「おい、佐藤！次の問題解いてみろ」

突然名前を呼ばれ、俺——佐藤陽は数学の教科書から顔を上げた。松岡先生が不機嫌そうな顔で俺を見ている。どうやら授業に集中していないと思われたらしい。

「はい」

俺は立ち上がり、黒板に書かれた二次関数の問題を眺めた。難しくはないけど、正解すれば「お前ならできて当然」と言われ、間違えれば「なに寝てるんだ」と叱られる。どっちにしても割に合わない。

「x²+4x-5=0の解はx=-5と1です」

「...正解だ。座れ」

先生は少しがっかりした様子で次の話題に移った。俺の周りでは安堵のため息が漏れる。どうやら標的にされたのは俺で良かったと思っている奴らが多いようだ。

こんな感じで、俺の高校生活は平凡に過ぎていく。成績は上位だけど特別秀でているわけではなく、運動もそこそこできるけどスター選手というわけでもない。要するに、目立たない普通の高校生だ。

「陽、さっきの問題、解き方教えてくれない？」

昼休み、隣の席から声をかけてきたのは綾瀬雪乃。黒の長髪を背中まで伸ばし、切れ長の瞳と整った顔立ちを持つ彼女は、俺の幼なじみの一人だ。

「あれ？雪乃が分からない問題があるなんて珍しいね」

「別に...確認したいだけよ」

そう言いながらも、雪乃の唇は少し尖っていた。彼女は完璧主義者で、自分が理解していないことがあると気が済まないタイプだ。普段はクールで感情表現が乏しいものの、俺にはちょっとした表情の変化が分かる。長い付き合いの賜物だろう。

「ほらほら、いつものことじゃん！雪乃は陽にしか弱み見せないんだから」

教室の後ろから元気な声が飛んできた。ショートカットの茶髪を揺らしながら近づいてきたのは、星野明日香だ。陸上部のエースで、いつも笑顔が絶えない活発な女の子。これまた俺の幼なじみの一人だ。

「うるさいわね」

雪乃が冷たく言い返すと、明日香はけらけらと笑った。

「あ、陽。今日の放課後、ちょっと付き合ってよ。新しいシューズ買いに行きたいんだ。男の子の意見が欲しくて」

「いいよ。でも、なんで俺？」

「だって陽は正直だもん。変なこと言わないし」

そう言って明日香は屈託のない笑顔を見せた。彼女のストレートな物言いは時々恥ずかしくなるけど、悪気はない。むしろその素直さが彼女の魅力だった。

「すみません、陽さん...」

静かな声に振り向くと、藤原千夏が申し訳なさそうな表情で立っていた。茶色のウェーブがかった長髪と、大きな瞳が特徴的な彼女は、図書委員をしている文学少女だ。そう、これも俺の幼なじみだ。

「どうしたの、千夏？」

「その...今日お渡しする予定だったお菓子、明日になってしまいそうで...材料を買い忘れてしまって」

千夏は時々自家製のお菓子を俺たちに振る舞ってくれる。彼女の作るお菓子は絶品で、クラスでも評判だ。

「気にしないで。千夏のお菓子なら待つ価値あるよ」

「ありがとうございます...」

そう言って千夏は柔らかく微笑んだ。彼女のおっとりとした性格は、時に頼りなく見えるけど、実は意外と芯が強い。静かに自分の意思を貫く子だ。

「佐藤陽！」

突然、鋭い声が教室に響いた。振り向くと、ドアの前に高瀬瑞希が立っていた。肩までの茶髪とスマートな体型、そして細いフレームの眼鏡が特徴的な彼女は、クラス委員長であり、これまた俺の幼なじみだ。

「なんだよ、瑞希。そんな大声出して」

「あなた、また提出物が遅れてるわ。進路希望調査、今日が締切よ」

「あ、忘れてた...」

「もう、いつも同じなんだから」

瑞希は呆れたように頭を振りながら、俺の机に近づいてくる。彼女は几帳面で責任感が強く、何事にも真面目に取り組む優等生だ。時々厳しく叱ってくるけど、それも俺のためを思ってのことだとわかっている。

「はいこれ。私が下書きを作っておいたから、確認して提出しなさい」

そう言って瑞希が差し出した紙には、俺の進路希望が詳細に書かれていた。

「おー、さすが瑞希。俺のこと考えてくれてるんだな」

「べ、別にあなたのことを特別に考えてるわけじゃないわよ。クラス委員長の仕事だから」

顔を少し赤らめながら瑞希は言い返した。典型的なツンデレだ。

こんな風に、俺の周りには幼い頃から一緒に育った4人の女の子がいる。同じ団地で育ったこともあり、小学校から高校まで同じ学校に通っている。今でこそ外見も性格も全然違う4人だけど、どの子も大切な幼なじみだ。

「陽、今日の夕飯は何？」

明日香が何気なく聞いてきた。実は最近、俺の両親が海外赴任で家を空けていて、祖父母は田舎に引っ越してしまった。そんなわけで、俺は一人暮らしをしている。母親の影響で料理は得意な方だから、自炊生活も悪くない。

「今日はカレーかな。昨日の残り物があるし」

「いいなー。陽のカレー、めっちゃ美味しいよね」

明日香が羨ましそうに言うと、千夏も小さく頷いた。

「ふん、料理くらいできて当然でしょ」

雪乃がそっぽを向きながら言ったけど、本当は彼女も俺の料理を褒めてくれることが多い。

「ちゃんとバランスの取れた食事を摂ってる？野菜不足になってない？」

瑞希が心配そうに尋ねてくる。彼女はいつも俺の健康状態を気にかけてくれる。

「大丈夫だって。俺を誰だと思ってるんだよ」

「頼りない人だと思ってるわ」

瑞希のいつものツッコミに、みんなが笑った。

こんな何気ない日常が、あの日を境に大きく変わることになるとは、この時の俺は全く想像もしていなかった。