第56話 境界と臨界
水に見せかけた魔力の粒子が、
一つ一つが光を放ちながら収束していく。
爆霧圧縮──
空間を覆い尽くした灰色の霧が圧縮され、臨界点を超える。
膨張と爆発、その直前の世界──
その煌めきは、まるで星辰の渦。
死霧の合間合間に広がる輝きは、見る者の末路と健闘を称えた
“最後の美しさ”と錯覚する程。
エリュシアはただ、見上げた。
「……綺麗、だわ」
エスメラルダもまた、剣を杖にしながら、
「……まさか星空とは……風流ですわね……」
──その“星々”が、白く輝き、黄色く照らし、
そして一転して"赤"へと変わる。
恒星の一生を再現したかのような輝き。
しかしそれは"終わりの兆し"を示すものだった。
エリュシアは全身の感覚が鈍る中、
まるで自分自身の人生が、その光に沿って回帰する錯覚を覚えた。
そして視界が、ふっと揺らいだ。
その瞬間、いくつもの“記憶の光”が、胸の奥に舞い戻ってきた。
──母の背に隠れながら、姉の剣さばきを見上げていた日。
「あなたは“騎士”にはなれない」と、誰かに言われた。
──それでも、諦めずに木剣を握り、何度も倒された。
倒されるたび、口を真一文字に結んで、立ち上がった。
──政略の駒として婚約を命じられた日。
胸の奥に、どうしようもない悔しさが渦巻いていた。
“私は……ただ、誰かに“選ばれる”だけの存在なのか”と。
──それでも、貴族であることに誇りは持っていた。
ラグナディア家の令嬢として、戦場でも礼儀でも、誰にも負けたくなかった。
──家を飛び出した日。
最後に父の背を見た時、ほんの少しだけ──
その肩が、寂しそうに見えたのは、気のせいだったのか。
──そして、あの村で出会った“変な男”。
変な魔法を使い、平然と受け答えし、私に説教してきた男。
(……あの時の私、どれだけ上からだったのかしら)
──家出した手前、婚約破棄の為の代わりだと思った。
でも、気づけば彼の背中を探していた。
──彼が無言で前に立つたび、
なぜか安心してしまう自分がいた。
──剣を構えた時、彼がそばにいるだけで、
不思議と、漠然とだけれども“なにかを変えられる”と思えた。
──なぜ? 何時からか考えのどこかに彼が浮かんでしまう。
「……やだな、私……ほんと、変わったかも」
滲んだ視界の中で、死霧の光が滲み、赤い光が世界を覆う。
それはまるで、私という星の終わりのようにすら思えた。
でも。
(──まだ、終わりたくないッ!!)
声に出すよりも前に、世界が白みかけたその瞬間─────
────霧が、止まった
エリュシアとエスメラルダは、周囲を見回す。
そして視線を交わす。
「……こんなことになるのは」
「あの人しかいないわよね」
そして、エウラの瞳が目に見えて揺れる。
「しってる……」
エウラが振り返ったその先。
門の奥、崩れかけた城門の影から、
二人の人影が現れる。
ひとりは、背を向けている男を担いだ、黒髪の少年。
もうひとりは、琥珀色のその目に決意を宿す、少女。
エリオス、
そして──メレーネ。
「エリオス!!」
エリュシアが叫んだ。
しかし同時に、担がれている男が誰かに気づく。
「えぇ!? ヴィクトールッ……!?」
エリオスは静かに立つ。
その肩に担がれ、力なく垂れ下がるヴィクトールは、
魔力の枯渇と精神負荷で意識を失っていた。
「とにかく、今は……」
そう言って彼が一歩踏み出すと同時に、
空間に波紋のような魔力のゆらぎが走る。
エウラの死霧が悶えるように歪み、薄れてゆく。
異常な流動性を持った霧が、まるで“粘性”を加えられたように、
ぬるりと空気に貼りつき、徐々にその密度を減らしていく。
「壊す……」
エウラが足を一歩踏み出すが、
その足元にまとわりついた霧がその動きに追いつかない。
「エリオス様……」
メレーネが、小さく名前を呼ぶ。
その声には、悲壮なほどの覚悟がにじんでいた。
「……妹を止めてください」
エリオスが振り向く。
だが、メレーネはもう前だけを見ていた。
「霧が揺れてる……あの子の“感情”が、崩れてしまってる......」
その言葉を裏付けるように、
エウラの全身から吹き出す霧が爆発的に増加する。
これに圧縮されきらなかった霧が反動を生み、
周囲の空間に断続的な衝撃波を走らせていた。
「やめて……止まらない……!」
エウラが胸を押さえる。
「とまって……よ、とまっ……てよ!……壊したいのにッ!」
彼女の表情が、明らかに歪み始める。
琥珀の瞳が大きく見開かれ、叫びが漏れる。
「......エウラ──」
メレーネのそっと呼ぶ声に、エウラは重々しく顔を上げた。
目線を合わせた途端、はっと喉が狭窄した。
そして、苦しそうに、だが答えようとするかのように声帯を振るわせる。
「おねえ……ちゃん……?」
その瞳。琥珀の光は揺れ、濁り、軋んでいた。
それは恐怖ではない。
悲しみでもない。
ただひとつ、「壊す」という感情が
自分でも制御できずに暴れていた。
喉の奥で擦れたような声が漏れる。
「なんで……どうして……ッ」
言葉にならない叫び。
口にするたび、霧が爆ぜ、魔力が暴れ出す。
圧力の吹き出し口を押さえるように、胸を掴みながら、
エウラはその場で左右にふらついた。
ここにはジルヴァンもグリフォードも居ない。
ただ、彼女の前に立つのは──
「エウラ」
──エリオスだった。
その声は、決して大きくはなかった。
だが、明瞭に、空気を震わせた。
「……それは、“壊したい”んじゃない」
「……え?」
「“苦しい”んだ。君は、今、自分の中の何かが
“崩れていく”音を聞いているだけだ」
エウラの表情が、一瞬止まる。
「君の力は、感情の波に応じて“流れ”を変えている。
だったら、今のこの奔流は──“君の心”そのものだ」
エリオスが、ヴィクトールを地面にそっと降ろす。
メレーネがそれを支え、
エリオスはそのまま、ゆっくりと歩み寄る。
「やめて……近寄らないで……」
エウラが右手を振り上げる。
その瞬間、爆発的な衝撃波が半径数メートルを吹き飛ばした。
けれど──その中で、エリオスは確かに立っていた。
衝撃すら“触れる前に遅れて”巻き込まれた。
「これは……“止める”戦いじゃない」
エリオスの瞳が、静かにエウラを映す。
「君と、話をする戦いだ」
「やめてッ……わたしは……ッ!」
エウラが叫ぶ。
その叫びに応じるようにさらに吹き出る死霧が、
徐々に空間を押し広げようとする。
だが──
「“止めたい”と思ったことがあるだろ」
その言葉に、エウラの動きが、ぴたりと止まる。
「"誰か"を傷つけたくないと思ったことが、あるんじゃないか?」
──震えが走る。エウラの膝が、わずかに揺らぐ。
その時。
メレーネが、一歩、前へ踏み出した。
「エウラ……思い出して。あなたは“壊すため”に生まれたんじゃない」
「ちがう……ちがうッ!……
だって、“壊す”しか、知らないもん……」
「なら、いま学んで。
“壊さなくても、生きていける”ってことを」
メレーネの声に、エリオスの声が重なる。
「貴族のマナーだって、10日あれば繕えるんだ」
──時間が、凍るような静けさの中で。
エウラの瞳が、初めて──“迷い”と“涙”に揺れた。
しかし、彼女の心とは別の臓器が、それを"良"とはしない。
──霧が消える。
──髪色が白と茶を取り戻す。
──目尻から、小さな紅い線が、一筋、頬を伝う。
メレーネはこの空気を静かに感じ取り、そして思い出した。
──あの日の夜の"再現"、否、より強烈な何かが浮かび上がるのを
メレーネは見据えていた。
しかし、今はあの時とは違う───
「エリオス様、賭けさせてください......」
「ああ」
エリオスは剣を引き抜く。
そしてエウラの瞳は”光を失った”────────
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