第55話 ぜんぶ、いらない

  その目は、かすかに“誰か”を思い出したように揺れていた。


 エウラの琥珀の瞳が、エリュシアを凝視する。


 その声音に含まれた揺らぎは、確かに“感情”の輪郭を持っていた。




 エリュシアはその強烈な執着にも似た奇怪な視線の動きに気圧され、


 その剣線が僅かにズレる。


 


 そして次の瞬間──




 


 ガンッッ!


 




 地を穿つような踏み込み。


 石畳が大きくゆがみ、ひび割れて地面が露出する。


 エウラが剣を構えた、その瞬間から、空気が変わった。




 “質量”そのものを剣に乗せた、“確かな殺意”。 




 エリュシアは咄嗟に雷を纏った剣を振り抜くが──遅い。




 


 ギィン──!!!


 




 衝突音と共に、エウラの剣がエリュシアの一撃を


 真正面から振り下ろすように叩き潰した。




 「ぐっ……!」




  雷光が弾け、剣ごと身体が下方向に押し込まれる。


 その一撃は、“技”ではない。


 “体重と筋力と龍の特性”を乗せた、純粋な物理的破壊現象。






 「おっ、重すぎるッ……!!!」




 エリュシアの腕がしびれる。


 雷魔法で強化しているにもかかわらず、その膂力に押されている。




 (こんなの、“剣”じゃない……“塊じゃないッ"!)




 エウラはさらに視線を動かし、


 破片の一つ一つを目で追うかのようにエリュシアの態勢を観察。


 


 ──その間、僅か100msec。




 次の瞬間には、エウラは再び踏み込んでいた。




 「……邪魔」




 淡々としたその声と共に、エウラの剣がなぎ払われる。


 エリュシアは反射神経でそれに答えた。




 「「雷閃華ヴォルト・ブレイドッ!!」」




 雷に押されるように加速する右腕。


 雷刃が交差し、斬撃と斬撃がぶつかり合う。




 だが──その“質量”の差が歴然だった。




 エウラは右足で地面ごと踏み抜き、空気を砕く。


 雷を噛み砕く龍の如く、


 エリュシアの剣線がさらに大きく弾き逸らされた。


 


 「……どうして、こんな……!」




 エウラは無言で続く二の太刀で


 腹部を両断すべく刃先を振り抜くが、


 エリュシアは素早く跳躍、これを避けると


 唸るような電光を右足に纏わせ、エウラの右頬に見舞った。




 「......痛い」




 エウラはそれを見切るでもなく、ただ受け止めた──




 瞬間、エリュシアの腹部に右手一撃。


 瞳孔が一瞬天を仰ぐ。


 内臓がずれる感覚、雷が拡散して散る。




 「エリュシアッッ!!」




 エスメラルダは渾身の"氷刃絶陣グレイシャルエッジ"を


 二人の間に滑り込ませるように放ち、


 エウラの後方への跳躍を持って追撃を防いだ。




 残されたのは、崩れ落ちそうな


 身体をなんとか支えるエリュシア。


 


 「……っ……まだ……」




 膝が震える。呼吸が荒い。腹部には鈍い痛みが広がりを見せている。




 「まだ立てますわね......?」




 エスメラルダもまた魔力の激しい消費により、


 剣を支えに何とか立っている状態だった。




 「……ッ、ほんと、冗談じゃない……」




 エリュシアが小さく吐き捨てる。




 「……こんな子が王都を壊すのを願うなんて、


 ”世も末"かもしれませんわね......」




 エウラは追撃するまでもないかのように、


 氷の壁を人差し指のひと弾きで粉砕する。




 ──近づく、ゆっくりと、それでいて確実に。


 エスメラルダも最早魔力の限界が近づいていたその時──






 「やれ、まったく──王都を代表する公爵令嬢がこの有様とは、


 名門とは名ばかりだな」




 重厚な緋色の軍装。


 現れたのは、王都貴族の重鎮、マイバッハ公爵家を継ぐもの


 ──アルヴィス・フォン・マイバッハ。




 「……アルヴィス」




 エリュシアが睨むように名を呼ぶ。




 「他の......貴族たちの指針となる存在にしては、


 随分と秩序に無頓着では?」




 エスメラルダの口撃にも、彼はまったく動じない。




 「余計な口を叩くな。


 私は貴族の秩序を守る者であって、


 無用な混乱に踊らされる愚者ではない」




 その言葉は、冷たく、揺るぎなかった。




 「まあ安心しろ、マリアとレイドは避難させた。


 騎士候補らの自主的行動とて、王都を守る意志に変わりはあるまいが、


 無駄死には戒めるべきだからな」




 そう言いながら、アルヴィスはふっと視線を遠くに向ける。


 戦場の中心──霧と破壊の源たる少女へと、その目を細めた。




 「……“血”に属さぬ力か」




 その言葉には明確な"侮蔑"が混じっていた。




 「貴族社会に属さず、教育も受けず、家名も持たぬ……


  それでいて、我らが誇る千年魔術を、正面から叩き伏せる気か?」




 アルヴィスの声は、静かであったが、そこには怒りではない、


 “存在を許容しない”という意思が見えた。




 「貴族とは“理”で世界を治める者。


 その“理”に属さぬ者は──もはや災厄に等しい」




 「まさか……そこまで言うの?」




 エリュシアの疑問に、アルヴィスは顔を横に振った。




 「私は『力こそ正義』などとは思わぬ。


 だが、力なき貴族に“正義”を語る資格もない」




 彼の語調はますます鋭く、重くなる。




 「異端庶民に加えて頭の痛い問題だが──」




 風が巻き、霧がまた少しずつ戻ってくる。




 「おおよそ、法も教育も届かぬ存在を野放しにすれば、


 いずれ世界は秩序を失う」




 そこまで言い切ったあと、


 アルヴィスは一歩、霧の中心へ向けて歩み出た。




 「──正統の枠に収まらぬのなら、修正するべきだ」




 その声と共に、彼の周囲に魔法陣が展開される。




 《血統魔術──超振動結界》




 結界が震える。


 まるで空気の層そのものが強靭な盾となって現れたかのように、


 空間が微細に波打ち始める。




 「貴族の盾とは、見せかけではない。


  攻撃を殺す盾ではない。


  秩序を守るための“最後の境界線”だ」




 エリュシアも、エスメラルダも、事の成り行きを見守る。


 彼はただ、“貴族”としての在り方を問うている。


 そこに、私情も憐憫もなかった。




 「おまえたちの“迷い”に関わる気はない。


 だが私は違う」




 剣を抜き出し、軽く一振りする。




 「貴族であるということは、


 選び、裁き、責任を背負うことだ」




 エウラの霧が再び濃くなり始め、彼女の影がゆらりと浮かび上がる。


 その瞳は、やはり感情を持たず、


 ただ“次なる敵”を識別するように、アルヴィスを見つめていた。




 「……見せてもらおう。理なき力よ」




 「我らが理と矜持が、貴様の“衝動”に屈するかどうかをな」




 ──空気が震える。




 "インパクトッ!!"




 聖剣を振るい、撃ち放たれた十重二十重と重なる空気の層。


 もはや目で追える速度ではないが────────




 エウラはそれを最小限の、それも片手の一振りであしらうように"弾く"。


 しかしアルヴィスの次手も早い。


 


 「甘いッ!」




 その一太刀に乗せられた幾多の空気層を、折り重ねて刃と成す。


 衝撃は音を置き去りにし、エウラを垂直に断絶せんと迫るが──




 「......邪魔」




 エウラの身体が、わずかに動いた。


 人差し指とアルヴィスの聖剣の間に僅かな"空虚"が生じる。


 その一点で圧縮された空気の波は霧のように拡散し、


 続く片手の一振りで弾かれる。




 そして──


 エウラの右足が沈む。次の瞬間、その身体が龍が天に昇る


 かのように金糸の髪をなびかせ──跳んだ。




 アルヴィスは仰ぎ見る。


 その少女の"軌跡"を────




 直後────────ズガァアアッ!!




 石畳が砕けた。


 質量に“速度”が加わった一振りが、


 まるで雷霆のごとくアルヴィスの真上から振り下ろされる。




 「あり、えないッ……!」




 咄嗟に、振動結界が最大出力で展開される。


 地面に振動波を走らせ、周囲に“空気の壁”を形成する。




 しかし。




 ──轟く。結界が悲鳴を上げた。波打つ空間に亀裂が走る。


 


 超振動結界────


 衝撃を分散・吸収・相殺する攻守一体の戦闘技術の最高峰とも言わしめた結界。




 その結界が別位相の震えに浸食される。


 接触面から亀裂が生まれ、やがて1枚、2枚、3枚......


 勢いは徐々に加速し、


 ものの数秒で数十枚の空気の層をバリバリと破砕した。




 「──ッ、ふざけるなッ……!」




 エリュシアの遅延に加えて、今度は"コレ"だ。


 二度も血統魔法が通じない現実を前に、


 積み上げてきた誇りが静かに、


 しかし確実に否定されていく──。




 だが、怒りはエウラに届かない。


 少女の瞳には、言葉も理屈も意味を持たない。


 ただ、“壊す”という本能が、そこに宿っている。


 


 まさに破滅の"天使"──




 「“理”なき力が……“法”を凌駕するなど……!」




 アルヴィスの口元に、薄く血が滲んだ。


 貴族の“理”と“防壁”を、今──


 少女は、ただの“剣”で打ち破る──




 刹那、重撃が炸裂。




 ドンッ!!




 空気が抜けるような衝撃音と共に、アルヴィスの身体が吹き飛んだ。


 その身は矢のように中空を舞い、


 数十メートル先、凍結した石造りの家屋に──




 ガガァンッ!!




 鈍く、硬質な音を立てて叩きつけられた。


 壁が、抉れた。細氷に混じった石材も砕け、粉塵が舞う。




 崩れ落ちる瓦礫の中、アルヴィスの身体は


 ずり落ちるようにして地面に崩れ伏した。




 「……っ……」




 意識が混濁する。


 視界は霞み、耳鳴りが鼓膜を叩き、


 世界の輪郭がぼやけていく。




 エウラの一撃を防ぐべく、彼は本能で全ての魔力を放出し、


 結界を展開したのだが、その反動は強制的な全身の脱力──




 それでも、彼の手は最後まで剣を手放していない。




 「“異端”などに……この秩序を支配させて……たまるか……」




 彼の誇りは砕かれた。


 だが、誇りを捨てたわけではない。


 それが、アルヴィスという男の“貴族”としての姿勢だった。




 ──その光景を、エリュシアとエスメラルダが見ていた。




 アルヴィスの次期公爵としての力は認めていた両者からすれば、


 それすら通用しない現実を前に、


 今や止める方法など浮かばない。




 雷と氷、二人の令嬢の中で、何かが静かに軋み始めていた。


 そして──破砕音と共に、“灰”がまた濃くなる。


 


 「もういい、もういいよ────」




  霧が周囲を巻き上げる。


 そして、星々の輝きを見せながら、


 




 彼女はぽつりと"破滅"を願った────────






 《爆霧圧縮ぜんぶいらない

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