第59話 光の残滓、そして朝【第一章完】

 ……全てが終わった。


 だが、どこか空気の奥底には、


 まだ残り香のような“何か”が漂っていた。




 死霧が晴れ、白光が消えた跡に残されたのは、


 砕けた石畳と、倒壊した王都の正門。




 「これは......後始末が大変ね」




 エリュシアが腰に手を当てため息をつく。


 その傍らで、優雅に髪を直しながら、


 エスメラルダがためらいもなく言葉を重ねる。




 「まあ、鉄城門程度ならトレヴァント家にでも頼めばいいでしょう」




 エスメラルダは至って冷静。




 「あなたのところのお抱えじゃないの?」


 


 「ええ、でも──」




 エスメラルダは涼やかな笑みを浮かべた。




 「相応の対価は必要ですわ。


 修繕って、“善意”で行うには高すぎますもの」




 そして続けるように




 「これは誰の"責任"になるのでしょうね?」




 その視線が、ゆるやかにエリュシアの方へと流れる。




 「頭が痛いわね......」




 髪をかき上げながら、エリュシアが空を仰ぐ。


 そしてぼそりとつぶやいた。




 「いっそ、全て“魔物の暴走”ってことで


 済ませられたら楽なんだけど」




 「融通の利かなさは、もう分かってるでしょう?」




 「ええ……十分にね」




 既に城前にはロールスロイスとラグナディア両家の


 騎士団が仮設陣地を構築して、


 魔物の侵入と復旧作業に従事している。




 仮設にしてはかなり贅沢なベットが持ち込まれ、


 そこには死んだように眠るヴィクトールと、


 


 もうひとつには、泣き疲れて眠るエウラを膝枕し、


 メレーネがその髪を撫でていた。


 その表情は年齢相応の柔らかさが戻っていた。


 穏やかに。




 エウラは夢を見た。




 ""全て取り戻して、楽になる""




────────




 騎士団の指示の声も、遠く聞こえる魔物の駆除音も、


 なぜか自分の周囲だけ、ひどく遠く感じられた。




 エリオスは、崩壊した王都門柱の断片に寄りかかるように立ち、


 視線をそっと空に向けた。




 青い空に白い雲が浮かぶ。


 雲が異端なら、青空は超空を支配する"理"。


 すべてが雲で覆われたなら、異端は霞み、輪郭を失う。


 その時、異端が理となるのだろうか。


 その思想のコントラストにエリオスは思いを重ねた。




 死霧龍との接触も、グリフォードの一瞬の介入も、


 まだ身体に“余韻”が残っている。


 だが、その裏にいる存在がやけに大きく感じる。




 (……何も、終わった気がしない)




 きっと、戦いが派手すぎたせいだ。


 あるいは、自分がそこにいたという


 実感が湧いていないだけなのかもしれない。




 ──と、その時だった。




 「エリオス様」




 背後から呼び止められ、ゆっくりと振り返った。


 そこには、静かな微笑みを浮かべるメレーネが立っていた。




 「ああ……メレーネ」




 エリオスがやや恥ずかしそうに会釈をする。


 察したメレーネは控えめに微笑んで小さく首を振った。




 「お礼を、言わせてくださいませ」




 その言葉に、エリオスは目を泳がせる。




 「……お礼?」




 「はい」




 彼女はハッキリと頷いて、再び言葉を紡いだ。




 「あの子を救ってくださって、本当にありがとうございます。


 あなたがいなければ、


 私はまた……大切な人を失う事になりました」




 彼女の瞳はまっすぐで、迷いがなかった。


 エリオスはしばし視線を落とす。




 「俺は、ただエウラが心配だったから......」




 そして、ちらりとエウラの方を見た。


 まだ彼女は眠ったままだった。


 だがその表情には、どこか穏やかさが宿っている。




 「でもこれからだ。


 本当に、助けになったのかは……今はまだ分からない」




 メレーネは静かに微笑み、首を横に振る。




 「いいえ……あなたは十分すぎるほど、


 私たちを助けてくれました」




 そして、少しだけ俯いてから、柔らかな声で言った。




 「エリオス様、あなたはずっと、


 自分の価値を認めようとなさらないけれど──」




 ゆっくりと、もう一度顔を上げたメレーネの瞳は、優しい光を宿していた。




 「私にはあなたこそが"志すべき貴族"に見えます」




 その瞳に微かに涙の光が見える。




 「だから、どうかご自分を認めてくださいませ。


 あなたは、紛れもなく……私たちの『希望』です」




 エリオスは恥ずかしそうに空を見た。


 ただその一言は、彼の胸の奥にかすかな


 灯火のように灯った。




──────── 




 ──エスメラルダは腕を組み、


 遠くから馴染のある足音に耳を傾ける。


 王都貴族なら誰もが知る、紋章を刻んだ外套を纏った男。




 ロールスロイス家の老執事だった。




 彼は静かに、無言のままエスメラルダの耳元に身を寄せ、


 低く、簡潔に囁いた。




 「公爵閣下がお呼びです」




 エスメラルダの睫毛が一瞬だけ揺れ、


 すぐに整えるように微笑む。




 「ええ、分かっていますわ」




 彼女はそのまま一歩、前へ出ると、


 隣にいたエリュシアをちらと見やる。




 「北部会議後に、


 臨時会合が開かれることになりそうですわね」




 「ええ……事後処理、ね」




 エリュシアはその視線をエリオスに向けたまま、


 わずかに言葉を区切って続けた。




 「どうするつもりなの?」




 その言葉に、エスメラルダの表情が一瞬、固まる。




 「……私? ええ、“彼”のことなら、


 わたくしがどうにかしますわ」




 その声には、どこか淡く熱を含んだ響きがあった。


 優雅に装いながら、


 芯の奥で揺れるものを隠そうとはしていない。




 「……やっぱり、あなた」




 エリュシアは少しだけ目を細め、


 その感情の揺らぎを見逃さなかった。




 「どこまで、踏み込むつもりなの?」




 問いかけは穏やかだったが、


 奥には探るような鋭さがあった。




 「必要とあらば、“すべて”」


 エスメラルダはそう答えた。即答した。




 その言葉に、エリュシアは小さく息をつき、


 ほんの少しだけ、視線を空へと逸らした。




 「……私も、本当は穏便に済ませたいのだけど」




 「もちろん、私もですわ」




 「でも、彼の“存在”が、それを許さない気がする」




 「ええ。王都も、貴族の在り方も、


 きっと何かが変わってしまうのは避けられないでしょう」




 エスメラルダもまた、その視線を追うようにして言葉を重ねる。




 二人の間に流れる空気は、緊張とも、理解ともつかない。


 ただ、確かに“火種”のような感情が、静かに交差していた。




 交わることのない“正しさ”と“欲望”が、


 今だけ、かすかに重なる。




 彼女たちの視線の先には、


 門の陰で、ひとり静かに遠くを見つめるエリオスの姿があった。




 それぞれの思惑を乗せて、


 物語は、次なる“選択”へと向かっていく──────

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~龍血の双影と無血統遅延法術士~魔法殺しのディレイ魔法で逆に世界が加速する 桐山栄 @kiriyamasakae

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