臨界点
第54話 霧氷の舞踏と神速の剣
王都──正門の上空に、業火の如く霧が吹き荒れる。
金の髪を暴風に靡かせた少女が、堂々と歩みを進める。
空気が砕けたような衝撃音と共に城門が粉砕されたのだ。
破砕された門柱が飛散し、
叫び声と共に兵士たちが散り散りとなり、逃げ惑う。
ラグナディア家の屋敷、
この"始まりの鐘"にも似た衝撃音──
ティーセットの皿がわずかに揺れ、
銀のスプーンがカチカチと小さな音を立てる。
その静寂の中で、二人の令嬢が、互いに目線を重ねた。
目の奥に宿るのは、同じ意思。
「……やはり、来たのね」
エリュシアが腰の剣を握り締めた。
「──そのようですわね」
エスメラルダは静かにティーカップをテーブルに戻した。
揺れる紅茶の波紋すら気に留めず、
優雅な所作のまま椅子から立ち上がる。
「行きますわよ」
その声には、迷いはなかった。
ただ静かに、そして誇り高く――
彼女は“ロールスロイス家の誇り”を纏い、戦場へと向かう。
この瞬間、二人の公爵令嬢が並び立ち、
王都の運命が静かに、確かに動き出した。
────────王都アルサメル、城門前
蒼銀の髪を風になびかせ、冷ややかな光を湛えた碧眼が、
拭き上げる霧に佇む少女――エウラを捉えていた。
霧が押し寄せる。
白ではない──どこか煤けた、死を望むかのような深灰色の霧が。
王都の空は、その禍々しい濁流に静かに、
そして確実に飲まれつつあった。
相対するように、エリュシア、エスメラルダを先頭に、
騎士の一隊が威厳をもって、そして整然と布陣していた。
「全軍、避難誘導に移行なさい。ロールスロイスの名において命ずるわ」
凛としたその声が響いた瞬間、王都正門側に布陣していた
ロールスロイス家、ラグナディア家の混成軍が一斉に動き始めた。
王都正門側に布陣していた混成部隊――
ラグナディア家とロールスロイス家の連携は、見事なまでに無駄がなかった。
住民を導き、指定されたラインまで下がる事──
命令一つで、まるで舞をなぞるように、
事前に明示された緻密かつ合理的な戦術が展開されていく。
――統制された動きの背後には、まさに完璧なまでの指揮能力。
ロールスロイス家の"指揮権"とまで言わしめた彼女の"戦略眼"
(……エリオス様。ご覧になっていますか? これが、“貴族”の戦い方ですわ)
その内心に灯る誇りと、ささやかな独占欲。
この戦場ですら――彼の視線の中に“自分”が刻まれることを、彼女は望んでいた。
だが、感情を装うその仮面のさらに奥で、
彼女の冷徹な合理の思考は、はっきりと弁える。
──目の前の“少女”が、どれほど危険な存在であるかを。
狼煙が上がる。
空を裂くように、赤い筋が駆け上った。第一次避難完了の合図。
その瞬間、エスメラルダはひときわ強く魔力を解放し、
氷の残響を空気に刻みつける。
「行くわよ、エリュシア!」
「ええ。あの子をとめるわよッ!!」
二人の令嬢が、足元を蹴って跳躍した。
魔力を纏い、風を切り裂き、戦場の空へと高く――高く、舞い上がる。
エウラは微動だにしない。
まるで彼女たちの動きを、
既に“結果”として知っているかのように、無表情のまま。
氷と雷、
蒼と紅の閃光を纏って──
────────エウラは静かに剣を抜いた
氷と雷が交差する一瞬。
それは戦場の者すべてにとって、
一撃の応酬に過ぎなかったかもしれない。
だが、エウラにとっては違った。
視界が、ゆっくりと歪む。
風が渦巻き、魔力が鼓動で震える中で、
彼女の中で“それ”は蠢く。
《……全部、壊して。壊して、楽になる》
誰の声でもない。けれど確かに、彼女の中から響いた声。
《なんで……なんで全部、壊すの?》
言葉が返ってくる。遅れて、鈍く。
《……苦しいから》
“苦しい”とは何か。
その定義すら、エウラの中ではあやふやだった。
痛み? 飢え? でも、そんなものは
苦しさではないはずだった。
《目の前の人は、仲間……?》
答えられない。
だって知らない。仲間って、なに? どうして戦うの?
みんな敵なら、なぜ、心がこんなにざわめくの?
《お姉ちゃんは……なんて、思うの……?》
その言葉に、喉奥から何かがせり上がる。
思い出しそうで、思い出せない“温度”。
誰かが、どこかで、自分を呼んでいたような気がした。
だけど――
「……うるさい」
頭の奥が、ガンッと何かで叩かれたように痛んだ。
「うるさい、うるさい、うるさい!!」
声が漏れる。いや、叫びだった。
立ち込める霧に、鉄の焦げた匂いが混じる。
感情を知らないはずの少女が、
初めて「感情」というものの輪郭を、
“壊れる”という形で掴みかけていた。
「みんな、みんな""壊れちゃえば""いいッ!」
咆哮のような声と同時に、霧が爆ぜた。
それはまるで、彼女の感情そのものが世界に撒き散らされたかのように──
「──ぜんぶぜんぶぜんぶ邪魔ッ!!」
エウラの足が地を蹴った瞬間、大地がひしゃげた。
彼女の体は、風そのものとなり、空気を裂いてエリュシアへと突き進む。
咄嗟に剣を構えたエリュシアの防御、
しかしエウラの振るった一撃は支えられるものではなかった。
ギィィン、という衝撃音──
次の瞬間、エリュシアの身体は雷光ごと空へと弾かれた。
まるで一陣の風に攫われる枯葉のように、中空を舞う。
「──エリュシアッ!!」
冷気を纏うエスメラルダにも追撃が迫る。
霧の波が斬撃とともに迫り、
間一髪で展開した氷盾が石畳から伸びるが、
エウラはまるで氷盾なんぞ初めからないかのように大きく横に振る。
盾は無残にも悲鳴のように軋みながら砕け散った。
「ッ……!」
その余波を受け、エスメラルダもまた、
地面を滑るように数メートル吹き飛ばされる
2人は衝撃と共に吹き飛ばされながらも、
自らの意志で空中で態勢を立て直し、
着地と同時に地面を削りながら、両足で踏みとどまる。
「ちょっと、危なかったわ......」
エリュシアは額の汗を拭う。
エスメラルダもまたエウラに視線を向けたまま、
答える様に頷く。
エウラの動きは、再び止まった。
全身から放たれる霧が波紋のように揺れ、
その不規則な魔力はまるで"心臓の鼓動"にも似ていた。
「……お姉ちゃん、は……」
その呟きは、誰にも届かないほどに小さく、かすれていた。
まるで記憶の欠片を無理やり引き裂かれるように、
エウラの表情が歪む。
「わたし……なんで......」
一瞬だけ、その目に宿ったのは、迷い。
けれどその僅かな迷いをかき消すように、
霧がまたひときわ濃く、禍々しく膨れ上がる。
「ああダメ……壊さなきゃ、壊さなきゃ、壊さなきゃッ!!」
――その瞬間、青の狼煙が空へと上がった。
それは第二次避難誘導完了の合図。
エスメラルダの瞳が鋭く細められる。
「……いいえ、もう、ここで止めますわ」
その声は、氷のように冷たく、しかし眼差しは何時になく真剣に。
次の瞬間――
彼女の足元から冷気が吹き上がる。
「霧氷の舞踏グレイシャルワルツ」
凍てつく蒼氷が舞う。
空気中の水分すら霧氷へと変わる冷気により、
粒子の一つひとつが緻密な結晶構造を持つ結界へと変貌する。
視界全体に蒼い光が降り注ぎ、世界が氷の静謐に包まれていく。
それはさながら広域氷結防御結界――
王都の建造物の保護と、霧と衝撃波を阻む、圧倒的な氷結世界。
だが、それは“攻め”ではない。
あくまで“守り”の術。
エスメラルダの魔力が、かすかに不安定に揺れた。
「く……やはり、この規模は……消費が酷いですわね……」
一方で、距離を詰め直したエリュシアもまた、
息を荒げながら雷の刃を構え直す。
「なら、こっちも“切り札”でいくしかないじゃない……!」
空気が震え、光が収束する。
エリュシアの周囲に集まる魔力が、
まるで引き寄せられるかのように稲妻と閃光の渦となる。
それはただの雷ではない。
意志を持つかのように、彼女の全身に宿った。
「《ヴォルト・レガリア》――ッ!」
叫びと共に、雷が形を成す。
剣ではなく雷を握ったような──
刹那、視界を灼く閃光が奔る。
光すら斬り裂く神速の剣。
エリュシア・ラグナディアが誇る、最速の絶技。
その一太刀、その一撃は目で追うのは不可能──
「──ここでとめるわッ!!」
鋭い閃光が、霧を裂く。
剣先は扇状の尾を引き、エウラを薙ぐ勢い。
世界が音を失ったかのような静寂に包まれる。
エスメラルダが一瞬、動きを止めてその一閃を見上げた。
「……雷光の剣。さすが、ですわね……」
だが――
その光の先。
エウラの表情が、一瞬だけ、微かに歪んだ。
その目は、かすかに“誰か”を思い出したように揺れていた。
「......えりお、す?」
エウラの琥珀の瞳が、エリュシアを"凝視"した────────
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