もどってきておくれ、わがもとへ」


 電車のゆれを感じながら、目を開けた。

 車窓からは、晴れた空と淡い緑の山並みが見える。中づり広告には『オススメのお花見スポット』と書かれていた。もう春か。

 朝のラッシュはとっくにすぎたし、ローカル線なので乗客は少ない。


 私は今朝、いつも通りにアパートを出て、会社に行こうとした。でも、電車に乗ったところで、なんかもうどうでもよくなった。いつも降りる駅を通りすぎて、気の向くまま電車を乗り継ぎ、気づけばまったく知らない場所にいる。


 物心ついたときから、なんとなくまわりになじめなかった。学校では、友達ができたためしがない。就活もうまくいかなくて、何十社も応募して、ようやく小さな会社に入れた。


 その会社でも、やはりうまくいかなかった。上司や同僚には、どんなに優しく接しても「冷たい人ね」といやな顔をされる。言葉づかいに注意しても「意味がわからない」と軽蔑される。


 そんな日々が3か月続いたころだ。

 休日出勤からの帰り道、夜空を見上げたら満月が浮かんでいた。白く輝く月を見たら、急に涙があふれてきた。

 泣きながらアパートに帰って、ベッドに倒れこんだ。そして、はじめて白い狼の夢を見た。

 誕生日の出来事なので、よく覚えている。


 車内アナウンスが、次の停車駅を告げた。駅名はよく聞き取れなかったけど、次で降りると決めた。


「うわ、なんにもない」


 思わず声に出してしまうほど、駅のまわりはひっそりしていた。

 線路の南側には川があり、その向こうには山並みが見える。私のいる北側は、民家と田畑の向こうにやはり山がある。道路は1車線だし、車も走っていなければ人影すら見当たらない。

 われながら、すごいところに来てしまった。


 道の左右を見ると、少し離れたところに『コーヒー・軽食』と書かれた看板があった。まわりの家と同じで、瓦葺かわらぶきの古風なたたずまいだ。でも、木製の壁や看板はまだ新しい。とりあえず、あの喫茶店に行ってみることにする。


 ガラス張りの扉には、アルバイト募集の紙が貼ってあった。時給換算すると、今の職場より給料がいい。毎日満員電車にもまれて、残業をして、まわりになじめず苦しみながら、山間の喫茶店より安い給料で働いている私。ほんと、ばかみたい。


 扉を開けると、コーヒーの香りがただよってきた。


「いらっしゃいませ」


 女性の声がひかえめに聞こえた。

 なにげなく入った喫茶店だったけど、扉が閉まったところで後悔した。

 店内には、地元の人らしきご老人ばかり。新卒1年目の未熟者が席に着ける雰囲気ではない。帰ろうか、と思ったところに女性店員がやってきてしまった。


「こちらへどうぞ」


 にっこり笑って案内されては、断ることもできず、おそるおそる窓際の席に座った。

 女性店員が水とおしぼりを置く。客にくらべて、店員は若かった。といっても、私の親と同じくらいだろう。


「ご注文は、のちほどおうかがいしましょうか?」

「あっ、えっと、コーヒーをお願いします。ホットで」

「かしこまりました」


 店員は笑顔を残して、カウンターの奥に入っていった。彼女の隣では、男性店員が忙しそうにしている。こちらも父と同じくらいの年齢に見えた。


 最初こそ緊張したものの、この店は意外と居心地がよかった。私が社会不適合者だと、知らない人ばかりというのが逆にいいのかもしれない。


 しばらくすると、女性店員がコーヒーを運んできて、テーブルに置いた。


「今日は、お仕事でいらしたんですか?」

「えっ」


 なんでそう思うのか。少し考えて、自分がスーツ姿なのを思い出す。


「違います。その……気晴らしに、知らない場所に行ってみようと思って」


 しどろもどろになってしまった。冷たい態度を取っていなかっただろうか。おかしな言葉づかいをしていなかっただろうか。目を泳がせながら、自問自答する。

 私の心配をよそに、店員は笑顔だった。ほおが引きつっているということもない。


「でしたら、向かいの神社に行ってみてください」

「神社、ですか?」

「ええ。狼神社と呼ばれていて、地元で親しまれているんですよ」


 狼という言葉に、はっとした。夢で見た白い狼の姿が、頭をよぎる。私が興味を持ったことに気づいたのか、店員もまた目を輝かせた。


「この町では、狼様が悪いものから、みんなを守ってくれると言われているんです。だから、神社の狛犬こまいぬも狼の形をしているんですよ」

「狼の狛犬ですか……めずらしいですね」

「そうなんです。でも、だいぶ前に台風で片方の像が壊れてしまって。娘が2歳の夏でしたから、もう23年たちますかね」


 心臓が跳ねた。23年前の夏といえば、私が生まれたころだ。


「よかったら、お参りしていってくださいね。では、ごゆっくり」


 店員は一礼して去っていった。


 コーヒーを飲み終えた私は、足早に店を出た。

 店員の言ったとおり、神社は喫茶店の目の前にあった。


 細い道を通って石段を上り、鳥居をくぐる。

 その瞬間、なつかしいにおいを感じた。はじめて来た場所なのに、まるで自分の部屋にもどったかのような安心感がある。

 気がつけば、目から涙がこぼれていた。


 私は、神社の裏にある山を見上げた。


「ああ……」


 あの山を登ると、頂上近くに大きな岩がある。その向こうには、清らかな水の湧く泉があって。


 神社に視線をもどすと、拝殿の前に狛犬があった。ふつうの狛犬よりも細身で、耳を伏せ、険しい顔つきで境内を見守っている。でも、喫茶店で聞いたとおり、対のはずの狼像は右側1体しかなかった。左側は台座しか残っていない。


「ああ」


 私は、足がふるえそうになりながら、狼の像に近づいた。石の狼は、なにも言わない。表情もかえない。でも、私にはわかった。その狼が、私を待っていたことを。

 頭の中に、満月に照らされた白い狼がよみがえる。


「もどってきておくれ、わがもとへ」

「もどってきたよ」


 私は、私の片割れにこたえた。

 石でできた前足にふれながら、参道の反対側にある台座を見る。


 ここが、私の居場所だったんだ。


 その後、私は山間にあるこの町で家を借りた。今は、駅前の喫茶店で働いている。まわりの人たちは親切で、不思議となじむことができた。


 神社には、毎日お参りに行っている。

 片割れに再会できたからか、満月が訪れても、10回目の夢を見ることはなかった。

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片割れは満月の下に 辰栗 光 @tatsukuri_hikaru

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