逃げ水のような愛

雪好いくら

逃げ水のような愛

この町は事件が多い。


「また誘拐だって……怖いね」


朝食の時間、トーストを頬張りながらテレビを見ていた少女はそう言った。少女の不安げな表情に、俺の胸がぎゅっと締め付けられる。


「……大丈夫、家の中に居れば心配ないよ」


俺は少女を安心させるために言葉を掛けた。すると、少女は何かを思いついたようにポンと手を叩き、いたずらな笑みを浮かべた。


「それはどうかな? もしかしたら、この家のドアを壊して、私を攫っていく人がいるかもしれないよ」


ちらりとこちらを一瞥する少女。どうやら、心配する俺の様子を楽しんでいるようだ。少女の見え透いた考えに、わざと引っかかることも出来るが、可愛げな少女に嗜虐心を刺激された俺は少し意地悪をすることにした。


「ドアを壊されちゃしょうがないな、諦めるしかない……」


言って、少女の反応を細目で伺う。


「ちょ、ちょっと! 諦めないでよ!」


思いがけない反撃に少女は目を大きく見開き、頬を膨らませて抗議した。可愛らしい姿に満足した俺は冗談であることを伝える。


「ごめんごめん、冗談だよ。大丈夫、この家のセキュリティは厳重だし、何より俺がちゃんと守るから」


そう伝えると少女の顔がみるみるうちに朱色に染まっていった。


「……ありがとう」


少女は照れくさそうに微笑み言うと、それを隠すようにコーヒーカップに口を付けた。

……俺と少女の何気ない日常の風景。けれど、この一瞬を手に入れるためには長い年月と膨大な費用が必要だった。今でこそ楽しそうにしている少女だが、何年もの間、母親からひどい虐待を受けていたのだ。もし俺が、もっと早く助けることが出来ていたなら……そう悔やまない日はなかった。だからこそ、俺たちは失った時間を取り戻すために、こうして二人で同棲しているのだ。

俺は少女が作った卵焼きを口にする。


「……甘い」

「えっ、嘘……甘かった?」


俺が首肯すると、少女は箸で卵焼きを掴み、自身の口に運ぶ。


「……甘い。ごめんね……確か、醤油派だったよね?」

「まぁ、醤油の方が好きだけど……」

「つ、作り直してくるよ!」


少女は卵焼きが乗った平皿を持ち、キッチンへ向かう。顔からは血の気が引き、双眸には動揺が見えた。


「ストップストップ……」


俺は慌てる少女の肩にそっと手を置いて、落ち着かせる。


「作り直さなくていいって、別に砂糖が入った卵焼きも嫌いじゃないからさ、食べる食べる」

「本当に……良いの?」


上目づかいで恐る恐る聞く少女。その様子は先程の明るい雰囲気とは違い、昔の苦い情景を思い出させた。胸の奥で渦巻く黒い感情を抑え、もう一度卵焼きを頬張る。


「ん、美味い! ほらっ、食べてみろ」


俺は最後の卵焼きを摘み、少女の口に押し込む。


「んっ……」


突然卵焼きを口の中に入れられた少女は、目を丸くして驚きはしたものの、拒むことなくゆっくりと咀嚼していく。同時に、少女の強張っていた体から徐々に力が抜けていくのが分かった。


「……取り乱しちゃって、ごめん」

「大丈夫、気にしなくていいよ」

「……ありがとう、明日からは醤油にするね」

「それは楽しみだ」




朝食を食べ終えた俺は、出勤のために軽く身だしなみを整えて玄関へ向かった。そこでは、少女が靴箱の上で何やら作業をしていた。


「何してるんだ?」

「お花を生けてるの」


半透明な花瓶に赤色のカーネーションが綺麗に咲いていた。


「カーネーションは好き?」

「……」

「……嫌いだった?」

「……いいや、とっても綺麗だと思う」

「そうでしょう! 帰ってきたら沢山見れるから、今日こそ早く帰ってきてね!」


屈託のない笑顔でゆびきりを求める少女。俺は右手で少女の頬を軽く撫でる。少女はびくりと肩を震わせたが、少しすると恥ずかしそうに受け入れた。


「どうしたの? 寂しいの?」

「……少しな」

「大丈夫だよ! 私が居るから!」

「そうか、そうだよな……」


俺は少女の幸せそうな笑顔を目に焼き付ける。


「それじゃ行ってきます……」

「行ってらっしゃい!」




会社までの通勤路。燦々と照りつける太陽に眩暈を覚える。額から滝のように汗が流れ、喉はひどく渇いていた。俺は汗を拭い、ある場所へ電話をかける。


「おはようございます。すみません、商品に不備があったのですが……」


「そうです、性格と話し方は改善出来ています。ただ、必要のない記憶がまだ残っていたので……消しちゃってください。ドアの鍵はかけてないので、いつも通り……」


事務的な連絡を終えると、相手から疑問が飛んできた。


「どうしてそこまで……ですか?」


俺が死んだ妹を模したアンドロイドと生活している理由……。


「後悔だと思います……」

「俺は母さんの狂愛から妹を守ることが出来なかった……」

「だから、母さんが好きだった甘い卵焼きも、母さんがよく飾っていた赤いカーネーションも、妹を縛っている全てを取っ払って、苦しかった過去を全部忘れて……」

「そうやって、本当は与えられるはずだった正しい愛を二人で知っていきたいんです」

「そのためなら、何度だってやり直します……」


数秒の沈黙が流れたのち、向こうから承諾の返事が戻ってきた。俺は電話を切き、顔を上げて再び脚を動かす。夏空の下、どこまでも続く一本道には小さな逃げ水が出来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逃げ水のような愛 雪好いくら @yukisuki_ikura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ