王都騒動編

第44話 虚飾の都

 白銀の装飾が施された馬車が、ゆっくりと王都の大門をくぐる。

 

  馬車の屋根にはラグナディア公爵家とロールスロイス公爵家、

 それぞれの紋章旗がたなびいていた。

 

  そこには名家の令嬢を一目見ようと集まる民に加え、

 政略的関心を匂わせる貴族たちの視線が、門前に集中していた。


 馬車が停止し、扉が開かれる。


 最初に降り立ったのは、

 エリュシア・グランヴェール・ラグナディア。


  次いで、青と白を基調にした優美なドレスを纏い、

 銀の髪を揺らすエスメラルダ・フォン・ロールスロイスが姿を現す。


 「エリュシア様、エスメラルダ様……! ご無事で何よりですわ!」


 「辺境はさぞ過酷だったでしょう。

 ですが、こうしてご帰還されただけで、我々の安堵は計り知れません」


 取り囲む貴族たちは、口々に美辞麗句を述べる。

 だがその視線は、彼女たちの「無事」以上のものを探す様子はなかった。


 ──まるで“貴族同士の再会”という

 社交イベントを楽しんでいるだけ。


 エリュシアは作り笑いを浮かべながら、内心で静かに嘆息した。


 (……呑気なことね)


 あの地で起きた現実──

 霧に包まれた絶望、死の匂い、崩壊の兆し。

 そのどれもが、ここでは「話の種」にすらなっていない。


 「あら、もうお疲れになっていませんか?」


  隣に並ぶエスメラルダが、微笑みを向ける。

 だがその瞳には、冷え切った光が宿っていた。


 「ええ、大丈夫よ。慣れているもの。……こういう“迎え”には」


  エリュシアの皮肉混じりの返答に、

 エスメラルダもわずかに肩をすくめて返す。


 「歓迎されているのは、私たちではなく、我が家の看板でしょうね」


  二人は黙って視線を交わし、

 それきり余計な言葉は交わさなかった。

 作られた笑顔を浮かべたまま、迎えの貴族たちの中を、静かに歩み始める。



──王都・学術塔内 来賓応接室



  貴族と学園の要人が集う場。

 報告者であるエリュシアとエスメラルダは、

 辺境での戦況を正確に伝えていた。


 「……そして、その“霧の中”に現れた個体は、

 既存の魔物とは明らかに異質でした」


 エリュシアが語気を抑えつつ報告を終えると、

 応接室にわずかな沈黙が流れる。


 「……へえ、辺境ではそんな大変なことになっていたんですの?」


 一人の若手貴族が、紅茶のカップを傾けながら首をかしげる。

 その言葉に悪気はなく、単に“実感が伴っていない”だけなのだと、

 誰の目にも明らかだった。


 「そちらのご令嬢方が無事だったというだけで、

 王都としては一安心でしょう」


 「庶民の法術師……エリオス殿でしたか? 

 いずれお目にかかれるといいのですが」


 エスメラルダは穏やかな表情を崩さぬまま、

 そっと視線を落とした。

 爪先でカップの受け皿をなぞる仕草は、

 彼女の内心の苛立ちを隠すためのもの。


 (……この人たちに、何を期待していたのかしら)


 かつては尊敬の念すら抱いていた

 王都の学識者たちの、無関心さと距離感。

 それが今では、ただの“他人事の壁”にしか見えなかった。



──王都・ラグナディア公爵邸 応接間


  夕刻。薄紅の陽が窓から差し込む中、

 ラグナディア公爵家の重厚な応接室には、

 張り詰めた空気が漂っていた。


 壁にかかる家紋の盾、奥の暖炉、そしてその中央──


 ラグナディア公爵・エドモンドが座し、

 エリュシアが静かに横に座る。


 「……辺境での損失は小さくはない。

 現地の戦力は再編が必要だ」


  父の低く抑えられた声が、

 部屋の重さに拍車をかけていた。


 「戦力補填の要請は通す。だが王都の上層部も、

 貴族派閥内の合意なしに動けぬ状況だ」


 エリュシアはただ頷いた。

 だが心の中では、すでに別の影の訪れを感じ取っていた。


 その予感は、ほどなくして現実となる。


 「失礼いたします。

 "ヴィクトール・フォン・ファルクス"様がお見えです」


 執事の声とともに、扉が静かに開かれる。


 姿を現したのは、深緑の外套に身を包み、

 整った金髪をなでつけた青年──

 ファルクス家の嫡男、ヴィクトール・フォン・ファルクスであった。


 「ご無沙汰しております、公爵閣下。そして、エリュシア嬢」


 ヴィクトールは流麗な所作で一礼を送る。

 その動きには一片の乱れもなく、

 まさに“王都貴族の鑑”とでも呼ぶべき洗練された姿だった。


 表情は柔らかく、言葉の端々にも一応の礼節が感じられる。

 だがその瞳の奥には、紛れもない“打算”と“所有欲”が潜んでいた。


 「ラグナディア家が窮地なのは理解していますよ。

 ですが、ご安心を。私が、ファルクス家の力をお貸しします」


 わずかに間を空けたその言い回しは、

 あたかも“高位からの施し”を与えるかのような響きを持っていた。


 エリュシアは、その続きを待った。

 案の定、彼はわざとらしい間を置いてから口を開く。


 「──無論、“以前の約束”を果たしていただければ、ですがね」


 エリュシアの瞳がわずかに細まる。

 言葉に出さずとも、

 それが“婚約の復活”を意味していることは明らかだった。


 「……お申し出はありがたいですけれど」


 彼女は微笑みを崩さぬまま、緩やかに言葉を返す。


 「今さら昔の約束を持ち出されても、困りますわ。

 あれはもう終わった話ですもの」


 「終わった、ですか」


 ヴィクトールの唇がゆるやかに歪む。

 その笑みは、まるで“余裕”の仮面を被った皮肉のようだった。


 「それは残念ですね。ですが──状況というものは、変わるものです。

 ラグナディア家の威信を守るためには、

 安定した同盟が必要ではありませんか?」


 「ラグナディア家は、

 父の代から他家に頼るような弱き家ではありませんわ」


 エリュシアは声の調子を変えず、まっすぐに彼を見返した。

 だが、内心ではすでに怒りの熱が静かに燃え始めていた。


 「それでも、“助け”が必要な時もあるでしょう」


 ヴィクトールはあくまで冷静に、

 まるで“こちらの方が正しい”とでも言いたげな口ぶりで返す。


 静かな攻防──

 それは剣ではなく、言葉で交わされる戦いだった。


 しばしの沈黙の後、エリュシアは立ち上がる。


 ドレスの裾がふわりと揺れ、彼女の気高さがより際立つ。


 「ご来訪、感謝いたします。

 ……ですが、今はまだ、そういったお話に耳を傾ける余裕はありませんの」


 「ならば、余裕ができた時にまた参りましょう」


 ヴィクトールはすっと立ち上がり、優雅に一礼を送る。

 その所作には、まるで“勝利者”のような余裕すら漂っていた。


 「……その時まで、私の“好意”が変わらぬことを、

 祈っていてくださいね?」


 それは脅しにも近い、言葉の刃だった。


 だがエリュシアは、その刃を真正面から受け止め、揺るがなかった。


 「祈るなら、ご自身の未来のほうを──

 お気をつけになった方がよろしいかと」


 わずかに笑みを浮かべ、そう返す彼女の声には、確かな強さが宿っていた。


 ヴィクトールの笑みが一瞬だけ硬直し、

 そしてまた柔らかさを取り戻す。

 彼は何も言わずに背を向け、ゆっくりと歩き出した。


 その背中を、エリュシアはじっと見送る。


 (エリオスが“私の隣”に立つのが、よほど気に入らないのね)


 (けれど──もう、私の選ぶ相手を他人に決めさせる時代じゃない)


 応接室の扉が静かに閉まる。

 そして、さらなる戦いの火種が、燻り始めたのであった。

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