あの日、僕はこじまこ推しになった
ひまえび
第一章――「推しと誘惑のキャンパス」
『あの日、僕はこじまこ推しになった』改訂版
第1話――「最初の火」
https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/16818622171967215263
四コママンガを描きました。
https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/16818622171826989137
人物相関図(家族と小嶋真子)を描きました。筆者がpythonで作成したSVG画像をスクショしたものです。
最初の火は、思いがけない場所でついた。YouTubeの右端に小さなサムネイルが灯り、指が勝手に動いたのである。『君だけにChu! Chu! Chu!』。薄いノートPCのスピーカーが震え、部屋の空気が一枚、厚くなる。白いワンピースが照明を受けて乳白色にきらめき、弧を描く腕の先に笑顔が跳ね返る。カメラへ向けた指差しが画面を抜け、胸の真ん中に微かな痛みを置いていく。そこから時間の膜がめくれ、小学6年の夏に戻るのである。兄の机、銀色の外付けドライブ、札幌ドームの映像。中央に立つ少女を、目が勝手に追って離さない。
あの日の自分は、はっきりと奪われたのである。可愛いからではない。歌と踊りの内側にある「楽しい」という核が、こちらの皮膚温に直結して伝わってきたからである。ステップが床を打つ音が映像越しにも低く鳴り、歓声の波が遠雷のように寄せては返す。白いワンピースの裾がふわりと浮くたび、心臓の拍が半拍ずれる。家の窓の隙間から入る夏の匂いは洗剤と夕立の気配で、画面の中の光と混じり合い、現実と非現実の境界が柔らかくぼやけていく。
僕の推し活は、ひそやかに始まった。放課後、ランドセルを放り出す勢いでPCを開き、関連動画の連鎖に身を浸す。テレビ出演の断片、コンサートの定点、バラエティで見せる屈託のない笑顔。画素は汗を持たないはずなのに、ライトに照らされた頬の光沢を見ると、こちらの手のひらがじんわり温かくなる。雑誌の切り抜きをプリントアウトし、押しピンで壁に留めるたび、部屋は少しずつ色を変える。学校では「アイドルなんて」と冷やかされることもあったが、彼女の映像を閉じたあとには、薄い膜のような勇気が一枚、胸に貼り付くのである。
劇場に行く、という文字列をノートに書いたのは、9月の終わりだった。現実味は薄かったが、線で囲むと目標になる。握手会の列に自分が並ぶ想像をすると、胃の奥がすこしひやりとする。家のルールは厳しく、父は都内で診療に追われ、兄は医学部の課題に沈んでいる。小学生の僕が単独で秋葉原に行けるはずはない。それでも夜、机の上でイヤホンを耳に差し、画面の向こうに手を伸ばすようにして、動画の再生ボタンを押し続けた。音量を一目盛り落とすと、階下の台所から味噌と出汁の匂いが上がってきて、空腹と熱が静かに混ざる。家の空気の中で、僕は一人だけ別の季節を生きているようだった。
2014年の初春、重要な配置換えが起きた。『前しか向かねえ』——小嶋真子、初の選抜入りである。発表の動画を再生した時の指の震えを、いまでも覚えている。並ぶ列の重みが彼女の周囲に生まれ、しかし笑顔は崩れない。リズムに乗って踵が床を小気味よく打ち、視線が客席をまっすぐ貫く。画面のこちら側で、誇らしさと焦りが同時に喉に集まるのがわかった。もっと近くで見たい——その欲望が言葉に変わるのに、時間は要らなかった。
「劇場に行きたい」と兄に言うと、兄はペンをくるりと回し、「そのうち連れていく」と短く答えた。短い返事は、十分に効いた。
夏。連れていかれた秋葉原の街は、照り返しがコンクリートを白く焼いていた。劇場ビルの階段を降りると、湿った空気が肌にまとわりつく。グッズ売り場のガラスケースに並ぶ生写真は、薄い紙なのに金属的な冷たさを放って見えた。ロビーに貼られた出演メンバー表の中に「小嶋真子」の文字を見つけたとき、手の血の流れが急に速くなる。開場。フロアは想像よりも狭く、ステージは恐ろしいほど近い。暗転、ざわめき、拍手。最初のビートが鳴った瞬間、足の裏に低音が伝わり、身体の輪郭が一度ほどけて、別の形に結び直される感覚になった。
『ウィンブルドンへ連れて行って』。ピンクと白の照明が粒となって舞い、彼女の汗が頬の斜面を細い川のように落ちる。衣装の布はプラスチックに近いきめの音で擦れ、スカートの裾が空気を切る気配が、耳の奥の柔らかいところをくすぐる。視線が客席を払うように動き、僕のいる辺りで、ほんの一瞬だけ止まった気がした。錯覚であってもかまわない。むしろ錯覚であってほしい。ステップの着地と同時にサイリウムの海が波打ち、知らない誰かの歓声が自分の喉から出ているように感じられた。ここにいる、という事実だけが、骨の内側で熱を持ち、静かに膨らんだ。
終演後の握手会。列はゆっくり進む。前の人の短い会話が漂ってくる。
「テスト頑張ってね」
「今日の髪、似合ってる」
消毒液の匂いと、紙のリストバンドのざらつき。自分の番が近づくほどに、喉が乾き、手のひらは意味もなく湿る。目が合った瞬間、音がすべて遠くなる。
「来てくれてありがとう! すごく嬉しい!」
その簡潔な言葉が、胸の中の固く結ばれた紐をほどいていく。「自分なんか」と小さく呟いていた声は、床の上で音もなく崩れた。帰り道、兄に「もっと応援したい」と言うと、兄は信号待ちの赤い光の中で笑い、「いいじゃん」とだけ言った。夜風は汗を冷やし、指先にはまだ微かな震えが残っていた。
そこからの数年は、奇跡的に歩幅が合った時間である。彼女が一歩前に出れば、机に向かう僕の集中も一段深くなる。イントロのリズムは開始の合図であり、雑音を遮断する呪文であった。地方の受験生である僕は、遠征にそう何度も行けたわけではないが、SNSの更新は欠かさず追った。画面の向こうで彼女は、冗談を混ぜてファンへの感謝を述べ、ときに弱音を微かに吐き、それでも朝になれば笑顔で立ち上がる。そうした繰り返しが、僕にとっての現実の厚みを増していった。
2017年、総選挙。順位の数字だけでは測れない存在感が、たしかに可視化された年である。ステージの中央から外れていても、光は彼女を避けない。コメント欄で交わされる短い会話、会場の湿度、テレビ画面の走査線のちらつき——それらが僕の生活へ同時に侵入し、日常の温度を半度だけ上げる。推すという行為は、時に滑稽にも見える。だが僕にとってそれは、過去と未来を一本の糸で縫い合わせる運針であった。札幌ドームの画素と秋葉原の熱気が、一本の縫い目で結ばれていく。
2019年1月12日。スマホに落ちたニュースの通知は、小さな矩形なのに重かった——
「小嶋真子、AKB48卒業」。頭のどこかにいつか来る未来として用意していたのに、現実の硬さで触れられると、身体のどこに穴が開いたのかがわからなくなる。卒業コンサートのチケット申込ページを開いた指先は冷え、クレジットカードの数字を打つキーボードのタッチがやけに軽く感じられた。会場へ向かう電車の窓に映る自分の顔は、思っていたよりも幼かった。
卒業の日の空気は、独特の電気を含んでいた。入場口で配られたうちわの表面は、冬の乾いた空気の中で微かに静電気を帯び、手の甲に小さな針のような刺激を残す。暗転。最初の曲が始まり、会場全体がひとつの大きな呼吸をしたように静まり返る。次の瞬間、割れるような歓声。泣き笑いの表情で手を振る彼女を見ながら、胸の内側で何かが静かに片付いていくのを感じた。終演後、外の空気はよく冷えていて、白い息がはっきり見えた。手袋の中の指が温まるのに少し時間がかかり、その短い時間が、六年間の余韻を体に沁み込ませるために必要な儀式のように思われた。
ステージを降りた彼女は、別の速度で生きはじめた。YouTubeに新しい動画が上がり、ブランドの立ち上げが告げられ、写真の色調はアイドルのそれより一段落ち着いた。画面のこちらでも、季節は巡り、僕は受験を越え、白衣の袖に腕を通す段階に入った。徹夜明けの朝、病院の消毒液の匂いと、カフェテリアのコーヒーの香りが交差する。待合に差し込む冬の光は冷たく、床のリノリウムの艶が少し白む。スマホに通知。彼女の笑顔が小さな矩形いっぱいに広がる。その瞬間、背中に薄い手が添えられるように、姿勢が自然と正される。推し活は儀式ではない。生きる側に残る仕組みである、と僕は思う。
受験期の夜、胸の奥が重く沈んだときのことを、よく思い出す。問題集のページをめくる乾いた紙の音が、焦燥を余計に際立たせる夜である。窓の外では電車の軋む音が遠くに続き、机の上の蛍光ペンはインクの匂いを強く主張する。そんなときに再生した短いクリップ。ステージに立つ彼女の笑顔が、画面の明るさ以上に、部屋の空気を確かに明るくした。諦めない、という言葉は陳腐だが、彼女から届くそれは、汗と息の具体を帯びていた。だから僕はページを一枚、また一枚と進めることができたのである。
医学生としての時間は、思っていたよりも身体の時間である。解剖室の冷気は骨に沁み、アルコールの匂いが鼻腔の奥に薄い膜を作る。ゴム手袋の内側で汗が細かく滞り、指紋の谷間がむず痒くなる。昼休み、ベンチに座る。木目のささくれが太ももに小さな点列を押しつけ、風が葉の裏側をひっくり返す音を立てる。ふと開いたSNSに、夏の光を浴びた彼女の写真が現れる。少し大人びた表情、しかし目の奥の楽しさは変わらない。画面は小さいのに、届く明るさは相変わらず大きい。「大丈夫、僕も頑張れる」と、声に出さずに口の中で言う。言葉は喉の奥で温まり、胸の中心へ沈む。
ある外来の午後、診察室に入ってきた少年は、握った母子手帳を汗で濡らしていた。言葉が喉で絡まり、うまく出てこない。沈黙が少し長くなったとき、背後のモニターに映る無機質な待合のカメラ映像の向こうから、誰かの笑い声が漏れ聞こえた。僕は深呼吸をして、声の高さを半音落とし、話のテンポをひとつ緩めた。ステージのMCで彼女が場の温度を整えるやり方を、思い出したのである。少年はやがて自分の好きなゲームの話を始め、母は少し肩の力を抜いた。診察が終わる頃には、手汗で濡れた紙が乾きかけていた。その乾きの手触りは、コンサート会場で配られたフライヤーが、熱気の中でふやけてから再び冷房でしゃりっとする瞬間に、よく似ていた。
雨の日の帰り道、傘に当たる粒のリズムが、昔見た公演のドラムパターンと偶然一致することがある。アスファルトから立ち上る匂いは湿った段ボールに似ていて、信号待ちの横で鳴る自転車のブレーキが、古いスピーカーのツイーターの歪みに重なる。こうした偶然の一致が日々の至るところで起こるたび、僕は自分の生活が音楽的に構造化されていることを思い出す。推し活とは、過去の特定の瞬間を、未来の不意な天気や匂いや物音に紐づけておく作業でもある。
季節がいくつも過ぎた。あの日の白いワンピースは、もう僕の部屋の壁にはない。代わりに、教科書の付箋と、授業のスライドのプリントが増えた。それでも、光が特定の角度で差し込む午後、壁紙のわずかな凹凸が影をつくるのを見るだけで、劇場の照明が胸の奥で点灯する。指先が、知らないうちにサイリウムの角度を探し、足の裏が低音の記憶を確かめる。推し活は終わらない、というより、終わる必要のない仕組みに変質したのである。
久しぶりに兄と並んで歩いた休日、秋葉原の角を曲がると、かつて通った劇場の看板が目に入った。汗と香水と機材の熱の匂いはもう薄れ、代わりに新しい店の揚げ油の匂いがした。兄は「覚えてるか」と言い、僕は「あの階段の湿気」と答えた。二人で笑ったあと、しばらく無言で立っていた。あの頃の僕は、世界のピントをひとつの人に合わせることで、むしろ世界全体を鮮やかに見ていたのだと、今ならわかる。焦点は狭いが、周縁が生き返る。不思議な視力である。
ある日の夕方、大学のベンチに腰を下ろす。空は薄い群青で、雲の縁が金色にほどけていく。キャンパスのどこかで部活のドラムが鳴り、芝生は昼の熱をぎりぎりの温度で保持している。ポケットから取り出したスマホの通知に、彼女の新しい投稿があった。柔らかな生地のワンピース、風で揺れる髪、笑いにつられて細くなる目尻。指で拡大すると、画面のガラス越しに、自分の顔が小さく重なる。その重なりが気恥ずかしいほどに、優しい。「大丈夫」。僕はもう一度、口の中で言う。言葉は今度、胸の外へ出て、風に混ざっていく。
僕は立ち上がる。足音はコンクリートに浅く刻まれ、影は長く伸びる。前だけを見る、というスローガンは簡単だが、実際にはときどき振り返ることが必要である。振り返って、白いワンピースの軌跡と、汗の粒の光を確かめる。それは後退ではない。次の一歩を深く地面に差し込むための、必要な動作である。あの日、僕はこじまこ推しになった。いまも、これからも、その事実は僕の設定であり、仕様であり、根拠である。
人はいつか、初期設定を上書きして別の自分になるのだろうか。たぶん、完全な上書きは起きない。新しいアプリが増えても、OSの深いところで動き続けるプロセスのように、あの日の火は消えない。薄くなったと思うときも、風が吹けば、また見える程度に明るくなる。推しの笑顔は、もはや画面の中の現象ではない。僕の歩幅と心拍に同調する、静かな基準である。札幌ドームの画素、秋葉原の湿気、卒業の日の静電気、大学のベンチの木目——それらを一本の糸で縫うたび、僕は僕に戻る。だから、今日も再生ボタンを押す。小さな矩形の中で跳ね返る笑顔に、胸の中心で合図を返し、ゆっくりと前に進むのである。
そして、ページを閉じる前の一瞬、僕は必ず耳を澄ます。遠くで誰かが手を叩く音がする。合図だ。深呼吸をし、今日の続きを始めるのである。明日の僕は、今日より少しだけ静かに強い。同じ拍で、前へ。
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