第57話 破滅の天使、救いを知る
エウラは膝を抱えて座り込んでいた。
体の制御はとうに失って、もう何がしたいのかもわからない。
(どうして……)
心が温かくなるたびに、何かを欲しがるたびに、
誰かを思い出すたびに、
なぜ、こんなにも“壊したくなる”のか。
ほんの、小さな記憶が、よみがえった────
夜の部屋。
震える指を、優しく握ってくれた“お姉ちゃん”の手。
「だいじょうぶ。ずっと一緒にいるから」
言葉は、柔らかくて、手はとてもあたたかかった。
エウラが小さな背中を、そっと膝に預けたとき──
「……あ、あったかい……」
そう言った自分に、リミアは黙って微笑んで、
髪を、優しく撫でてくれた。
心が満たされていく、という感覚。
世界が怖くなくなる、という感覚。
あの夜からは、夢を見た。
──もしかしたら、ずっと“あたたかい”日々になれるかもしれないって。
けれど。
ある日を境に世界が反転した。
繋がりを引き裂かれ、涙と嗚咽が3人を包む。
腕を引かれるエウラの手から姉の手が離れていく。
──暖かさが、なくなる。
“お姉ちゃん”が連れていかれる──
そう直感したあの瞬間、エウラの中で何かが変わった。
自分には何をされても思わなかった感覚。
失いたくないと思えば思う程、肥大化する"何か"が胸を締め付ける。
エウラにとっての全てが奪われる、全てが────────
『壊れてしまう────』
「いやあああああああああああああああああああああッ!!」
モルフォドラの因子が共鳴した。
龍の破壊衝動と、激情のギアがかみ合ってしまった。
すべてを壊す、壊せばすべてが解決する────
その日、エウラは全てを壊した。
でも、どうしてかな?
全てが終わった後には────
「......なにも、ない」
手の中には、なにも。
耳に届くのは、風の音ばかり。
あたたかさを壊して、残ったのは、ただ──
空っぽな心だけだった。
────────────────
────ガンッッ!
地を穿つ轟音とともに、エウラの右足が地面を踏み割る。
その動きにはもはや人の滑らかさはなく、まるで獣。
そして、重力そのものを歪めるような“質量の揺らぎ”があった。
「……くるぞ」
エリオスが剣を構える。
雷撃が剣を伝って空間へと波及、空間を雷撃の檻で包みこむ。
エウラは虚ろな表情で重い一撃だけを避け、歩み寄っていく。
最初はゆっくりと、そして徐々に歩みを早め、そして──
──次の瞬間、灰の風を裂いて、エウラが突き出す拳が迫る。
雷の奔流を貫徹したその一撃をギリギリでかわした肩越しに、
空気が破裂するような風圧。
それは"以前"をはるかに超える重さを持っていた。
「いつにも増して、感情的な力──」
エリオスは魔力を流した剣を遅延させ、
中空に一瞬だけ浮かせ、咄嗟に持ち替えてのカウンター。
────だが、手応えが無い。
「軽すぎるッ!!」
エウラの身体の“質量”が、一瞬で変化したのだ。
打撃の衝撃を“風船のように”受け流してふわりとノックバック、
さらなる質量変化で重みを増し、最小限の飛距離で着地する。
(質量の調整が極限まで......)
そして、返す刃で突進、
次の瞬間には“倍の重さ”を持って剣が振るわれた──
「ぐっ……!」
背中が石畳を擦り、衝撃が先に届いた。
「……力の流れが、“感情”そのものになってる……!」
驚愕と共に、エリオスは悟った。
安心、悲しみ、怒り、願い──
エウラの一つ一つの“感情の動き”が、
そのまま質量と運動量、破壊の性質へと変換されているのだ。
つまり――
メレーネの存在すら、“加速因子”となっている。
(……あの子にとって、“優しさ”も“幸福”も、力を引き出す“毒”だ……!)
エリオスは再び立ち上がる。
魔力が暴れ、龍の気配が、空間の奥で低く唸っている。
エウラの目は、どこか遠くを見つめたまま。
けれどエウラは──
──その想いが強くなればなるほど、力が強くなる。
──その力が強くなればなるほど、自分が崩れていく。
その果てにどうなるのかすら、もう分からなかった。
「ッ……どこまで……!」
一撃一撃が重くなっていく。
倍、その倍、さらに倍──
エリオスは再び剣を構えるが、その腕が痺れていることに気づく。
一本の斬撃を受けただけで、神経に響くほどの質量圧が走った。
否、それは“単なる重さ”ではない。エウラの感情の奔流そのものが、
剣を介して身体を軋ませているのだ。
「……これは、もう"意思"じゃない…… ”叫び”だ……」
エリオスのつぶやきに、エウラに反応はない。
ただ、虚ろな目で彼を見据えながら──
ゆっくりと、また一歩、また一歩と踏み込んでくる。
──ガンッ!!
地面が陥没する。
質量が“瞬間的に爆増”した脚が、足場を破砕し、空間に振動を残す。
そして──
質量が数十倍にも増強された右腕が、
空気そのものを押しのけて、
地面を滑るような踏破とともに振り下ろされる──
が、エリオスは冷静だった。
エリオスの体内、稲妻が駆け巡る。
それは雷ではない。
斬撃の概念そのものが、彼の神経と筋肉に刻み込まれる。
《ヴォルト・レガリア》
本来、外界に放たれるべき貴族の絶技。
“光すら裂く剣閃”は、今──エリオスという器の中で、”形を変えた”
雷を体の内側に流し、筋肉や神経への伝達速度を極限まで高める。
痛みが生じるならそこに遅延をかけてあてがう、
謂わば"神経信号のオーバークロック"──────
「君は……"大切なものを失いたくない"……そうだろ」
エリオスの言葉に、エウラの瞳が微かに揺れた。
だがエウラの目は、まだ焦点が定まらない。
それどころか、逆に龍の因子がより強く顕現する。
心の奥底に眠る“龍”が、危機を察知したのだ。
──守れ。
──壊される前に、壊せ。
──何を置いても、"すべて"
雷閃が散り、霧氷の残滓が舞い散る巨門"跡"。
2つの“異端”が激しく衝突を繰り返す。
常軌を逸した応酬の中で、衝撃波が冷気を弾き、
中心地では万華鏡の中心を無理やり捻ったように歪む。
「……これは、どういうことなの......?」
右手を抑えたエリュシアが呆然と呟く。
手には剣がある。だが、それを再度振り抜く力はない。
彼女は確かに戦ってきた。だが── 。
「……規格外、すぎますわね」
隣で立ち尽くすエスメラルダもまた、
その瞳を細めながら、震えを隠しきれずにいた。
気高さを纏う彼女ですら、吐息を呑むほどの“異様”。
エリオスの到来に対する安心と、得体の知れない力を前に、
心の中で何かが歪むのを感じながら、ただ見つめていた。
──再び、剣が重なる。
極限まで高まったエリオスの一撃は、
防ぐことができなかった。
エウラの脚が砕けた石畳を滑り、
右腕が弾かれ、剣が宙を舞う。
しかし、エウラは宙を舞った剣先を”掴んだ”。
まるで、己の体などどうでもいいとでも言うように。
その小さな手のひらの亀裂に表情を変えず、
血を滴らせながら、鈍器のように振り翳す。
エリオスは体を駆け巡る電流の痛み、
限界を超えかけている肉体の軋みに歯を食いしばりながら、
音速を突破した剣先でその一撃を弾き逸らした。
血に濡れた剣が彼女の手から滑って飛んだ。
しかし、その右手は再び握り込まれる。
「全て、壊す────!!」
もはや自らの体の存続を厭わないその戦い方。
血しぶきを上げながらエリオスの腹部を目掛けて一撃を見舞う。
──迸る電撃
──全身から弾ける光
──電撃と死霧龍の力の拮抗
閃光──
ふたりの体が双方向に離れて弾ける。
「目を、覚ましてくれ......!」
エリオスは空中を舞いながら、
痛覚どころか感覚すら失いかけている右腕に、
さらなる電撃を走らせた。
着地と同時に石材が砕け、粉塵の中から再び歩み出る。
同時に、エウラもまた煙を押し返してエリオスを見据え、再突撃──
───彼女の瞳には涙が流れていた。
「……エウラッ……!!!」
叫んだのは、誰よりも遠くから見ていたメレーネだった。
エリオスとエウラの再度の衝突。
突風が冷気を纏って視界を奪う。
数秒後、風が止んだ。
エウラとエリオスが静かに向かい合っていた。
「もう、いやだ......いやだよ......」
その声は、風を貫き、
霧を裂いて、真っ直ぐに"姉"へと届いた。
しかし、エウラは再度の構えを見せた。
体と心がふたつに分かれて、もうどうにもならない。
琥珀の色は失われ、虚ろな瞳から流れる
涙だけが彼女の唯一の表現になってしまった。
袖口からは血が滲み、裾は破れ、
白い法衣が、紅に染まっていた。
──そして、死を纏う装束が、
ようやく本来の目的を思い出したかのように、揺れた。
「……やめて……っ……お願い、もう……っ」
メレーネは霊符を取り出し、祈るように膝を折り手を組む。
震える指先で、彼女は願う。
””私たちを、未来に進ませてください──””
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